寒い家族

最近、殺人事件が誰にでもある日常生活の中で発生しています。まず、いじめによる子供の殺人や自殺です。いつも不思議に思うのは、なぜ、親は自分の子供がいじめにあっていることに気づかないのかということです。昔の日本の家庭では隠しても隠しても千里眼のごとく家族に知られてしまうものでした。子供のいる家庭では、けんかしたり笑ったりとにぎやかな生命感にあふれていました。いつからか自立心を育てるために子供に個室を与えることが先進的な家庭で、親が聞きほじくらないことがプライバシーを尊重した見識のある態度だと誤解されてしまっている気がします。

詳細は忘れてしまいましたが、農家の主婦が夜、車で外出し殺された事件がありました。夜、9時に車で出かけるのを夫も息子も「気づいていた」けれどどこへ何をしに行ったかわからないというのです。農家ならば朝は早いだろうし、9時に妻(もしくは母親)がひとりで出かけていくのに「どこに行くの?」とか「何時に帰るの?」「遅いから一緒に行こうか?」などとこの家族はなぜ言わないのでしょう。あるいはそれが日常化していて普通だとしたら殺人以前にそういう家族であることがもはや事件だと思ったのです。いじめと同様、家族の誰かが声をかけていたらこの殺人はおこっていなかったかも知れません。

結婚以来20年、奥様に給与明細を見せたことがない、と自慢している人がいました。ご主人の自分で稼いだお金を自由に使いたい、という気持ちはよくわかると同時に、奥様は20年間、「生活費がもらえればそれでいい。老後の蓄えとか、ローンの支払とか余計なことを考えなくて良いので楽。」と思って満足してきたのだろうか、という心配も胸をよぎります。若い夫婦共働きの家庭では、お互いの収入を知らないケースも増えています。給料日前に何とか相手にお金を出させてやろうと腹をさぐりあったら、意外に相手が高収入でびっくりした、という話も耳にします。夫婦って何なんだろう、役割分担をしている共同生活者なのだろうかと考えさせられました。

アウトプレイスメント会社が人員削減をしたい大手企業と契約をして対象者に次の就職の斡旋や必要な資格取得のアドバイスを行い、面接のノウハウを教えるのが流行っていると何かで読みました。ほとんどの対象者はリストラにあったと家族に言えないため、次の会社が決まるまでに「会社へ通うふりをするための場所」まで確保してくれるのだそうです。困ったときこそ、頼りになるのが「家族」なのではないでしょうか。奥様がパートをして助ける、子供はアルバイトをして学費を出すというのは恥ずかしいことではなく、うるわしい家族の光景なのに。さて、家族にリストラを隠し続け、めでたく就職口が決まったとします。ある日突然、通勤先が変わり、給与も変わっても家族は気がつかないのでしょうか。それとも、気づいていても気づかぬふりをしているのでしょうか。

ハードワーク、職場の人間関係などで精神を病む人も少なからず見てきました。たまに放置すると危ないと思える段階に来ている人もいます。こういう時いくら職場の上司とて「あなたは最近変ですよ。」とは言いにくいものです。本人が自覚できるならまだ軽症です。何とか家族の人が気づいて適切な処置をしてくれないか、と祈るのですが、家では普通なのか無視されているのか、最悪は家族がその原因だったりする可能性もあったりで、職場の同僚はずっと心を痛めることになります。

大人になれば家族にも言えないことがひとつやふたつはあるかも知れませんし、嘘は方便で正直に言わない方が丸くおさまるささいなこともあります。ただ、生命や生活にとって大切な事柄まで言えない雰囲気を作ってしまうのは、何なのでしょうか。日本がだんだん成熟していくにつれモノやサービスがあふれ家族の距離を遠のけてしまったのでしょう。事件がおこると「仲良し家族に見えた」と他人が証言しているのをよく耳にします。外に対しては「仲良し家族」、内では心に寒い風というのでは「家族」という芝居を演じているだけではないでしょうか。

