[225]コラボはチカラ

 「貿易コンサルタントなんて職業は聞いたことがない」と私が起業したとき周囲の人たちはかなり不安視しました。しかしながらニーズがないことはないと確信し、誰もやっていない職業ならば競争が少なくてすむと私はプラスの方向に考えました。よくある職業というのは市場も大きいのでしょうが、それだけ競争が厳しいはずです。案の定、当初簡単にクライアントは見つかりませんでしたが、はまり役の仕事があれば競争はほとんどありません。評価さえしていただければそれが関係者にも伝わり自然にお声がかかるので、特殊な技術者や職人芸の世界に似ている気がします。営業活動や広告宣伝に経費も時間もかける必要がありませんので素晴らしく効率的です。おかげで、経理処理から事務用品の手配、郵便物を出す、法人税や消費税の申告にいたるまですべて1人でやっています。
 先月末、ある経済研究所からあるテーマについてタイとベトナムに関する調査報告作成というお仕事の依頼をいただきました。アセアンの専門家というのを先方がご存知だったからです。現地に行く必要はないものの作業期間は 3週間弱しかなく、他の重要案件をいくつか持っているのでこれひとつに専念もできません。仕事の内容としては大変興味深いものでしたし、おそらくこの仕事をこなせるのは日本で数人いるかどうかです。理由としては土地勘があり、英語と日本語を自在に操れ、PCの必要なソフトを使いこなせ、ビジネスマンの実務的な観点からの分析や提案をまじえながらのレイアウトにまとめあげなければいけないからです。お断りしたら相手も困るだろうというのがまず頭にありました。
 母が元気な頃は朝 5時ごろまで残業して仕事を間にあわせるのは何ともありませんでしたが、 2年前に母が目の病気を患って以来、庭先のアパートの管理も含め家の仕事のほとんどは私の担当です。また、急に病院について行かねばならないこともあるので時間の余裕は残しておかねばなりません。おまけに自分自身も体調が万全とは言えませんでした。そこで取った解決策は、同業の知人にコラボをお願いすることでした。責任と報酬を折半して、私を時間と体力消耗から解放し、かつ、互いの専門性を補完しあう事により、さらに良いものを作るのが目的です。
 成果が残せれば、今後の発展性へとつながります。サラリーマンの場合はきちんとした理由さえあれば多少の失敗があっても職を失うことはまずありませんが、私たちのような独立したコンサルタントとなると失敗すれば、他の仕事にも影響しかねません。これはと思った仕事は逃がさず、それも必ず成功させる必要があります。物理的に難しい、でもやりたい、という場合、コラボはまさに力です。
 コラボに必要なのは「人選」です。今回上記の方にお願いした理由は、英語力と貿易のスキルはもちろんのこと、この方の持つ専門性が調査目的と一致すること、タイのビジネスに詳しいこと、そしていつも時間に几帳面な方であることです。60歳を越しておられるのに私が教えていただくほどPCの達人であることがわかったのも嬉しい誤算でした。プロ同士が持てる能力を存分に発揮しながら協働、発展する、これがコラボです。また、お互いのスキルや経験への尊敬や協調性も美しいコラボへの秘訣です。
 日本では経営資源(ヒト、モノ、カネ、情報)は大企業に集約されており、昨今は大企業どうしの合併や提携も多く、ますます弱肉強食の産業構造になりつつあります。私のような小さい企業が生き残るには「高度な専門知識」「提案力」「フレキシビリティ」が勝負、日々の研鑽と時には効果的なコラボの力が不可欠です。
河口容子

