納税者としての意識

この頃になると法人向けに税務署が年末調整の説明会を開催してくれます。会場の入口では提出に必要な用紙類をもらえるのですが、昨年初めて行った時は自分が何と何を出さねばならないのかもわからずおろおろしていたのを思い出しました。年末調整の計算もしっかり間違え、税務署が還付してくれるまで間違いに気づかないほどでした。昨年起業してみて、痛感したのはいかにサラリーマンが税に無知であったかです。

サラリーマンは所得税などの計算をする担当でない限り、あるいは確定申告の必要な人でない限り、税というものは給与明細に書かれている数字、あるいは給与から勝手に引かれる嫌なものというイメージしかないと思います。そしてガラス張りゆえに必要経費の認められる事業所得者と比べて不公平だという声が常にあります。

私の参加した説明会によれば平成11年の給与所得者は5200万人、そのうち通年働いた人4500万人の平均年収は461万円とのことです。そして国税の32%が源泉徴収によって得られているとのことでした。本来個人が納税すべきものを企業が代わりに事務処理を行い、納税するというしくみを考えた人は本当に偉い。なぜなら、たとえば5200万人がそれぞれ確定申告をしたら、脱税する人、制度がよく理解できない人、間違いなどその管理だけでもおそろしいほどの税務署員が必要でしょう。

また、納税者側も事務手続き、納税の手間が省けます。その代行をしている企業側は従業員数が増えれば増えるほど専任者や管理システムが必要となってきます。そこまでしなくてはならない企業側のメリットとしては、当月分の源泉徴収税は翌月10日までに支払えばいいので給与支払日から納税日までは資金繰りに役立つわけです。特に給与の支払いを受ける人が10人未満の場合は税務署に申請すれば半年に1回の納税で済みます。

この所得税の他に、住民税、そして家計簿をつけている家庭ならだいたいの消費税の支払額も算出できます。全部足すとどのくらいの金額になるでしょう。たぶん、普通の家庭なら使い道に無関心でいられる金額ではないはずです。生きること、働くことイコール納税という感じです。ところが現在の徴税システムはあまりにもさりげなく税を払ってしまうよう工夫されているため、納税者の意識が薄くなるという欠点もあります。

不況で賃金カット、あるいは失業者がふえればふえるほど、税収は減っていきます。企業も赤字のところがふえれば法人税収も減るわけです。税制をこのままにすれば国民が受けるサービスは悪くなるばかり、そうでなければ税負担はあらゆる形で重くなる一方、どちらにしても明るい未来は想像できません。

以前、「公務員はサービス業」というタイトルで書かせていただきましたが、国民から税を徴収する以上、どんなサービスを求めているのかマーケティングを行うべきです。時代の変化とともに必要とされるサービスの種類や質も変わるべきです。納税者の無関心は税の無駄使いを助長します。さあ、年末調整の数字からじっくり見てみてください。

2001.11.29

河口容子

ギフトの話

 先手必勝と各百貨店が早めにお歳暮の売場をオープンしました。私自身は形式だけの贈答というのはいかがなものかと思いますが、ふだんお礼をする機会が何となくないという相手に何か差し上げるには絶好のタイミングのような気がします。今年は海外旅行を控え、年末年始を国内で過ごす方が多そうです。お歳暮はもとより、クリスマス、お正月と最大のギフト・シーズンを避けては通れません。

 テレビで見ましたが、アンケートでは親に贈るという人が半数以上いました。1年中何も贈らないよりはましかも知れませんが、それしかギフトのチャンスがない、もしくは形式化した親とのつきあいになっているのかとあらためてびっくりしました。誕生日、父の日、母の日、クリスマス、敬老の日などにギフトを贈っている間柄ならお中元、お歳暮はいかにもよそよそしすぎるからです。

 ギフトを考えるのは苦手、はては面倒くさいという人によく出会います。いい訳がましく「ものじゃないよ、心だよ。」などとおっしゃる方もいますが、心というのはなかなか表現しにくいもので、その心を具体化したのがギフトだと思います。自分の買い物に時間はかけてもギフト選びに時間はかけたくない、更にはそんなことはしたくない、という人は相手の喜ぶ顔が見たいという気持ちを持てない寂しい人間だと同情します。

 知人が会社を設立した際に、ハンガリー製のコーヒー・カップのセットを差し上げたことがあります。何年も前のことですが今でもオフィスにお邪魔するとそのカップを出してくださり、大事にしていただいていることが窺われ私もとてもうれしい気持ちになります。自分にまで喜びが返ってくるとは本当に差し上げたかいがあるというものです。

 昔、水彩画が趣味の上司がいました。異動などの時に自分で描いた絵を記念に下さるのですが、贈る相手にちなんだ場所を選び、わざわざ写生に行くのです。私には母校の周辺の景色を真冬に鼻水をたらしながら描いてくださいました。建物や道路も今ではすっかり変わってしまいましたが、絵だけがいつまでも懐かしい母校の景色を思い出させてくれます。

 入院したとき、ダンボール箱いっぱいに自宅の書棚から文庫本を持ってきて下さった方がいました。ミニ図書館のようなものです。これだけあれば、読みたい本は何冊かあるだろう、もちろん全部読んでくれてもいいし、退院する時に宅配便で返してくれればいい、とのことでした。相手のことを考えれば、お金をかけなくてもすばらしいギフトが贈れるといういい例でしょう。

 確かフランスの話だったかと思いますが、あるお金持ちの奥さんがクリスマスの日は朝早く起きて自分でとびっきりのごちそうを作るそうです。それは家族のためではなく、教会の教区で一番貧しい家へプレゼントとして自ら持って行くのだそうです。

 だんだん寒さに向かう頃、心まで暖まるようなギフトが贈れたり、いただけたりしたいものです。

2001.11.22

河口容子