会社員の頃から相手にお会いせずに取引が終わることはありません。必ず商談があり、成否はアポイント取りから始まっていると言っても過言ではありません。今号ではアポイントにまつわる思い出をご披露させていただきます。
2008年 5月15日号 「Thank Youレター」に出てくる米国企業は私がまだ会社員の頃の話ですが、用事があればいとも簡単に呼びつけられるにもかかわらず、こちらからご挨拶に伺うなどと言ってもまったく取り合わない会社です。では特に用もなかった私がなぜ簡単に VIPの訪問がかなったのか。ひとつは私の仕事ぶりを過大評価してくださっていたこともありますが、同僚の米国人の女性管理職に根回しをお願いしたことが大きいと思います。彼女は入社以来10何年もこの企業を現地支店で担当しており、東京本社でも彼女ぬきにはこのビジネスは語れないほどです。彼女は上手にミーティングの議題を作り出し、単なる表敬訪問(同社は時間の無駄と公言しています)に終わらせないような仕掛けをしてくれました。しかもランチ・ミーティングで相手の仕事の邪魔をせず、くつろいだ雰囲気にする配慮もしたのです。日頃親しくしている人が用意周到でアポイントを申し込めば、最低でも10分や15分の面会はかないます。
私がアポイント取りに冷や汗をかくのは香港のビジネス・パートナーが来日する時です。2005年 9月 8日号「嵐を呼ぶ男」でもふれたとおり、日本到着の 2-3日前にスケジュールの連絡が来ることが多く、だいたい 3-4日の滞在の間に国内出張もします。多いと 1日に 3社くらいのアポイントを入れますのでこの調整と切符の手配、ホテルの予約、私が預かっている日本用の携帯電話をチェックイン前にホテルのフロントに届けておくなど、てんてこまいです。出張者がひとつでも多くの成果をあげたいという気持ちはよくわかりますのでエンジン全開で準備をしますが、せめて 1週間くらいのゆとりを持って知らせてほしいものです。ただし、ありがたいこともあります。ありとあらゆるリクエストをして来るものの、全部かなわなくても絶対文句を言わないことと、私が時間厳守であることをよく承知していて時間通りに動いてくれることです。
コミュニケーションが悪く窮地に立たされたアポイントもあります。2002年11月14日号「億万長者とビジネスする方法」に出てくる商談です。広州でビジネス・パートナーから「あなたが香港へ戻ったらP社の社長と会えるように手配してあるらしい。うちの社員のH君とEさんも香港から合流させるよ。」と言われたのですが、香港の駅にP社から迎えの車は来ていたものの、H君とEさんの姿はどこにもありませんでした。P社に着いても二人はいっこうに現れる様子がなく、社長室に一人で通されたら部長クラスの女性があと 3人もいた、という大番狂わせです。この企業は上場企業ですから、社長と会うのなら細かい商談にはならないと予想していたのです。ところが、そこでこの 4人から一斉に取引条件など詳細について英語で集中攻撃を浴びることになりました。ビジネス・パートナーの会社も絡んでいる話なので勝手にすべてを判断はできず、かと言って「相談してから」を連発すれば子どもの使いのようになってしまいます。幸い、土壇場になればなるほど腹のすわる性格なので何とか不信感なく自然に(内心は必死に)その場をしのぎました。このアポイント取りに関してはおよそ10人くらいの人が関与しており誰も全容を把握しないまま実行されたたようです。以後、出席者や議題については念入りに確認することを怠らなくなったのは言うまでもありません。
河口容子
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5月で起業して 9年目を迎えます。数年前、ある会合で出会った税理士の方から「起業されるのに随分悩まれたでしょう?」と聞かれましたが、実はほとんど悩みませんでした。資本金の 1,000万円は退職金の一部を充当しただけです。もともと趣味は仕事以外にほとんどなく、自分にお金を使わなかった人生だからそのくらいのご褒美をあげても良いと思いました。高級車か宝石のかわりに自分の会社を自分に買ってあげたようなものです。これも投資の一種で、仮に 100万円しかリターンがなくても年 1割の利回りでそんな良い金融商品は他にないと思えば気持ちがとても楽になった記憶がします。
「起業すれば、儲けても、儲けなくても、辞めるまで悩みはつきることがない。」とよく言われますが、特に私のような 1人企業の場合は「孤独に強い」「自己完結型の仕事能力」「向上心」が必要だと思います。会社員時代の女性総合職の先輩の「専門家に依頼するのはお金さえ払えばいつでもできるのだから、知識を広めるためにもできることは何でも自分でやってみたら」というアドバイスはもともとケチで猜疑心が強く、依頼心のかけらもない私の性格にぴったりフィットしました。法人登記も自分ひとりでやりましたが司法書士に頼むより早かったと思います。法人決算も最初は専門用語に苦戦しましたが、今では税務署員なれば良かったと思うくらいです。
会社員時代は船舶、化学プラント、経営企画、新事業、物資とあらゆる分野を経験し、 2度出向経験もあり、 M&Aも手がけたことがあります。しかしながら、昔の経験やノウハウだけでは独立したプロとして生きてはいけないと思い、常に新しい事にチャレンジしてきました。切花の輸入、国内外の公的機関向けのお仕事、専門分野での執筆などは起業して新しく得た経験やノウハウです。
今新たに挑戦しているのは、酒類の輸出です。輸出は免税取引ですので酒税の免税処理の書式をどうするかで鹿児島と新潟のメーカー、通関業者、税関、税務署間で見解の違いがあり調整に時間がかかりましたが、「大変良い勉強をさせていただいた」と申し上げたところ、皆さん同じようにおっしゃってくださったので連帯感が一気に強まった気がしました。「面倒くさい」「不快だ」と怒る人も世には多いことでしょうが「良い勉強」と思える向上心や懐の深さを持つ方々に出会えて本当にうれしい一瞬でもありました。
日本の製品輸出拡大、日本食という文化の輸出、地場産業の発展、という意味でも酒類の輸出は国策に沿ったものです。日本と相手国の「国策」をチェックすることは貿易を考える上で重要です。通常は利益や需給バランスのみに踊らされがちですが、国策にあうものは奨励制度などがありスムーズかつ有利に取引が進みます。特に鹿児島のメーカーは商社経由はもちろんのこと、自社でも直接コンテナ単位で輸出しているとのことで、工業製品の輸出国日本ではなく、クオリティの高い農産物、加工食品の輸出国という新しい顔も見えてきたような気がします。
河口容子
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