オーバー・ストア

 終戦後失業者対策として、自宅を店舗にし、家族が従事すれば、資金がなくともノウハウがなくても問屋から委託で商品を供給してもらい、情報も教えてもらう、という問屋依存型の小売店が発達したと聞いた記憶があります。おかげで国民ひとりあたりの小売店数は世界一というのは知っていましたが、最近のテレビ番組では米国の6倍だそうです。簡単に言うと、ある人がデパートに行こうとすれば米国では1軒しかないのに、日本へ来れば6軒もの選択肢を持つことになります。1日で6軒のデパートを隅から隅まで見て歩くことはとても不可能です。

 米国で通販業が発達したのも、買い物に不便な地域の人が日常に必要なものを安く買えるという単純なニーズだったようです。逆に日本の通販の利用者は圧倒的に大都市圏の人が多く、買い物時間をセーブして仕事なり、余暇にあてるという都市型のライフスタイルを支えています。しかしながら、バブル時期のように小売店の価格が高い時代は値ごろ感のある通販がヒットし、現在のように小売店が安売り競争に入ると何ケ月も前に商品や価格を決定せざるを得ない通販は店舗のような柔軟な対応ができず見向きもされなくなってしまいます。

 小売業というのは、その辺が経済の縮図のようで非常に興味深いものがあります。たとえば、大型量販店は、大量に仕入れるためコストが安いはずですが、土地建物に経費がかかり、また従業員も雇わなければいけないのでオペレーション・コストがかさみます。一方、地元の商店街の古くからある店など、ほとんど客の姿を見ることもないのにつぶれる気配すらありません。自宅が店舗で誰も雇っていないからです。また、為替の動向という観点から見ると、輸入品の扱い比率が多い店では、しばらくすると販売価格や利益に影響が出てきます。

 シアトル郊外のバリュー・センター、アウトレットとオフプライス・ストアを組み合わせた敷地面積19万坪の巨大モール、へ数年前視察に行ったことがあります。当時はこういう巨大モールの建設が流行っており、だいたい商権は半径64kmです。しかも、顧客は1年に2、3回訪れるだけです。日本ではちょっと想像できません。家族そろって車で出かけるレジャーに匹敵する感じです。どこへ行っても店があふれかえっている日本人からすると、どうしてこんな所までわざわざ買い物に来るのだろうというのが正直な感想でした。たとえば、このモールには電気製品のディスカウントストアがありましたが、東京なら秋葉原でいくらでも店の比較ができ、しかも便利な都心部です。

 日本人は細かい所によく気がつく、世界一の減点主義顧客です。小売店や問屋やメーカーに返品できますから、問屋やメーカーはリスクヘッジとして最大公約数の問題のおこりにくい商品しか流通させません。過剰な包装を強いられることもあります。消費者の欲しい商品がないというのも、クレームをおそれる業者が市場をコントロールするからとも言えます。また、商品に対し潔癖すぎる消費者というのも、製造工程や流通段階での多くの無駄を発生させ、あげくの果てには廃棄処分などもおこれば、資源の無駄にもつながります。

 小売業の沈滞から外資の参入が話題となっていますが、彼らと異なる背景をもつ日本でどのような成果をもたらすのか、今から楽しみです。

2002.05.30

河口容子

中高年のワーキング・スタイル

 政府は景気は底入れしたと発表するものの、雇用状況については依然として誰しも不安を持っているのではないでしょうか。昨年あたりまでは、失業率の高さが実感できないほど、私の周辺には60代といえど職のない人はほとんどいませんでした。最近は50代前後で最前線で仕事をしてきた人の突然の退職や30代の離職もちらほら目にします。それも「なぜあの人が」というような優秀な人が失業したままだったりもします。一方、運良く景気のいい企業に勤務していたおかげで何もせずとも安泰な暮らしを送っている人もいます。まだまだ日本は実力主義ではないことを痛感させられます。国内外を問わず合併や業務提携が進む中、今ある仕事をなくす人はまだまだ増えるものと危惧します。

 私は若いころから米国人の知人友人に「日本人はどうして一生会社の雇われ人でいたいのか。」とよくたずねられました。米国人には会社員は独立するためのステップと考える人が多いようです。私自身は、体も丈夫ではなかったので夜討ち朝駆けの世界は絶対停年までは務まらないとふんでいました。就職した頃はすでに総合商社冬の時代に入っていましたので、20代の頃からもし首になったり、健康上の問題で会社を辞めざるを得なくなったらどうするか漠然と考えながらやって来ました。上司や先輩の中には「そういう計画的な生き方は欧米人には通用するが、日本では無理だ。日本では流されることが大切。」と得々と教えてくれる人もいました。正直なところ、そうおっしゃった方々は現在流され放しでお困りのようです。

 取締役、社長と昇進してサラリーマンの王道を行く人、地道にこつこつ仕事をして停年を迎える、それぞれ立派な人生であるとは思いますが、何らかの事情で会社を去らねばならず、次の選択が「またどこかで雇われる」ことしかない、というのは立派な大人として寂しすぎる気もします。生活のためには仕方がない、それもぜいたくをしてきたわけではないのに蓄えもない、というのなら社会のしくみに大いに疑問を持つべきです。それは自営業や起業家はリスクを背おうのにも拘わらず報われないという何よりもの証拠であり、それでは経済の活性化は進まないからです。

 オリックスが中高年の雇用を促進するという方針を出しました。今までの経験を即戦力に生かし、時給制、日給制、管理職の登用までと実にフレキシブルな雇用のしかたです。企業で長年勤務した人には何か特技があるはずです。それを生かさない方法はありません。仕事はすべて毎日フルタイムかける必要があるものばかりではありません。必要な仕事を必要な時間だけ、しかも得意な人にやってもらえば合理化につながります。

 また、働く方も今までのように1社に丸ががえしてもらうばかりではなく、自分にあったワーキング・スタイルが可能となります。2社、3社を掛け持ちして得意分野を発揮するのもいいでしょう。これもワーク・シェアリングです。仕事をする時間を減らし、趣味や家族のための時間をふやすという事もできます。多様化したワーキング・スタイルは自分にあったライフ・スタイルを作りだしてくれるはずです。それが不安、そんなことを今まで考えたこともなかったという人は会社にパラサイトしていた人です。先週の続きではないですが会社と個人の境界認識ができていなかった人かも知れません。

2002.05.23

河口容子