高齢化ニッポン

  最近、長続きした芸能ニュースは何と言ってもミッチーvsサッチーの毒舌バトルでしょう。故小渕首相から中高生まで話題にしたこの事件?に関する私の第一印象は「高齢化社会のバイタリティ」の一言につきます。昔なら70才を目前にした女性の口ゲンカなど「年寄りのくせにみっともない。」と一蹴されてしまうのがオチでした。ところが、老いも若きもワイドショーでこの話題をやっていると、ついつい見てしまうのです。仲良しだったのに何かがきっかけでケンカとなり、親しかっただけに悪口のネタは山のようにある、という誰でも身に覚えのある現象だからかも知れません。

内容はさておき、考えてみればこの年代の女性が社会の第一線で活躍していることがまずすごい、(見る人が好きかどうかは別として)水着姿を披露できるのもすばらしい、訴訟まで持っていくエネルギーもたくましい。中高年の女性にとっては、「恥ずかしいわね。」と言いつつ、私もあんな存在感のあるオバサンになろうとどこかで思っていたことでしょう。中高生も「うちにあんなおばあちゃんがいたらかっこいい。」とコメントを残していました。 離婚、再婚、熱愛発覚など芸能界にはつきもののネタですが、やはりこれも40代、50代が主役になっていることが多く、これまた昔なら「いい年してみっともない。」と言われた世代が若者と同じように愛や恋を語っています。人生50年といわれた時代に比べれば寿命は100年に近づいています。「007は二度死ぬ」という映画がありましたが、人間は2回生きることができる時代になったのです。一生仲良く暮らせるのも幸せなことだし、また熟慮の上、新しい出発ができるのも今を生きる人々の特典といえるのではないでしょうか。

デビ夫人、知人の若者など「あの人、日本人なんですか。ウッソー、インドネシア人だとばかり思っていた。」というほどの歴史的人物ですが、今でも十二分に話題をふりまいてくれる人です。日本には欧米のような社交界がありませんので、芸能界に出てこざるを得ないのかも知れませんが、国際化した日本女性の代表選手です。

叶姉妹にしても昔なら30代の女性がシースルーで表を歩くなんて「商品」にはならなかったでしょう。なぜなら、女性は若くなければ商品価値がなかったからです。女性の友人が「若いことしか取柄のない人はかわいそう。」とぼんやり言ったことがありました。「年を取ったら何もなくなってしまうもの。」と。そうです、誰でも公平に年はとりますから。高齢化社会の到来とともに、「大人」の女性に目が向いてきたことは、大人の女性が内面、外面ともに美しくなるためにも良い影響を与え、ひいては国全体が美しくなると言ったら大袈裟ですか?

いつまでも元気で美しいことは私にとっても明るい未来ですが、一方、事件にまきこまれたり、犯罪者も高齢層にふえてきている気がします。前者については外出する機会がふえ、行動範囲も広がれば確率的には増加するので致し方ないとして、後者は社会問題として今後課題になっていくのではないかと危惧します。年をとればとるほど価値観や考え方、またライフスタイル、家庭環境、健康状態も千差万別です。個々の違いに犯罪の芽が潜んでいる気がしてなりません。多くの人が長生きをエンジョイできるということは、生活につきまとう苦労の部分も長く続くということです。

休日、街を散歩したり、買い物に行くと高齢層の人が着実にふえていることを実感します。昔に比べ、その若々しく明るい姿にほっとする思いですが、「21世紀まで生きていて良かった。」と感謝してもらえる社会づくりが今の中年層や若者にゆだねられている重さをひしひしと感じる今日この頃です。

2000.11.02