12月1日あれこれ

 12月の声を聞くと、日本人のDNAが師走、年内にあれとあれをしなくてはと急にせわしい思いにさせます。また、来年への期待と不安もつのる頃です。ただの新しい月の始まりと思えば何でもないのですが。

 1日に皇太子ご夫妻に愛子さまが誕生されました。午後のご誕生以来テレビは特番にすべて切り変わり、番組の選択の余地がなかったほどです。ワイドショーの常套手段で同じショットを繰り返し繰り返し見せ続けられ、あたかも日本中が欣喜雀躍しているかのような印象の画像でした。毎日ニュースで多くの時間をさいていたアフガニスタンについては急に戦争が止んだかに思えるような扱いぶりで、正直なところ日本のマスコミの常識というか冷静さを少し疑いました。同じテーマを扱うにしても、現在源氏物語が映画化されているように日本の宮中の伝統文化であるとか、皇室の歴史、あるいは皇室ゆかりの場所や品々といった観点からの番組づくりもあれば日本を見直す良いきっかけとなったことでしょう。

 今回の慶事はお子さんがなかなかできず辛い日々を送っているご夫婦や高齢出産を懸念している女性にとっては大きな希望となったことと思います。また、暗いニュースの続く中でこれを契機に景気を盛り上げようという商魂も経済効果としてはプラスになったはずです。内親王様の誕生でまた「女帝論議」もちらほら聞こえて来ました。女帝容認という動きが出てくれば、男子優先の相続観や結婚後の姓、ひいては「ご主人様、奥様」といった用語に至るまで変化が見られるような気がします。

 もし、このニュースがなければ、ビートルズのメンバーであったジョージ・ハリソンの死はもっと大きく取り上げられたことでしょう。私がビートルズを初めて聴いたのは小学校6年くらいで、現役のビートルズを知っており共感した最後の世代かも知れません。ジョージの存在はジョンやポールに比べ控えめではありましたが、インド思想に造詣が深く、自らもラビ・シャンカールの門下生としてシタールの演奏家でもありました。当時の欧米の芸術家たちに東洋の価値を再認識させたのも彼の影響が大きいと思います。「夭折の天才」たちだったのかも知れませんがメンバー4人のうち半分が他界したことで、ひとつの時代の終焉をしみじみと感じざるには得ませんでした。

 生と死という人間らしいニュースで12月は始まりました。私は数年前から年に2回ユニセフに寄付をしています。愛子様のように多くの人々から大切に見守られ、祝福を受けて生まれてくる子供がいる一方、世界中では生まれても疫病や栄養失調で幼いうちに命をおとす者がたくさんいます。また、アフガニスタンのように地雷で身体の一部をなくす子供、初等教育すら受けられない子供もたくさんいます。日本にだって、さまざまな理由で生まれてくるのを拒否される子供、虐待死する子供はたくさんいるではないですか。

 私はこの日と思い、ユニセフへ寄付の手続きをしました。大人たちの身勝手で世界じゅうの子供たちの未来がつぶされないように、奇しくも「愛子さま」というお名前になりましたが、愛し愛される人間に育つように、ジョージのように多くの人を楽しませ、また深い思いを持つ人間になるようにと祈りつつ..

2001.12.13

河口容子

スカートをはいた上司

 「スカートをはいた上司がやって来る」雇用機会均等法が施行された頃、一般週刊誌に2週にわたり掲載された女性ライターによる記事で、私や同僚も取材されました。この週刊誌の読者の太宗は男性サラリーマンだと思いますが、「総合職としてごくごく一部の女性が職場に現れることがあっても管理職にはなれないだろう、まさか自分の上司が女性だなんて想像もつかない。」と冗談半分の記事として読んでいた記憶がします。

 田中外相の就任以来、バッシングも含めて報道の過熱ぶりは、私自身が総合職になった頃のことを思い出します。外相の指輪騒動もそうですが、なぜか「女性的」な事柄にかこつけて標的にされることが多く、メイク、髪型、服装に至るまでご意見、どころかお説教やお節介をいただくことが多かった印象があります。

 私のいた総合商社は典型的な男性社会です。女性の総合職は「見せしめ」のために異動が多く、異動予定先の上司に嫌がらせをされて異動できず退職した同僚もありました。会議や会合に知らないうちに女性の総合職だけがはずされていたりします。男性総合職なら新入社員にもアシスタントの女性がつくのに、女性の総合職にはなかなかつけてもらえず自分で取引先にお茶を出しながら商談をし、伝票処理もすべて自分でやるという時代もありました。

 女性のキャリアはいらっしゃるにしても外務省もやはり男性社会の牙城、スカートをはいた上司、それもお嬢さん育ちの実務経験に乏しい女性がやって来て、官僚たちがどんなにプライドが傷ついているかは手に取るようにわかります。現在の外相と官僚のバトルのキー・ワードのひとつに私は「公私混同」をあげます。男性の場合は社会に慣れすぎていて、職位に伴う権限を個人の権限と勘違いするきらいがあり、これは今回の一連の外務省の不祥事となって顕れています。逆に女性の場合の公私混同は、社会での教育や経験の不足から、個人の意見と組織の見解を上手に使い分けられないところにあります。ただでさえ、女性は組織を使うのが下手と思われがちで、そこは意識してでも個人の意見を複数の意見に変換させながら仕事をしていく努力と忍耐が必要でしょう。

 また、女性の上司や総合職は「女性ならでは」の強みも期待されます。今回の田中外相のパキスタン訪問で見せた涙や現地の子供たちに対する優しい対応、現地の女性と同じような衣装は男性の大臣にはまねのできない形で日本に対する好印象を与えることができたと思います。また、最近パート・タイマーから一躍役員や管理職に昇進する女性もちらほら報道されていますが、彼女たちも女性ならではの勤勉さ、粘り強さ、細かい配慮、今までの枠にとらわれない発想などが評価されたものだと思います。

 考えて見れば、男性中心の終身雇用、年功序列という制度の崩壊とともに、今までその恩恵を女性を受けられなかった分、いろいろなワーキングスタイルを確立しています。そして女性の場合は早くから実力社会であったと思います。その実力というのも所属している団体の大きさや有名度、あるいは肩書きではなく、真の実力で、これをお互いに見抜く能力も女性は持っています。不透明な時代、元気な女性が目立つのもこんな所にあるのかも知れません。

2001.12.05

河口容子