[178]ものづくりマニア日本人

 私が総合商社に入社したのは1976年ですので、貿易を中心とした国際ビジネスの世界に入って30年になります。今でも日本製品を香港と中国へ輸出し日本製品のセレクトショップ展開を行なっていますし、日本のクライアントのためにベトナムでものづくりを始めようとしています。また、アセアン諸国では生活雑貨のメーカーに対する日本向けマーケティングのアドバイスや講演を行なっています。その中でいつも感じることは日本人ほどものづくりの好きな国民はいないということです。
 たとえば、通販、私自身も会社員の頃この業界に携わったことがありますが、商品の写真や説明にあわせ必ずといっていいほど制作工程であったり、工房や工場の説明や写真が出て来ます。このようなことに興味を持つ国民は日本人くらいのものでしょう。事実、昨年のベトナム講演でそのように言ったところ現地の新聞にまでわざわざ取り上げられたくらいですから印象的な事柄だったのだと思います。また、香港や中国でもその商品を好き、とか品質が良い、というような消費者のコメントはあっても「どのように作るか」まで思いをはせる人は少ないようです。彼らにとってモノはモノでしかあり得ないのです。
 また、日本人はものを作る人を尊敬します。現代はお金さえ儲かれば「何でもあり」の価値観に傾いてきてはいるものの、やはり報酬の多寡にかかわらずものづくりができる人を尊敬する心を失ってはいないと思います。プラモデルでも手芸でも作ることに価値があるわけで「完成品を買えるならそのほうが楽でいい、自分で作るなんてくだらないことである」と思う日本人はほとんどいないのではないでしょうか。むしろ誰もが「自分でも作れたらいいな」と思うものが何かしらあるはずです。
 一歩進むと「作ったものに作り手の魂が宿る」とまで考え、「粗悪品は恥である」「指示されなくても自ら改良をする」という日本人特有のものづくり精神が現れます。海外企業が「カイゼン」の専門家を日本に求めるのも不思議ではありません。ただ、これは精神論や気質的な部分もあり、マニュアルで外国人に教えるのは無理なような気がします。
 東南アジアの工場でマネージャークラスによく言われたのは「日本人はもっと良いものをもっと安く作るようにと強要するのはどうしてですか?安いものはそれなり、良いものなら高いにきまっているでしょう。」従って日本からの発注は検品がうるさい上に量が少ないということで、いきなり単価をつり上げられたり、最初から堂々とお断りということもあります。米国など品質もうるさく言わず莫大な量を一気に買ってくれる顧客を持っている工場ほどこういう対応になります。日本なら社員が優秀で簡単な仕事から難しい仕事へ異動させられたら誇りに感じるだけかも知れませんが、海外なら「ではいくら賃金を上げてくれるのか」と言われます。
 このものづくりへのこだわりは日本人の長所であると同時に世界的に見れば変わっているという自覚も必要です。特に途上国ではものづくりはお金を稼ぐ手段にしか過ぎません。「消費者になった気持ちで作りなさい」と言ったところで工場で働いている人たちは使ったこともなく、買えるような賃金ももらっていなかったりするのですから。
河口容子

[174]アジアの道義心

 シンガポールのリサーチ・コンサルタント会社の日本代表をお引き受けすることになりました。経緯は 1月12日号「簡単そうで難しい仕事」で書いたとおりです。あまりの熱烈ラブコールに「 1-2週間だけちょっと考えさせてください。」とお願いしたくらいです。理由としては、簡単にお引き受けして成果が出なかった場合は、お互いに時間もコストも無駄になるからです。最終的にはCEO の「私はあなたのアジア的道義心が好きです。ビジネスにおいてもお互いの尊敬、信頼、公平性そして友情を融和させる精神が好きです。」という一言で決まりました。米国のコンサルタント企業をわたり歩いてきた経歴の持ち主である彼からそんな言葉を聞くとは想像もしませんでした。
 ふりかえってみれば、2002年10月31日号「気がつけば華人社会の住人」で触れたように香港企業の日本代表をお引き受けしたときも「私を信じて。」という映画「タイタニック」の決めゼリフと「あなたの希望する条件を全部出してください。一切心配することはないから。」と言われたような記憶がします。
 日本の知人に言わせれば、「日本で国際ビジネスをコンパクトにひとりで仕切れる人は少ないから彼らが頼むのは理解できます。」たしかに、日本の総合商社や大手企業が多額の投資をしたり、大組織をあげて取り組むようなビジネスばかりが国際ビジネスではありません。特に私のジャンルは理論よりも実務ができること、それも短期間に実効をあげることが要求されます。私の立場はクライアントや海外パートナーに成功をもたらすことで、いわば内助の功、縁の下の力持ちです。決して敵対する存在ではなく、ましてや相手から利益を搾取するものでもありません。
 耐震偽装事件やライブドア事件以降、二極分化社会、お金だけの成果主義に関して見直す動きも出てきました。たしかに刑務所の塀を渡ってでも、他人を欺いてでも、という気がなければ、短期間で巨万の富は得られないでしょう。心がすさまない程度のお金があれば、どこに行っても友人が暖かく迎えてくれ、枕を高くして眠れる毎日のほうが私は幸福だと思いますが。
 会社員の頃、米国でもかなり先進的な国際企業の担当をしていました。日本法人にあっても、隣に座っている人でも口を聞かずメールで連絡をする、決められた仕事しかしないため隣の人のしている仕事内容を知らない、自分の電話以外は出ない、という企業でした。米国の本社には世界中から優秀な人材が自薦他薦を問わず入社してきますが、トップに近づけば近づくほど自分の出世しか考えない人が押し合いへし合いしています。下克上ですから、ポストを奪った者は次に奪われる運命にある過酷な世界です。
 ところが、異動で担当を変わるとき、日米実に多くの方々から感謝や激励、思い出をつづったメールをいただき涙しました。送別会や管理職自ら花屋さんで選んだ花束など部署ごとに心を尽くしてくれ仰天しました。冷徹な合理主義と理論一辺倒のこの米国企業に数年私は戸惑い、よく過労死しなかったと思うような日々を送ったかわりに会社員として素晴らしい業績も残すことができましたが、一番の喜びは私の中に「誠実で公平な態度」というアジア的道義心を見つけて評価してくれたことでした。
河口容子