[218]共感のビジネス・クリエイター

 総合商社を辞めて起業した時に友人に「格好良く例えれば有名オーケストラの団員を辞めでソリストになるようなもの、有名オーケストラの団員は人間関係も難しいけれど看板がある。ソリストは自由に動けるものの果たしてたった 1人で世間に通用するかが心配。」と言いました。彼女はプロのライターだけあって「団員に強い個性は要らないけれど、ソリストなら芸風が必要。」とずばり言いました。私の起業目的は、総合商社の規模の論理ではカバーできない、小さな企業の国際化の願いをかなえること、そしてその活動を通じて途上国の発展に少しでもお役にたてればというもので、それをまずめざしました。
 私の会社は自分が100%出資しており借入金もないため、あらゆることを何の遠慮もなくひとりで決定しますが、生来、頑固な性格ですので決めたら妥協はしませんし、たとえどんなことがあっても責任をまっとうする覚悟でいます。お仕事を引き受けるキーワードのひとつは「共感」です。「社会に貢献したい」「他人を喜ばせたい」「真面目で努力をいとわない」「チャレンジ精神がある」「結果だけを追うのでなく、過程も大切にする」「質実剛健なライフスタイル」「学びや感謝を常に忘れない」「社会的弱者への温かい目を持つ」といった経営者に強く共感を覚えます。
 たまに趣味道楽がこうじて輸入ビジネスを始めたい、それが夢だった、というような方からご依頼がありますが、これは共感する部分がなければ仮に 1億円出しますと言われたところでお請けしません。また、決まった商品を決まった相手と取引をするお手伝いというのもお請けしていません。それなら私でなくてもお手伝いできる方は世の中にたくさんいらっしゃるからです。という訳で新規商品や取引先の開拓、海外生産のような新規のビジネス・スキーム、政府機関のプロジェクトのサポートといった国際取引が私の専門分野となっています。
 私が請求する報酬はとてもリーズナブルなものです。「そんな金額であなたに動かれては困る」と同様のサービスを提供する企業にお説教をくらったことも何回かあります。でも私のことを信頼し、活躍できる場を与えてくださったクライアントへのお礼と共感や尊敬の念からその価格が妥当であると思っています。また、これは自分の企業努力により出せる価格です。ただし、ひとつの目的に対しては 1年間の契約しかしません。緊張感や集中力は長く続くものではありませんし、クライアントと惰性で相対するのが嫌だからです。とはいえ、違う案件でも再度ご依頼をいただいたり、お取引先にご紹介してくださるなど共感のネットワークがどんどん拡大していきます。
 よく「知的な職業で素敵すね。」とお世辞を言われることがありますが、時差、気候差を乗り越え、忍耐力や集中力を必要とする仕事ですので、究極の肉体労働ではないかと思っています。2006年は 3度ベトナムを訪問、 OEM生産先の決定や政府機関主催のセミナーも成功しましたのでベトナム・イヤーとなりました。2007年の「共感のビジネス・クリエイター」としての初舞台は日本とシンガポールの上場企業どうしのビジネス提携を取り持つことです。読者の皆様にも実り多き 1年でありますようお祈り申し上げます。
河口容子

[211]心が通うとき

 私が国際ビジネスの世界に入ってから30年になります。異文化コミュニケーションの上にビジネスを構築して行くわけで、よく言えば「粘り強く」、悪く言えば「しつこく」なり、その一方で大抵のことでは腹も立たなくなり「冷めた人間」ときには「もともとやる気がないんじゃないか」などと勘ぐられたりする事もあります。ときには魂まで吸い取られたのではないかと思うほど疲れることがあっても、心が通いあった時は本当にこの仕事に就いて良かったと思います。
 先週まで4週にわたり、中国とベトナムの出張について書かせていただきました。東莞の工場から駅へ向かう車の中で韓国人の32歳の L担当者は将来独立してどんなに小さくてもいいから自分の会社を作りたいという夢を語りました。同行のクライアントの F社長も私もゼロから起業した人間ですのでそれぞれ経験談などを彼に話しました。帰国後 F社長はお礼のメールの最後に「Lさんのこれからの夢が実現しますことを、そして、その夢の実現に私たちもご協力ができますことを祈願しております。」と添えられました。 F社長は純粋で明るく何事にも前向きな方ですので外交辞令ではありません。 L担当者からの返事には「先日は色々と有難うございました。夢についても考えるきっかけを作ってくださってまた頑張れる力を頂きました。有難うございます。」と日本語で書いてありました。私はこの見事な気持ちのやり取りを何度も読み返しました。この気持ちを忘れずにビジネスを続けていってほしいものです。
 別途私もお礼のメールを出し、ベトナムの工場長には「台風は大丈夫でしたか?何の被害もなかったことを祈っております。」と書き添えました。私たちは台風であやうく欠航になるかも知れないところを飛び立ったのです。「メールを拝受いたしました。昨日から風がとても強いものの無事に過ごしています。お気遣いありがとうございます。」と待っていましたとばかりに返事が帰ってきました。ベトナムで面談中に「ところで皆様は当社のためだけに今回出張をされているのですか?」と工場長に聞かれ「もちろんそうです。」と答えると、工場長はしばらく頭を下げたままでした。私たちの誠意や意欲を汲み取ってくれたと確信した瞬間でした。思いおこせば、成田-香港-東莞-香港-ホーチミン-ドンナイ-ホーチミン-香港-成田と移動ばかりの旅でした。
 感動にひたっている間に香港のビジネスパートナーの弟のほうから久しぶりにメールが来ました。彼は弁護士であり、上場企業も買収するほどの投資家でもありますが、仕事についてはただ多忙であるとだけ伝え、娘が英国の大学で修士号を取ったこと、今度は息子が英国に法律の勉強に行ったことが書いてありました。彼は夏が終わるとアレルギーになり、日本のある軟膏が一番効くとうので時々まとめて買って送ってあげるのですが、「いよいよ軟膏の季節だよ。名前を忘れちゃったんだけど、覚えているよね?」「忘れちゃったですって?仕事のし過ぎよ。」こうした私用を頼むのは気がひけるのか、兄の海外出張中に依頼が来ます。そのくせ、メールのコピーは兄に落としているというお茶目な一面もあります。
 数日たって兄のほうがベトナム出張から帰ってきました。弟に負けじと延々 1時間半チャットをしました。兄はチャット大好きで絵文字まで出て来ます。彼はホーチミンに投資をして企業を持っていますが、中部でも新規に投資をするようです。私の東莞とドンナイでの話に触れ「君がそこまで良いと言うなら僕も行ってみるよ、どうやって行くの?後で名刺の漢字の住所をスキャンして送ってくれる?」ふだんは広州に住んでいることの多い兄ですが、日本人の私に隣町東莞への行き方を聞くなんて、と思わずふきだしてしまいました。
 この兄弟たちとも当初は激論バトルでへとへとになる日が多かったのですが、今では余計な説明は一切いらなくなり、効率も気持ちのゆとりもぐっとアップしました。特に彼らが普段のビジネスシーンでは見せない優しさやユーモア、弱さを私には思いっきり披露してくれるのも「私の香港の兄弟」と思えるゆえんです。
河口容子