[152]ベトナム ナショナルデーを祝う

9月 2日はベトナム社会民主共和国のナショナルデーです。これは1945年のベトナム 8月革命のあとホーチミンが 9月 2日ハノイ市の大広場でベトナム民主共和国の独立宣言を行なったことにちなんでいます。今年は60周年記念でもあり、都内某一流ホテルで駐日ベトナム大使主催によるパーティが盛大に催されました。
 チュー・トアン・カップ大使や大使夫人を中心とするホスト側がレシービング・ラインを作り、ゲストはその前を並んで順に挨拶をしながら会場に入って行くのですが、私の前に急に横入りする人物がいました。見ると王毅駐日中国大使でした。なるほど VIPは横入りOKらしいと変に納得。ややあって私の番になり、ベトナム大使に「このたびはお招きありがとうございます。お目にかかれて光栄でございます。月末にハノイにセミナーの講師でまいります。」と挨拶をするとやさしそうな大使は「それはありがたい事です。」とご自分の名刺をくださいました。大使夫人は髪をシニョンにまとめ、黒のベルベットのアオザイ姿でしたが、ベトナムの方としてはふっくらめで、アオザイなんて華奢な人しか似合わないだろうと思っていた私には目からうろこのエレガントなマダムでした。
 会場に入れば、女子十二楽坊ならぬベトナムの民族楽器を使った美女たちと男性ひとりの演奏がステージから聞こえてきます。多くの方が思わず携帯電話をかざしてパシャリ、パシャリと写真を撮ったほどの愛らしさでした。
 パーティは両国国歌でスタート。ベトナム国家は進軍歌ですから君が代とは対照的な雰囲気のものです。もちろん会場の日本人はほとんど歌えません。来賓の挨拶は川口前外相、乾杯の音頭は外務省藪中審議官という格の高さで、ベトナムにとり、投資額ナンバー1国家は日本というつながりの深さをあらためて感じました。ベトナムも世界一日本語話者の多い国をめざして教育を行なっているそうです。ドミンゴ・ L・シアゾン駐日フィリピン大使のお姿もありました。
 一方、会場を見渡すとお子さん連れの女性もいれば、和服姿の女性も。日本女性のアオザイ姿もかなり見られました。しかしながら、いつも問題だと思うのは立食でのマナーです。日本人というのはなぜか食事を取ると移動せずに近くで食べることやおしゃべりに夢中になり、これからお料理を取ろうとする人のじゃまをしてしまうことです。ベトナム名物生春巻きの前には一時数十人が行列を作りました。そこへ堂々と横入りをした女性もいました。また、テーブルの向こう側(ホテルの従業員が入る側)に入り込み、お皿いっぱいに春巻を取り、ホテルの従業員に注意された男性もいました。食べたあとのお皿を置くスペースもなく、これはホテル側のサービスのしかたにもうひと工夫あっても良いのではないかと感じました。
 駐在武官の方が非常に多かったことも特徴で、韓国の方もオーストラリアの方もいらっしゃいました。金モールのついた礼服の方や略章を制服に所狭しとつけておられる方ありで、日本のこのようなパーティであまり軍服姿を見ることはないだけに印象に残りました。テロ警戒でガードマンがわりに主催者が意図的に招待されたのでしょうか?だとすればベトナム人は非常に賢いと思います。あるは私の深読みのしすぎでしょうか。
河口容子
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[151]嵐を呼ぶ男

 香港のビジネスパートナーが久しぶりに東京にやって来ました。だいたいせっかちで一方的な性格のため、あっという間にスケジュールを決め、取引先とこんな事を話したい、あんな事をしたいというメールが来ます。だいたい到着の 2-3日前の話です。毎日3件くらいのアポを入れ、取引先に商品サンプルなどを用意していただかねばなりません。皆さんご多忙にもかかわらず、快くスケジュールを調整して下さり、駅までの送迎をかってでて下さったりと本当にありがたい限りです。ただでさえ、てんてこ舞いの私に台風が上陸するかも知れないとのニュースが飛び込んで来て、まさに「嵐を呼ぶ男」です。
 逆に来日するほうの身にとれば、充実した日々を過ごしたいと思うので「めざせ、アテンドの達人」としては連絡先一覧をかねた詳細なスケジュール表を作成して本人や留守番部隊にメールで送っておきます。到着が夜のためその日は会わずホテルのフロントに私がいつも預かっている日本国内用の携帯電話をお土産と一緒に届けておきました。日本語の携帯のため簡単英語マニュアルも作成しました。
 今回は高崎と前橋に本社がある取引先も訪問しました。ちょっとした遠足気分です。仕事のアイデア交換や政治、経済の話などを移動中はよくしています。選挙の話も出て、「自民党が過半数を取ればふたたび小泉首相となるのだろうがその際は中国政府に徹底的に叩かれるだろう。日中双方ビジネスをしている人間は被害をこうむる。」と言っていましたが、そこまで来れば日本のビジネスマンも黙ってはいない気がします。もはや中国とのビジネスは大企業のみならず個人事業者のレベルまで実に裾野が広いからです。
 前橋で夕食を取りながら「香港のビジネスマンは日本人に比べアクティブでフレキシブルな理由は何だと思いますか」とたずねてみました。「まず起業が簡単な環境にあるからだよ。日本では会社員が起業するのは非常に難しい。リスクが大きいし、リスクを非常に恐れる。香港人はイチかバチかで賭けるのが好きだよ。」彼は10社ほど会社を持っていますが、社員が転職したり起業する前によく相談に来るそうです。そのせいか、転職したり起業した後もいろいろビジネスの情報をくれたりするとか。それに比べ、日本では密かに就職活動を行い、転職先が決まってから初めて退職したいと上司に言うケースが多いのではないでしょうか。会社というムラ社会がいまだに存在します。「日本人はまず自己責任の概念を学ぶべきでしょう。サラリーマン根性と日本では言うのですがすぐ言い訳をし、会社や上司のせいにしがちです。」と私。「特に日本人の男性の中間管理職は最低。その下で働く女性のほうが実務ができるからはるかに使える。」と彼。
 埼玉の戸田にも一緒に出かけました。「オリンピック通り」の名前から東京オンピックの話になり、映画「東京オリンピック」を観たかと聞くと「非常に印象に残る映画」との答えでした。彼とは映画、音楽、本が共通の趣味ですが、「観たければ今度、DVDを貸してあげるよ。」私が東京オリンピックの頃日本はまず貧しく、高速道路も新幹線も世銀の借款で作った話をすると「何もかも破壊されて短期間に復興したのは驚異的だった。きっと米国がたくさん資金をつぎこんだのだろう。」
戸田から新宿へ帰る電車の中、私たちの向かい側のシートにフィリピン人が 3人並んで腰掛けていました。英語で話している私たちを不思議そうにじろじろ見ています。おそらく何人だろう?と思ったのか、どちらが外国人かなと思って見ているのでしょう。たぶん、いつものように彼が日本人で私がどこかのアジア人と思われているに違いないと内心おかしくてたまりませんでした。
 台風一過、夏の日差しが戻り、彼も予定どおり香港へ戻って行きました。10月 1日からの国慶節の中国版ゴールデンウィークは中国、香港の小売業やレストラン、観光業にとって繁忙期です。その前に仕入、船積みともうひと嵐が私にはやって来ます。
河口容子
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