[260]賄賂と癒着

 「政治と金」をめぐる問題や公務員によるネコババ事件もここまで出てくれば日本は世界に恥ずべき国家(ないしは国民性)とも言えます。国際ビジネスの世界でももちろん賄賂や癒着といった話を避けては通れません。
 ある日、日本のクライアントの社長から中国の提携工場へ提示する書類を至急和英両方で作成してほしいとのご依頼がありました。内容は同社の社員に対する贈収賄禁止や知的所有権保護、機密保持に関するものでした。仕入を管理する社員に対し、単価を上げてほしい、上げてくれれば一部をその社員に還元するというもので、工場2社から同時にその話が持ち上がったというのです。同社ではリスク・ヘッジのために売れ筋商品は同じアイテムを2工場で同時に生産していることもあり、この2工場でつるんでの話だと思います。「それにしてもその社員さんが正直で良かったですね。」と私は社長に言いましたが、地方都市の小企業らしく、社長から社員まで家族ぐるみでの密な人間関係や個々の純朴さなどが事件に発展しなかったのでしょう。
 海外に進出している日本企業からもよくこんな話を聞かされます。小口の購買を現地スタッフに任せきりにしていたら、納入業者と癒着しており高めの納入価格で請求をおこし余分な利益を業者と現地スタッフで山分けしていたという話です。特に途上国では物価そのものが安いために高めの請求をされ続けても日本人の管理者は気づかないことが多いという盲点もあります。このような場合は購買業務を 1人に任せない、購買担当を定期的に異動させる、納入業者の見直しを定期的に行なうなどして予防策としているようです。
 逆に賄賂そのものを収益とするビジネス・モデルもあります。米国の大手量販チェーンなどでは中国をはじめとするアジアからの買付業務をエージェントに外注するケースが多いと聞きます。自社で商品知識や仕入先(国)に関する専門知識を持つバイヤーを養成するコストや米国からわざわざ出張するコストが削減できるからです。売買契約も決済も量販店チェーンとアジアの工場で直接行なわれます。決済価格には買付エージェントの報酬も含まれているとされ、量販店側はエージェントに報酬を一切支払わず、エージェントは工場と交渉して報酬を受け取ってください、という方式です。米国の量販店チェーンの買付金額は莫大なもので欲につられて群がってくるエージェントも多いのでしょうが、下手をすれば量販店と工場双方から見捨てられるリスクもあり、高度な専門知識や工場と密なパイプがない限り安定した稼業とは言えそうもありません。
 会社員の頃取引していた米国の国際企業は世界中に駐在員事務所がありましたが、契約工場(世界で数百ありました)との賄賂や癒着を防ぐために規則があり、個人の判断で受けてよい接待や土産物も 1回いくらまで、 1点いくらまでという金額が決められていました。それ以上の金額については本社にいる所属長の許可が必要で、品物の場合は会社へ納めるという規則になっていました。もちろんこの規則は工場側にも提示されますが、賄賂や癒着はゼロにはなりませんでした。
 賄賂や癒着に陥りやすい原因を私の経験から分析すると、まずそれが慣例となっている業界や企業の風土です。時として当人たちに罪の意識すらない場合もあります。次に生活ないしは経営に窮している場合。これは不慮の事故に遭遇して困窮するケースを除いては、ご本人の能力にみあわないライフスタイルや会社経営をしているのが原因です。道楽や買い物にお金がどんどんほしいという場合もあるでしょうが、人間幸福なら道楽も買い物もほどほどで満足できるはずです。不正に得たお金を投入してまで道楽や買い物に走るのは「不幸」というレッテルを貼って歩いているようなものです。そのほかに 1円でも多く自分の所属する企業や他人から搾取したいという性格の人もいます。社会や企業に対する恨み、つらみが原因の場合もありますが、それが役得とくらい考えているケースがほとんどではないでしょうか。いずれにせよ、不正行為は長続きしないばかりか、一生を台無しにすることもあります。昔は日本では「欺く人が悪い」という倫理観でしたが、犯罪も国際化につれ「欺かれるほうが間抜け」という論調に変わって来ました。「人を見たら泥棒と思え」という世の中では人間関係はますます希薄になるばかりです。
