[366]ヨルダン イラク パレスチナ

来週から JETRO展示場で「ヨルダン イラク パレスチナ展」が始まります。計25社が来日し、石材、食品、化粧品、ハンディクラフト(手工芸品)などを展示して、日本企業と直接商談会を行うものです。出展業者や商品の選定、および現地での指導に石材と食品の専門家が事前にヨルダンとパレスチナへ出向きました。私はハンディクラフトの担当として会場で出展業者へのアドバイスを行います。
貿易実務も含めてハンディクラフトのコンサルタントは日本ではほとんどいません。まずは商品の範疇が広いこと。日本ならば人間国宝を頂点とした伝統工芸、アート、民芸品、土産物、趣味の模型づくりからビーズ・アクセサリー作りだって立派なハンディクラフトです。もちろん各ジャンルでの専門家はたくさんいらっしゃいますし、総合して論じるのはプロダクト・デザイナーでも可能です。そこへ輸入実務経験、日本の輸入制度やマーケティングの知識、英語での対応、途上国での指導経験と条件がつけばつくほど、人材はいなくなってしまうのが日本の現状。これが私のよく主張する「分業主義」の弊害です。
そもそもは国際機関のお仕事で「女性なら手工芸品の知識くらいあるだろう、総合商社の出身だからどんな商品が出てきてもつぶしがきくだろう、英語もしゃべれるし」というような単純な理由で押し出されてブルネイへ行ったのが始まりで、ベトナムで 3年連続してセミナーをやらせていただきました。
ハンディクラフトは途上国にとって大切な収入源で、女性の仕事の確保や農閑期のサイドビジネスにもなり、経済の底上げをする原動力となります。また、その国の文化の象徴でもあり、すでに身についている技術の活用ですから人材の育成に時間やコストが莫大にかかるものではありません。即効性もあります。ただし、差別化は考えていかないと途上国どうしの足の引っ張り合いになり、貧困の連鎖につながります。
ヨルダンについては地域の安定や和平プロセスにおける重要性から日本との二国間援助累計額では中東ではエジプトに次いで 2番目の国です。今回は 2度目の展示会です。イラクについてはもちろん初めてで、復興支援策の一環となりますが、このような日を迎えられたことは非常に喜ばしく、またそのお手伝いをする機会に恵まれたことを誇りに思っています。パレスチナについては1967年以降イスラエルの占領下にありましたので、経済団体や金融機関が未発達なまま経済的自立性を失っていました。欧米企業との連携やエジプトやヨルダン等との交易が伸び始めたのは1993年以降で、主要援助国は米国、EU、日本、英国、ノルウェー、サウジアラビアなどです。駐日パレスチナ常駐総代表部の美しい日本語サイトでは紀元前3000年のカナンの地から現代のパレスチナまでを一気に知ることができます。
私の家は貿易商でしたが敗戦により中国から中東に至るまでの40ケ所の資産をすべて失い、私が中学に入る頃倒産しました。広島の被爆者である祖母と父が相ついで亡くなって 2年ほど後の事です。戦後に生まれながら敗戦の影に翻弄された私の半生ではありましたが、中国、東南アジア、中東と自然にご縁ができていくのも宿命のように思え、平和のありがたさをつくづく実感する今日この頃です。

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河口容子

[363]時差のある暮らし

 国際ビジネスの世界に足を踏み入れるともう日本時間だけでは暮らせなくなくなります。常に時差を意識する、時にはいくつも重なった時間枠の中で人生を何倍も生きているような気になります。時差的には世界中のほとんどの国が日本より遅れているので相手に合わせれば残業をするのが当たり前になります。これがいずれも緊急事項の多い仕事となると 1日 2-3時間しか眠れない日々が続きます。「深夜まで起きていられない」「1日 8時間睡眠が必要だ」というタイプの方にはこういう仕事は辛くて続けられないでしょう。
 起業した際に中国や東南アジアを中心にしようと考えたのも時差対策からです。たとえば中国は 1時間、ベトナムなら 2時間の時差、この程度なら計算も簡単な上にちょっと夜更かしした、あるいは朝寝坊したレベルなので時差ボケにまではいたりません。また移動距離が近いと滞在も短くなる傾向にあるので心身ともにリズムが狂い出すまでには至らないような気がします。
 米国内は 3時間時差があります。これが案外不便で西海岸の朝 9時は東海岸の12時です。電話をしようと思っても相手が昼休みだったりします。反対に東海岸で朝一番外出前に西海岸に電話をしようと思っても会社はまだ始まっていない、というわけで、非効率かつイライラの素になります。私自身は子どもの頃から短時間しか眠らず、睡眠不足でもこたえない体質なので時差には比較的順応しやすいのですが、ニューヨークに 1週間いて14時間の時差にやっと慣れた頃にオレゴン州のポートランドへ行き、そこで 3時間の時差を味わった時にはさすがにまいりました。身体は夕方のつもり(そろそろ仕事が終わる感じ)なのにまだ太陽がさんさんと輝いているではありませんか。 1日をとんでもなく長く感じた記憶があります。
 ヨーロッパの 8時間の時差も結構くわせもので、つまり日本で会社が終わる頃あちらが始まるわけです。会社員の頃、出張先から東京の上司のスケジュールにあわせて電話をするのにアラームをセットして夜中に起きだして電話をした思い出があります。今フランスの案件をふたつかかえていますが、電話で打ち合わせをする時は、いついつの何時に電話をします、と事前に相手にメールで知らせあう事にしています。急用ならいざ知らず、それぞれの仕事のリズムにより都合の良い時間に話したほうが仕事もはかどるというものです。
 時差も慣れれば、逆利用して今これのメールを打っておけば明日朝には返事を読むことができる、相手時間に締め切り時間を合わせると時差分だけ猶予が生まれる、など何となく得をしたような気分になることもあります。
 国内にいても時差ボケの経験があります。睡眠時間が極端に短い期間がずっと続くと昼過ぎに眠くてたまらなくなります。起業してからも夜遅くまで仕事をする日が続くと居眠りをしてキーボードに頭をぶつけた事が何度もあります。さすがに最近は年齢も考えて徹夜はせず、夜 2-3時には寝て 7時に起きる「規則正しい生活」です。
 現在、羽田空港のハブ化構想が話題となっていますが、東京23区に住みながら羽田までは自宅から片道 1時間半、成田は 2時間です。外国人ビジネスマンは口ぐちに「都内での移動時間が長く、東京での仕事効率は悪い」と言います。この時間効率の悪さも国際化の遅れにつながっているような気がします。
河口容子
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