私と米国同時テロ事件

 「仇討ち」という時代劇めいた言葉を思い出したのが、今回の同時テロ事件の米国の報復の意思表示です。テロの撲滅というスローガンは聞こえは言いものの、軍事行動を起こせば無実の市民や米国兵も犠牲になり、それはテロと結果的にどこが違うのでしょうか。むしろ近代国家というものは仇討ちの繰り返しを避けるために人権の尊重や法の整備をすすめてきたはずです。

 さて、テロリストが今回の事件の波紋がどこまで及ぶか計算したかどうかわかりませんが、私もとんだ巻き添えに会いました。クライアントのために彼岸用の切り花を南米のコロンビアから輸入している最中にこの事件は起きました。花は通常コロンビアからマイアミにいったん出て冷蔵され、今度は日本向けの飛行機に積み替えられます。このルートが遮断されてしまいました。生鮮物ですからさあ大変です。運良くヨーロッパ経由で抜け出たものもありました。この期間は週に3便何トンと空輸せねばなりません。それも彼岸が終わると市況は下がってしまいます。

 事件の始まる前は発注や出荷調整で毎日夜中まで時には明け方まで仕事をしておりましたが、この事件以来まるで戦争状態です。生産者といわず、運輸会社といわず、24時間いつどこから電話がかかってくるかわかりません。PCの画面には各地からの受信メールがあっという間にふえ、それに敵のように返事を書くという毎日です。

 ここで感じたのは、ふだんニューヨークの世界貿易センターとはまったく関係のない私にも事件はふりかかってきたというおそろしさです。対岸の火事ではありません。また、新種のコンピュータ・ウィルスも出現、世界をいっそう混乱させています。さっそく私のワクチンもウィルスを検出しました。

 感動したこともありました。花を捨てないようにしようと皆で協力したことです。米国で滞留していた花は日本の彼岸には間にあいません。日本に持って来ても商品価値が下がる上にコストもかかります。生産者に返すのもまたコストがかかります。通常は廃棄せざるを得ませんが何とか米国で売ろうと生産者は努力しています。米国の運輸会社も協力してくれました。また、コロンビアの空港で待機していた花もフライトがなさそうと判断した時点ですぐ生産者に返しました。いたずらに待っても花痛みがひどくなるからです。それぞれがこんな忙しい中でも相手への思いやりや花への愛情を忘れなかったということは人間として誇るべきでしょう。

 トレード、交易は単なる商売ではなく、いにしえから文化の交流でもあり、人と人とのふれあいでもあったはずです。その象徴でもあった世界貿易センター、私の初めての海外出張もニューヨークであり、初めて行ったレストランがこの世界貿易センターの107階にありました。窓の下から月がのぼって来ることにまず驚き、見下ろすマンハッタンの夜景は別世界のようでした。当時日本の高級レストランは若いカップルに占領されていましたが、そこでは大人たちのゆったりとした時が流れ、車椅子にドレスアップした老婦人が食事を楽しむ姿が見られました。大都市のランドマークはいろいろな人に思い出を刻んでくれます。そんな多くの思い出もテロリストが破壊してしまったのです。

2001.09.21

世界はひとつか?

 ニューヨークの世界貿易センターを旅客機が急襲するという映画もどきの同時テロ事件で、トム・クランシーの小説「合衆国崩壊」を思いおこしました。日本のジャンボ機が米国国会議事堂を攻撃、米国政府首脳が全滅するというストーリーです。ニューヨークには二度行ったことがありますが、摩天楼が空に突き刺さるように林立し、人間の文明を誇示しているかのようです。それを大型旅客機というこれも現代文明の象徴で破壊するという、ふだん私たちが自然に持っている技術力、利便性や機能美といった価値観も一挙にがれきの山にたたきつけられた思いがしました。

 この地球は人類共通のふるさとではありますが、違う価値観を持った人々が確かに存在し、宗教、文化、言語、気候風土が異なるようにそれぞれの特徴があるということを改めて思い知りました。冷戦終了後、何となく米国が主導権を握り世界基準のようなものを作りだしている気がしますが、それに抵抗する力が強く存在すること、今回の事件は手段は別として、それもひとつの価値観ということもわかった気がします。

 一方、地球はひとつと思えたこともあります。私は現在南米からある商品を輸入していますが、直行便がないため必ず米国で積み替えが生じます。空港が封鎖されたためそのルートは使えません。それで南米からヨーロッパにいったん出、ヨーロッパから日本へ運んでいます。日本を中心とした平たい地図に見慣れている日本人で南米がヨーロッパに近いことを感覚的に知っている人がどれほどいるでしょうか。これは地球が丸くひとつにつながっているという証拠でもあります。

 空からの脅威、これは誰しも感じていることです。米国は軍事大国であり、情報収集力も飛びぬけているはずなのに、なぜ防げなかったのか。冷戦構造が終わり、また米国本土が南北戦争以来戦場になったことがない、という米国的平和ボケだったからかも知れません。日本は空襲や原爆といった空からの脅威、また地震国で建物が崩れ落ちることを見たり体験しているだけに意外に注意深いと思います。長い海岸線を持つ国として海からの脅威には少し鈍感な気もします。昔は海岸線が外的の進入を阻んでくれましたが、今は文明の利器がいろいろあります。

 交通機関の発達により人が自由に行き来するようになり、見知らぬ人が隣人にふえるようになりました。通信手段に頼りがちな現代ではベーシックな人間関係である近所づきあいも希薄になりました。「隣は何をする人ぞ、実はテロリスト。」という構図もオウムの事件ではよくありました。そして犯人たちはこんな小さな島国なのになかなか捕まらない。警察が持っている情報収集能力や捜査のための技術が格段に進歩しているにもかかわらずです。人種のるつぼの米国では警戒していたらきりがないし、自由にすればそれに乗じて進入して来る人も多いことでしょう。

 それにしても現代社会や文明のおとし穴をいろいろ見せつけてくれた事件でした。犠牲となった方々、また救出のために殉職された多くの方々に心から哀悼の意を表します。

2001.09.14

河口容子