[044]輸出立国か輸入大国か

ふと気がつくと身の回りは「中国製」の商品だらけとなっています。中国が世界の工場への道を驀進する中、へそまがりの私は日本製品をせっせと香港や中国に輸出しています。いくら高度経済成長をとげたとはいえ、人口が莫大とはいえ、まだまだ経済格差があり、案外合理的な中国人のこと、日本製品が飛ぶように売れるとまではいかず、少量多品種の展開となります。商談から船積みまで、ひとりでこなせるというフットワークの軽さを生かして、一応大手総合商社がうらやむようなビジネスのクオリティを保っています。
輸出の書類作成でパッキング・リストの作成というのがあります。その資料として梱包ごとにナンバーをふり、何か入っているか出荷者たるメーカーまたは問屋にリスト・アップしてもらうのですが、これが簡単なようでなかなかできません。確かに国内の流通では明細書はあるものの、どの梱包に入っているかまで明記するケースはほとんどありません。日本では検収払いと言って、受け取り側が開梱して中身をチェックしてから支払うという方式を取って入るところが多いせいかも知れません。この小学生でもできそうな仕事をお願いすると今の日本人は絶句したり、中には怒り出す人もいます。
また、「日本円で香港から送金してもいいですか」、とたずねただけでも、「そんなことはしたことがない」と私の会社から「普通の」銀行振り込みで払ってほしいと言われます。いずれも国内取引がメインですが、そうそうたる企業にしてこのありさまです。ところが、これら企業のほとんどは輸入はやっており、きっとアジアの工場には無理難題をふっかけて質面倒くさい作業をやらせているはずです。他人には強制するくせに自分はできない、何と情けないことか。
この話を貿易に携わる何人かにしたのですが「いつの間にか日本は輸入大国になってしまった」と異口同音に答えました。日本は素材を輸入し、加工して輸出する貿易立国だったはずです。つまり国内の製造業がしっかりしていたということです。
私が総合商社に入社した時は船舶部という部署に配属されました。造船王国ニッポンの最後の時期です。私の会社は輸出船舶の取扱シェアは日本全体の半分以上ありましたから、文字通り世界一の部隊にいたわけです。大手造船所の輸出営業の部署に行けばどんな資料も見積もするすると英語で出て来ます。社内の回覧物と伝票しか日本語は見ないという毎日でした。今も輸出の比率が多いメーカーなどは同じような状況なのでしょうが、現地で生産し現地で売るというパターンの海外進出がさかんな現代ではきちんとした輸出のスキルを持っている人も減りつつあるような気がします。
また、日本の産業構造も偏っていて、輸出入ともにバランスが取れているという企業はあまりありません。従って、輸出入ともにこなせる人材はさほど多くありません。輸出と輸入は一見逆のことをすれば同じではないかと言われるかも知れませんが、輸入はいかに良い商品を確保し迅速かつ安全、安価に輸送するかが腕の見せ所であり、輸出はいかにお金を回収するか異なる気候風土、文化のもとでいかにクレームを防ぐかが決め手です。ビジネスあるいはマネージメントという観点からは異なるリスクを背負うものであることは確かです。
河口容子

[040]インドネシアの歴史に触れる

 今回の出張が決まってからふと見た星占いに「世界遺産と関係がある」と書いてありました。その後、インドネシアでの日程がジャカルタだけだったはずが急遽中部ジャワの古都ジョグジャカルタへも行くことになりました。ジョグジャカルタは世界遺産ボロブドゥールのお膝元です。星占いもまんざら嘘ではないと思いつつ、ぎっしり詰まった仕事のスケジュールにとてもボロブドゥールへ行くことはあきらめざるを得ませんでした。ところが、ジョグジャカルタでの最終日、仕事が早く終わり政府機関の担当者が「ボロブドゥールに行きましょう。」と言ってくれたのです。これで星占いは大当たりとなりました。
 ボロブドゥールは世界最大にして最古の石造りの仏教寺院です。 8-9世紀に建立されたと推測され、誰が何のために作ったかは未だに謎です。安山岩の高さ 35mのピラミッドで 9層の回廊の総延長距離は約10kmとなります。第 4回廊までは方形をしており、第3回廊までは石レンガに釈迦の物語が精緻にレリーフとして延々と続きます。上部の円壇は無色界、ベルの形をしたストゥーパ群の中に仏像が安置されています。そして最上階には解脱を表し大きなストゥーパの中は無です。現代のような建設機械や工法もなく、設計技術もない時代にどうしてこのような巨大にして精巧な建物が作れたのでしょう。何という壮大な想い。ひょっとしたら人間は退化しているのではないかとも思いました。そして立体曼荼羅とも取れる意味の深さ。夕日が仏像の頬に金色の筋を投げている写真を撮ることができました。
 この日は午前中に 2社と面談、政府機関とのミーティング、昼食、車で 1時間かけてボロブドゥールに行き、ハイヒールで回廊を歩き登り、そしてジョグジャカルタ空港へ直行、首都ジャカルタへ飛行機で戻るという過密スケジュールでしたが心洗われる気分を味あわせてもらいました。それにしても参道を歩く私たちを追うように次々と現れる土産物売りと身障者も混じっている物乞いの異様な多さはこの国のまぎれもない現実の姿です。悲しいため息が出ます。
 ジャカルタでの翌日は、休日でした。現地の友人におねだりをして歴史好きな私としては北ジャカルタのコタ(旧バタビヤ街)に連れて行ってもらうことにしました。オランダの東インド会社ゆかりの地です。もともと華人の多い地域です。人口のたった数パーセントの華人が富の 8割を握るインドネシア経済です。1955年あたりから華人の徹底的な差別主義をこの国の政府は取っており、中国姓を名乗ることも中国語を話すことも中国の伝統行事を行うことも長らく禁止されてきました。しかしながら、アジア通貨危機以来、華人の資本引き上げがこの国の経済に打撃を与え、現在ではしだいに中国の伝統行事も認められるようになり、今回の出張では蘇州のランタン祭りの会場や新聞記事を目にすることができました。
 1998年のジャカルタ暴動では華人の商店街が襲撃され大きな被害をこうむりましたが、時が止まったかのようにシャッターをおろしたままの商店もたくさんあります。さて、お目当てのジャカルタ歴史博物館は1707年に建てられたバタビヤ市庁舎跡。大砲や当時の政府に抵抗した人々を収容した牢も見ることができます。続いて伝統芸能のワヤン(影絵、人形劇)の博物館、そして植民地時代の高等裁判所跡の美術・陶磁器博物館。中国や日本の古い陶器のみならず現代のインドネシアの芸術家の作品をたくさん見ることができます。そしておしゃれな内装で知られ外人観光客でにぎわうカフェ・バタビアでの昼食はチーク色に囲まれた伝統ある国際都市の姿です。
 インドネシアの奥深さは民族、言語、宗教の多彩さのみならず、富と貧困、西洋と東洋という対極のものが歴史的に混じりあう中、アジア的なバイタリティとなって南国独特の景色の中に溶け込んでいるという所にあるのかも知れません。
河口容子