[222]みかんに祈りを

 2007年 1月 7日号「待ちわびる便り」で触れたシンガポールの上場企業が来日、いよいよ日本の上場企業と初のミーティングを行なうことになりました。私自身は寒さに弱く、風邪、消化器疾患、アレルギーによる不眠と12月中旬から体調がすぐれない上に、この日程が決まってから準備に忙しく、心身ともにぼろぼろになっていました。ところが外見は明るく健康そうに見えるらしいので、誰もいたわってくれません。
 もともとこのシンガポール企業は同国ベスト15に入る国際企業でいろいろな賞を受賞している歴史あるエクセレント・カンパニーです。ふだんなら私の会社がどう逆立ちしても相手にしてもらえないレベルです。シンガポール国際企業庁のプロジェクトを手伝わせていただいていたおかげでこのシンガポール企業のオーナー一族と知り合うことができ、一方10年来の知人がこの日本側企業の事業計画のコンサルタントをしているという巡りあわせで 4ケ月がかりでミーティングが実現しました。
 私自身はどんな案件でも全力投球して準備をします。そうすれば、たとえ良い結果が出なくても後悔しないからです。手抜きで失敗するとクライアントに申し訳なく思うのはもちろん、努力ができなかった自分を一生責め続けることになります。準備期間中は夢でうなされることもしばしばです。「ほどほど」や「気分転換」という言葉は私には通用しないので、とにかく当日倒れない事だけ必死で祈りながら準備を続けます。
 ミーティングの前日にシンガポール企業のトップ E氏が泊まっている某超一流ホテルで事前打ち合わせをしました。来日前にそのホテルのおすすめのコーヒーラウンジとバー、偶然にも E氏のファーストネームと同じ名前の宴会場がホテル内にあること、滞在中の東京の気温などを知らせておきました。しっかり冬服で現れた E氏は前回会った9月の末よりかなりやせた感じで、今回のミーティングに臨む緊張感が私にまで伝わって来ました。何せ日本市場進出は彼の長年の夢でした。
 私はお土産のみかんを手渡しました。同社では香港で全社の50% 以上の売上をあげています。香港ではみかん「橘」は「吉」と音が似ていることから縁起ものです。「香港ではみかんは縁起ものと聞きましたが、ご存知ですか?」「知っていますよ。私の母は香港人だから。」みかんに祈りを託す私の気持ちを悟ってか E氏の顔が思わずほころびました。そして英文の東京の地図とガイドブックを渡すと「本当にありがとう。実は探してもなかなか見つからなかったのです。」と笑みがこぼれました。
 そしてミーティング当日。ここまで来ると「あがる」とか「緊張する」ということは一切ありません。ここに来るまでに十分苦しみに苦しみぬいているからです。プレゼンの資料は日本人に理解してもらいやすいよう私がアレンジしシンガポールのスタッフたちとメールでやり取りそしながら用意しました。パワーポイントは英文ですので、 E氏か部下の S氏が説明をし、私が通訳をする予定でした。ところが講師癖がついているせいか、パワーポイントを見て思わず説明をし始めたのは私でした。あたかも自社の説明をするがごとく、手元資料も見ず堂々とプレゼンをする私やしきりに相槌をうったり感心の声をあげる日本企業側の反応を見て E氏はあきれたように、そして嬉しそうに微笑みました。日本語がわからないにも拘らずタイミング良くスライドを切り替える S氏の勘の良さにも笑えるものがありましたが、まさに以心伝心とはこの事です。
 席上日本側から披露されたのは昨年ある日本のメガバンクがこの日本企業に紹介したものの日本側がお断りをしたという背景でした。シンガポールのコンサルタント会社複数もうまく取りまとめることができなかったことは知っていましたが、メガバンクでさえ実現できなかった第1回のミーティングを私が成功させることができたのです。今後日本側企業にて3つの観点から事業提携の可能性を検討してくださることになり、プレゼンの内容が実にすばらしく当社でも学ぶべき事がたくさんあるとおほめいただきました。
 今回の仕事で、人間関係やタイミングの大切さを嫌というほど思い知らされましたが、友人に言わせれば「人間関係もタイミングをつかむことも1日して成らず。」私の会社はとても小さく、私自身は丈夫でもないし、もちろん天才でもない、でも精一杯頑張れば幸運の女神が微笑んでくれると思えた一日でもありました。
河口容子