2000.10.19

足元見るな

短期もしくは小口ビジネスのクライアントはないかと求職サイトに初挑戦してみました。私自身、世間は広いつもりでいましたが、こんな職業があるのかと驚くと同時に、あんな低賃金でも働く人がいるのかとまたびっくり。その後、求人情報もよく見るようになったのですが、発見したことがいろいろあります。
まず、システム系の求人が多いことと、職を求める人を悪利用しているのではないか、と怪しまざるを得ない広告もかなりあることです。

以上は誰にでも想像がつくと思います。特に後者についてはサイトの運営者が中味を吟味する方法を取らないと信用を失い、すたれていく可能性があります。その実、求人がコンスタントに出てくるサイトとほとんど更新されないサイトに分かれてきている気がします。

その他、SOHO向けというのが、これまた玉石混交で、私はSOHOというのは個人であれ、法人であれ、一応専門知識なり経験を持って自己責任で営業している人のことだと思っていたのですが、内職サイトと化しつつあります。

たとえば、データ入力1件(確か1件は名前、住所、電話番号くらいの入力量と記憶します。)7円、これなど100件入れても700円です。同じ内容の仕事でもアルバイトとして通勤すれば時給1,000円はくれるでしょう。ひどくないですか?

「正社員契約のできる方」というのも、普通は社員募集(勤務形態は在宅)という募集をかけるべきではないでしょうか。「販売代理店募集」と書いてあっても単なる行商の成功報酬、しかも良識ある人には売れそうもなさそうな商品であったりします。1日数時間働いて2-3千円くらいしかくれないのに専業でやってくれないとダメ、という広告もあり、この就職難にあえぐ人々の足元を見るような企業があまりにも多すぎるのに驚きました。

「ここには50才以上の管理職と新卒には求人はありません。」とまず一言書いてあるサイトもあり、年金がもらえる60才まで夫婦でどうやって生活するだろうか、とか新卒の人が社会経験もさせてもらえないのなら、一生フリーターをやるのだろうか、と日本の未来を案じてしまいます。

昔は求人求職というのは、ある程度層的に秩序があった気がしますが、今は入り乱れての分取り合戦。少し前ならコネで再就職できたような大手企業の元管理職とその奥さん、フリーターの子供が家族そろって同じ仕事を奪い合っている可能性すら想像できます。

一方、企業は増益などという記事が新聞に踊りますが、必ず「人件費削減が寄与して」と書いてあり、中高年社員を肩たたきして、上記のような形で労働力を補っていることがありありとわかります。単なる年功序列は廃止すべきですが、実力主義に変わったとも思えません。「実力」が何であるかの定義さえできていない気がします。労働力の使いすて、企業の目先だけの利便性で「実力主義」という言葉だけがひとり歩きしているという不安すら覚えます。

仕事というのは自己実現、スキルの育成、またそのプロセスの楽しみもあって個人的には苦しさを乗り越えられるし、企業の発展性や活性化を支えているのだと思うのです。これが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれた頃の日本の強みであったと思いますが、このままだと誰も彼もがライバルで、仕事はお金を稼ぐ手段にしかならなくなってしまいます。

社会に出てからの全面的な教育は、時間的にも内容的にも人生にとっては大切なもののはずです。家庭教育はなっていない、学校教育の崩壊とあいまって、これではオタクを山のように作るか日本中アウトローだらけになってしまいます。

ほんとうに実力があって、それなりに努力した人が早く社会で認められるというのは良いことだし、少数であっても昔からあったと思います。個性を重視するのも大切なことです。でも、日本では思いつきばったりでやったのが当たっていきなり勝ち組みになったりします。基本的にお金をもうけるか否かで「勝ち組み、負け組み」という判断をするのは嫌いです。お金はひとつの重要なものさしではありますが、それがすべてではありません。社会に貢献する、弱者を保護するというような人間として上等かどうかという部分がすっかり忘れ去られてしまっています。

企業も個人も社会の大切な構成要員です。人格的にすぐれた友人を持つことが誇りであると同様に企業も利益を追求するだけでなく、その企業にかかわる人すべてが誇れる立派な法人であることを願ってやみません。

河口容子