[118]2005年運命の足音

 2005年は平和な年であるようにとの願いもむなしく、スマトラ島アチェ沖で想像を絶するような地震が起こり、大津波でインド洋沿岸に多くの犠牲者が出ました。惨状が刻々と明らかになり、「おめでとう」とは大きな声で言えないような年明けとなりました。幸い、地球規模での助け合いの動きが起こっています。犠牲者のご冥福を祈るとともに、被災者のかたがたが心身ともに早く立ち直れるよう、また、各国から援助に行かれたかたがたも無事任務を果たされるよう願っています。地震や津波の恐怖の音の記憶が早く復興の力強い槌音に変る2005年であってほしいものです。
 ちょうど、同じ頃、私が国際ビジネスに関するお手伝いをしている会社の中国側のパートナーが決まりました。上海にある会社ですが、社長はまだ30代前半の男性で、上場企業傘下のメーカーの社長も兼任していますし、中央政府のプロジェクトのメンバーでもあります。彼とは昨年春にあるセミナーで偶然出会いました。しかも先方からご挨拶をいただきました。その後、何もやり取りはなかったのですが、年も押し迫って彼に相談したところ「話を持ちかけてくださって光栄なことです。」の一言で、大晦日までの数日間に普通なら 1ケ月以上かかりそうな話が一気にまとまりました。こういう運命的な出会いというか反応を得られる瞬間は何か音がするような気がします。香港のビジネスパートナーとスピード契約をしたときもそうでしたが、今回も2005年へ向けてゴーッとうなりを上げて飛んで行くような気分でした。


 2004年もあと数分という時でした。玄関の戸を壊れんばかりに叩く音がしました。家の庭先に小さなアパートを所有していますが、そこの住人の今年就職したばかりの男性でした。何が起きたのかたずねると、外に出たら、道路に男性が顔から血を流して倒れている、放置したら死んでしまうかも知れないというのです。私は様子を見に行き、救急車を呼びました。東京は当日大雪が降りましたから、住宅街のど真ん中は深夜になっても足跡や轍を残して雪はすべて凍っていました。酔った中年男性が転倒したようで、顔の何ケ所から血が流れていました。アパートの住人の証言によると後頭部を打っているというので、そのまま動かないようにと言うと「よけいなお世話だ」と毒づきながらもその男性は自分が転んだことや出血していることもわからないようでした。
 しばらくして、救急車が来ました。近くのお寺から聞こえる除夜の鐘の音とサイレンの音の合奏です。中年男性は救急隊員の説得にもかかわらず、名前も住所も年齢も語らず、かたくなに病院に搬送されるのを拒み、とうとう警察が身柄を保護しにやって来ました。どんな事情があるのかはわかりませんが、素直に感謝されなかっただけにずっと気がかりとなっています。それだけに記憶に残る2004年の終わりで、2005年の幕開けとなりました。
 年があけて、取引先からいただいた年賀メールの中に「今年はよきことがなだれのように起きますように」とありました。なだれでは遭難してしまうかも知れませんが、よきことのなだれなら一度経験してみたいものです。この場をお借りして読者の皆様にとって良き1年でありますことをお祈りするとともに、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
河口容子