河口容子
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[252]運命と宿命の違い

 私にとって韓国ドラマの面白さのひとつは何気ない名セリフです。印象に残っているものとして「運命は前から石が飛んで来るようなもの、避けようとすれば避けられる。一方、宿命は後ろから飛んで来る石で避けようとしても避けられない。」というのがあります。自分が努力しても変えようがないもの、あるいは選択肢がないものを宿命とするならば、たとえば年齢、性別、人種、などを差別やいじめの原因は宿命的なものに多く、人間の世界は実に悲しく、おろかとしか言いようがありません。
 会社員になるとします。これは運命の部類です。その企業を選択しないという自由もあるからです。ところが、仕事を始めてみると、自分の好きな仕事はなかなかさせてもらえません。「会社を辞める」こと以外は、仕事も上司も選択の余地はなく、もう宿命に近い生活となってしまいます。ところが結構日本人はこの宿命に流されるのが好きです。時々同僚とお酒を飲んで会社や上司の悪口を言ってうさを晴らすものの、「生活のため」だの「我慢していれば給料はもらえる」、「転職したり、独立するリスクと比較すればまし」などといろいろな理由を考えては定年まで会社にしがみつく人が多い。
 2000年12月14日号「起業家時代」で会社員を辞め起業した理由を書かせてもらいましたが、今考えてみると上述の宿命に流されるような会社員生活が耐えられなくなったからかも知れません。起業すれば、まさに運命の旅路、日々前から飛んで来る石との戦いで、致命傷となる岩は避けねばなりませんが、逆にダイヤモンドとまではいかずとも小さな宝石くらいは手につかむ事もできます。
 起業して 8年目に入りましたが、商権も何もなくゼロからの開拓です。香港のビジネスパートナーは会社員時代に上司の紹介で 1回だけ会った事がありますが、一緒に仕事をしたことはありませんでした。あとの取引先は会社員時代からのつながりは一切ありません。考えてみれば、名もなく、お金もない会社ですから、私自身を信用してくださって皆さんお仕事をくださったわけです。それが中国から東南アジアまで広がっていると思うと、ありがたいを通り越して、それぞれの方との出会いという運命の不思議さを感じます。
 もうすぐ、ベトナムの商社に勤務する女性の部長が日本にやって来ます。元国営の企業で彼女は日本語も英語も堪能なエリートですが、人柄の良さは天下一品、真面目な努力家でもあります。そもそも 1昨年ハノイに講演に行った際にベトナムの政府機関から急遽訪問を依頼されたのがこの商社で、社長の隣に彼女が座って通訳をしてくれたのが最初の出会いでした。彼女は日本市場の担当をしていますので、以来、彼女が来日したとき、私がハノイへ行ったとき必ず会うようになりました。
 彼女と急速に親しくなったのは、昨年彼女が展示会に出展のため来日したときのことです。ちょうど展示会の最終日で彼女は展示物をしまうダンボール箱を探していました。私は彼女を日本の取引先に連れて行ってあげることになっており、そこでついでにダンボール箱をおねだりしました。サンプルや書類で荷物いっぱいの彼女は「ありがたいけれどどうやって展示会場へ持っていこうかしら?」「たたんで持って行けばいいじゃないの。私が持ちますから。タクシーに乗れば平気ですよ。」と私。日本の取引先はあわててタクシーをひろいに走って行ってくれました。タクシーの中で彼女は「正直、日本の方々がこんなに親切にしてくださるとは思いもしませんでした。」とぽつり。どうやら運命はダンボール箱という小道具を用意してくれたようです。
河口容子
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