[043]香港一家がやって来た

 香港のSARS明けとともにビジネスパートナーが日本にやって来ました。私たちはほぼ毎月往来があったのですが、SARSのせいで2月下旬以来会うことができませんでした。今回は夏休み中とあって大学生の長男と姪(弟の娘)を伴っての来日です。若者たちは同い年で、姪のほうは英国に留学中です。香港人の日本好きは並々ならぬものがありますが、日本人としてありがたいと思うと同時になんでこんなに物価が高くごみごみした所へ皆来たがるのか不思議な気もします。
 朝、ホテルに行くと彼らは何と起立をして私を待っていました。日本で19歳というと生意気ざかりですが、何だか素直そうです。おろしたてのスポーツシューズをはいた億万長者の子どもたちは意外と質素でした。中国では父方のいとこは「きょうだい」、母方のいとこを「いとこ」と呼ぶらしく、彼らは日本ではいとこですが、中国ではまさしく「きょうだい」で英国と香港間でほとんど毎日電話でおしゃべりをしていると聞きなんだかほほえましくなりました。日本では、本当の親子、きょうだいでもこの年齢になると一緒に歩く姿が急に減るからです。
 私たちが商談に行っている間、彼らは留学先で知り合った日本人の学生に案内してもらい、渋谷やお台場方面に出かけていました。その後は二人だけで原宿や銀座にも行かせてみました。香港人の場合、漢字の識別と英語ができるため、日本に来る外国人の中ではダントツに優位です。電車の路線名や駅名を漢字とローマ字で書いてあげれば(車両の色なども書いてあげればもっと親切)、発来日でも方向音痴の日本人よりはるかに手際よく東京を動いて行きます。


 彼らと居酒屋で夕食を一緒に取ったりもしましたが、「飲み物は?」と聞くと水でいいと答える謙虚さです。年長者に食事やお皿が揃わない限り自分たちが勝手に食べ始めるということもしませんし、男の子は全員の牛タンを焼き、女の子は焼き魚の骨をはずし皆に取り分けるという作業を誰に言われることもなくやっていました。帰りはビジネスパートナーが支払いをしている間に息子が父親の荷物を持って出口に移動し靴をそろえて待っているという気配りです。外見は普通の日本人と変わりませんが、日々の躾が段違いです。そして大人の話をきちんと聞きます。日本なら都合の悪いことは知らんぷりをする、大人の昔話を馬鹿にするといった態度が見てとれますが、彼らは身を乗り出して聞いています。
 わずか 4-5日の滞在でしたが、ビジネスパートナーは過密スケジュールの上に香港や中国本土からかかって来る携帯電話への対応で頭が混乱、私は朝から晩まで英語と日本語を話し続けるためのどが痛く、若者たちは短期間にいろいろな場所に出かけすぎ疲労困憊であったようです。最終日は商談が長引いたため成田へ行くリムジンバスに乗り遅れそうになり、皆で荷物を持ってバス乗り場まで猛烈に走りました。まさに台風一過、ひとり帰る電車では急に睡魔が襲い、最寄り駅までしっかり眠ってしまいました。
 昨年も複数の香港人が暑いさなか、何組も現れ大忙しだったことをふと思い出しました。私は夏が好きですが、香港という言葉も夏の季語になりそうです。
河口容子
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