[173]アジアのホリデー・シーズン

 早いもので今年の 5月には起業 7年目を迎えます。ビジネスのフィールドを中国と東南アジアに絞りこんでからは 5年ほどになりますが、この多彩な国々を象徴するのが、次々と秋冬に繰り出されるホリデー・シーズンです。まずは10月 1日から始まる中国の国慶節。
 昨年12月 8日号「続・アセアン横丁の人々」で紹介した国際家具見本市は11月下旬の開催で、そこで再会したブルネイの女性政府職員はちょうどラマダン月での来日でした。日没以降しか食事を取れない彼女に「ダイエットにはいい?」と聞いてみたところ、「夜、脂っこいものや甘いもので一度にカロリーを取るからかえって良くないかも。」と彼女は半分不安顔でした。断食明けのハリラヤ祭では日本の打ち上げ花火がブルネイの夜空に大きな花を咲かせたと報道を目にし、彼女もこの花火を見て、いつもの満開の笑顔に戻ったことを勝手に想像しました。
 そして、クリスマス。ジャカルタからニュージーランドのオークランドに移住した10年来の友人 D氏からは彼の母親と弟妹家族が住むオランダでのクリスマスを迎えたとのメールをもらいました。彼がオランダに行くのは何か重大な事が起こったとき、今回はどうやらニュージーランドで新しく始めるビジネスの報告や相談に行ったようです。私にも「どう思う?君は永遠の友達だから意見を聞いてから決断するよ。だからなるべく早く返事がほしい。」と書き添えてありました。私は彼のアイデアに賛成し、実務の相談相手としてジャカルタに住むある富豪のビジネスマンの名前をあげました。一緒に食事もしたことがある仲です。
 そして、D氏のジャカルタのビジネスパートナーであった女性の友人にも久しぶりにメールを書きました。2002年 6月13日号「アジア人から見たニッポン」の主人公です。「私みたいな変なのを覚えてくれていてありがとう。」「忘れたことはないわよ。だって私の父方の祖母に似ているんですもの。」「そうなの?私みたいなひっちゃかめっちゃかな方だったの?だったら思い出したくないわよね。」「あなたのようにとても明るくて、行動的な人だったわ。誰にでも親切だったし。」「それはありがとう。」そして、 D氏は母方の祖母にそっくりであることも話しました。「あなた方は神様が私に敬愛するようにお遣わしになったのだと思っているの。」「 D氏も近日中にジャカルタに来るから、じゃあ私たちの孫娘の話をするわ。」とユーモアたっぷりに彼女のメールは締めくくられていました。
 そして日本のお正月。日本のある取引先の社長は必ず元旦にメールをくださいます。そこで仕事の連絡などもついでにしてしまうのですが、中小企業の経営者というのは 365日仕事で頭がいっぱい、またそれも楽しみのひとつです。香港のビジネスパートナーとは、日本のお正月を機に「今年の方針」を策定するのが年中行事です。
 その次は中国の春節(旧正月)です。中国の経済成長に伴い、この季節には日本にも多くの観光客が訪れます。最近とみに感じるのは、外見ではまったく見分けがつかず、言葉を聞いて初めて中国の方だとわかることです。不調だった香港ディズニーランドもこの季節を迎え、入場規制が出たとのニュースを目にしました。
 東南アジアも旧正月はお休みのところが多く、昨年からコンタクトを始めたベトナムのハノイの総合商社もしっかり 1週間お休みです。2005年11月10日号「ローレンスと呼んで」のシンガポールのローレンスは旧正月の休みが明けたとたんコンピューター・ウィルスにやられ、私が持っているファイルを転送してあげることになりました。「アジアのホリデー・シーズンの熱狂ぶりを欧米人は理解しない」と欧米人のクライアントに不平たらたらのローレンスですが、ウィルスの熱狂ぶりにはさすがにショックだったようです。
河口容子

[165]競争社会

 東欧が自由主義経済になった頃、総合商社にいた私はチェコとハンガリーから家庭雑貨を輸入していたことがあります。チェコからはクリスタルのカットガラス製品を扱いましたが、社会主義時代には日本向けはある専門商社が独占的に取り扱っており高級品の代名詞のようなものでした。自由化とともに誰でも輸入できるようになったのですが、かなり面白い経験をしました。私の取引していたのはカット工場ですが、カットする前のガラス製品はまだ割当制で毎月どんなガラス製品が来るか来るまでわからないのです。「何を何個と発注してくれても作業中に割れることもあり、発注どおりにそろえられるかどうかわからない。金額の枠を決めてくれれば適当に見つくろって送ってあげる。その方があなたも楽でしょう。」というような言い方です。「日本の住宅事情を考えると大型のものは売れにくいし、日本人の好むデザインとそうでないものがあるから選択は必要だ。」と言うと「お金を持っているのならつべこべ言わずに買えばいいのに。」と言いたげな様子でした。また、「運賃を節約するために大量に出荷できないか。」と聞けば、「今の量で皆残業もせずに社員が十分に平穏な暮らしを送ることができるのだから、あくせく残業までして稼ぐ必要はない。」この一言にはあきれたと同時にひょっとして彼らのほうが日本人より豊かなのではないかと思いました。一方、日本では輸入業者間の競争でカットガラス製品はあっという間に値崩れ、儲からないので撤退が相次ぎました。
 これと同じ現象が中国段通(だんつう、じゅうたんのこと)にも起こりました。以前、中国段通は玄関の敷物として一家の自慢する高級品でした。これも指定商社制がなくなると、一斉に値崩れが起こりました。上のチェコの例はヨーロッパ的気質を感じさせますが、中国人は薄利多売が得意です。これは人口が多く、人件費が安いので今でも脈脈と生きている論理です。おまけにその頃の中国製品は安かろう、悪かろう、とにかくお金になれば手段を選ばずの時代でもありましたので、段通の品質も価格もあれよあれよという間に落ちていきました。買い手側の日本人も気にいらなければその工場を切り捨て次を探すという按配で、こういう競争の形態に入れば、日中双方ビジネスとしても感情的にも長続きせず、段通も商品価値を落とし最悪の結果となりました。
 これらが統制経済から自由競争時代に入ったときに起こったことです。今の日本も本当の意味ではやっと自由競争時代に入ったとも言えます。どちらかというと上の中国パターンに似てはいないでしょうか。企業も個人も二極分化が見られるようになりました。競争原理がはたらいて、より良い商品やサービスがリーズナブルな価格で提供されるのは素晴らしいことです。一方、努力できない、能力がないところが淘汰されていくのは仕方ないでしょう。ところが、競争社会には耐震強度偽装問題に象徴されるようにお金になれば手段を選ばずという企業や個人も出てくることは否定できません。自由競争の前提として誰もがチャレンジできる機会を公平に与えること、公正さが維持されることです。これなら、その結果に差が出ても誰もが納得できるはずです。
 私が起業をした2000年はITを始めとする起業ブームでした。あの頃は知らない人どうしでも一緒に仕事をしよう、会ってみようという自由な空気があった気がします。今は取引先が取引先を紹介してくれる、つまり実績や人脈がものを言う時代に変わってきています。ビジネスをとりまく犯罪が急増し、警戒心が生まれたとも言えますが、これでは能力があっても新規にビジネスを始める人にとってはチャンスがないわけで起業はできても長続きしない原因のひとつになっていると思います。
河口容子