サラリーマンのイチロー

  イチローの米国メジャー・リーグ行きが新聞の1面を飾りました。いよいよ、という感じです。オリックスのファン、パリーグのファンとしてはイチローがいなくなったらどうなるのだろうという一抹の不安?も覚えましたが、高年俸をすてても夢に挑戦したいという爽やかな野心と自信にうらやましい限りです。世は実力社会へ移りつつあるといいますが、サラリーマン社会も球界のようになるのでしょうか。

 シーズンが始まるとついつい選手の一覧表がついている専門誌を買ってしまったりします。それには推定年俸も出ているのですが、イチローのように何億円ももらえるスター・プレイヤーもいれば、何百万円の人もいます。つまり同じチームにいて経験も10数年しか違わない中で100倍も年俸差があることに加え、ルーキーがとんでもない高額の年俸をもらっていることもあります。一般企業なら新入社員から社長まで年俸は10-20倍の間、経験にすれば30-40年くらいの差のはずです。しかもいくら実力主義の会社でも新入社員が数年先輩の10倍というような年俸はもらえないでしょう。

 評価そのものは、野球なら防御率や打率、本塁打数などとありとあらゆる数字を駆使して能力をはかるものさしを作れますが、ホワイトカラーの場合は数字では計りきれない部分がかなりあります。また、同じ会社でも部署によってものさしを変える必要が出てくると配属の運不運や不公平感も出てきそうです。また、プロジェクト・チームのように組織で動いている場合はひとりひとりの評価を厳密にすることはむずかしそうです。

 次にドラフト制はあり得るのか。優秀な学生をいち早く確保する動きは昔からありました。ただ、終身雇用制の上での「長期にわたって間違いのない買い物」という観点とプロ野球の「即実践で使える」という観点とは少し違う気がします。学校で勉強した事がそっくり使える職種ならまだしも、「学業優秀な学生」イコール「できる社会人」とも言えません。ただ、今後はベンチャー的な動きをする学生もたくさん出てくるでしょうから、大企業や投資家からスカウトに行くというケースもあるかも知れません。

 フリー・エージェント制はどうか。何年か勤務して転職権を得る、というのも労働市場の柔軟性を生み出すためには良いと思います。企業側も個人も社会全体の仕組みの中で適材適所の配置が行える気がします。フリー・エージェント権を行使して自分の真価を世に問う、労働条件が良ければ堂々と転職できる、のがメリットでしょう。また、企業側も優秀な人をいかに上手に使うか考えるようになります。今は不要な人材を見つけていかに辞めさせるか考えることにウェイトが置かれがちで、これは不要にしてしまった企業側の責任があまりにも問われなさ過ぎる気がします。

 最後にイチローのように会社が転職先を見つけて契約金を会社の利益とする方法。その会社で身に付けたノウハウというのは今までは無体財産として持ち逃げというのがサラリーマン世界です。今後は個人が得たノウハウは個人のものか会社のものかという観点も出てくれば、特に自己都合で転職する場合、退職金は逆に個人が会社に払うという発想もあり得ます。

 「年功序列制の廃止」は企業のリストラにとっては好都合でした。人件費削減の効率が上がり、年齢というくくりはある意味では平等だからです。問題なのは、そのあとに来るという実力社会については論議がなされていない点です。プロ野球選手とサラリーマンを比較するのは極端だったかも知れませんが、さて、近い将来サラリーマン界のイチローは登場するのでしょうか。

2000.11.09

オリンピックに魔物はいません

 20世紀最後のオリンピックが幕を閉じました。いくつか思ったことがあります。

 まず、開会式。4年に1度ですと、政治、経済事情の変化を肌で感じることができます。今回の韓国、北朝鮮の合同入場はこの半世紀最大のイベントだったかも知れません。日本人ならよく知っているはずのヨーロッパの国々も旧東欧の崩壊により、国名は聞いていても位置関係がぴんと来ない所がふえてしまいました。アジアが身近になったのに比べ、アフリカや中南米はいまだ遠い国々です。民族衣装で堂々と行進する人々を見てなぜ日本人は和服に誇りを持たないのだろうかとも思いました。和服は古臭く、スポーツに似合わないからですか?その対極にあるのがあの虹色のマントだったのでしょう。

 二つ目は誰もが言うことですが、日本の女性が強かった、ということです。アトランタ大会でもその兆しを感じ、また日系米国人の知人に「日本って女性が強いんですね。」と念を押されたことで一層その感を強くしたのを覚えています。たぶん、日系人の社会には「おしとやかで控えめな日本人女性」のイメージがいまだ強く残っていたのだと思います。スポーツを取りまくさまざまな科学の進歩と女性に対する社会環境が選手生命を長くしていることも原因のひとつでしょう。昔は4年に1度ですらめぐり合わせが悪く涙をのんだ女子選手もいたのに、柔道の田村選手の3回連続出場をはじめ、シンクロのようなハードなスポーツでも2回は当たり前になっています。少女から大人の女性へと選手自身の成長も記録と重ねあわせて感動を与えてくれました。

 三つ目はアマとプロという問題です。アマだけで参加していた時代はメダルを取れた野球がプロが加わった今回は惜しくもメダルを取れませんでした。対戦国のレベルが上がっていることも確かでしょうが、最初からプロの参加についてはもめただけになぜか不協和音を感じざるを得ません。ヒット1本でも空騒ぎするくせに、負けると涙。女子ソフトボールの思わず力が入る試合の積み重ねに比べると試合運びも淡白で後味が悪かったと思います。プロ野球ファンとして興味しんしんだっただけに残念であったと同時に「団体競技」の難しさも考えさせられました。

 四つ目は「オリンピックに魔物が棲んでいる」という有名な言葉です。メダル候補でその力を十二分に見せつけて優勝する選手。逆に思わぬ負けをする選手。噂にも登らなかったのに頑張れてしまう選手。地味だけれどもそれなりに意義ある記録を残せる選手。オリンピックだけではなく、私たちの世界も同じではないですか。魔物なんてどこにも棲んでいません。すべてが努力と才能だけではなく、運や本人の気持ちも味方についての成果だと思います。1回の結果でくよくよすることはありません。アスリートも私たちも。選手生命が延びたと同時に人生も長いのですから。

 21世紀最初のオリンピックは発祥の地アテネからの再出発です。毎回巨大化するオリンピック。もっと開催国に負担のかからない方法はないのでしょうか。私の人生で最も思い出に残るのは東京オリンピックです。青空にファンファーレを吹く金管がきらめき、オリンピック・マーチに紅白のユニフォームをまとった日本選手団の大行進を見て、私は先進国の仲間入りをする日本の息吹を幼いながらも感じ取り、誇りに思いました。こういう思いをこれから伸びていく国々にもさせてあげたい、それには新しい21世紀のオリンピックの姿、お金のかからないオリンピック、自然にやさしいオリンピック、を開催する方法を考えるしかありません。

2000.10.26

河口容子