10数年前、会社員の頃デンマーク政府主催の投資ミッションにメンバーとして参加させてもらったことがあります。当時毎年行なわれていましたが、私は初めての女性のメンバーでした。現地ではいろいろな人から「本当に日本から来たのか?デンマークに住んでいるのではないか?」という質問を受けました。どうしてそんな質問をするのかたずねると「日本の女性は家にいて社会進出の機会がないと聞いたから。」
こういう日本女性に対する印象は今になっても変わっていないらしく、私の名刺を見て「日本では女性が社長になれるのか」、「日本では女性が男性のあとを 3歩下がって歩くと聞いたが本当か」、「日本では夫が先に食事をして後から妻と子どもが食事をすると聞いたが今でもそうか」、「日本で女性に投票権があるのは知っているが自分の意思で投票ができるのか」などなど、聞いているうちにみじめになったり、腹が立ったりします。「日本の多くの家庭では財布の紐を握っているのは女性。男性は小遣いをもらって暮らしている」、「最近は離婚も妻が夫を家から叩き出すケースが多い」と反撃すると今度は「日本男性はみじめなんだなあ」などというコメントが返ってきます。
[099]性善説か性悪説か
5年ほど前、まだ会社員の頃、ある米国ブランド商品の輸入オーダー・マネージメント・システム構築の責任者をおおせつかった事があります。私自身はSEではありませんので、システム全体の構想を練り、詳細なスケジュール作りと進捗状況のチェック、実務上不具合がないかテストを行い、ユーザー(自分の部下)に教育を行い、社内の関連部署やデータ伝送を行なう取引先3社との調整、専任で張り付いてくれているSEさん7人の管理です。コストと開発時間の短縮のため米国法人で使用しているシステムを改良して使うようにという上司の方針で、英語だけで動くシステム、しかもSEのリーダーはニューヨークのシステム部所属という珍しい仕事となりました。
この仕事を通じて、システムとは経営哲学であり思想であることを思い知らされました。まずこの米国式システムでは処理のステップごとに入力担当者が登録され、それ以外の人は勝手に入力ができません。前工程の人のうっかりミスを後工程の人が親切に訂正してあげることはあり得ないのです。後工程の人は前工程の人に訂正を依頼し、それが終わらないと後工程の人は仕事がストップするしくみになっています。
重要なデータの変更は担当者も一度確定させたら変更はできません。やむをえない場合は、管理者が判断を行なった上パスワードを打ってあげれば変更が可能なようになっています。もちろん、誰がいつ何をしたかの記録はすべて残り、管理者である私のパソコンからは一目瞭然です。おまけに毎朝担当者ごとの前日の処理結果がアウトプットされ、私はひとりひとりから報告を聞くまでもなく誰のところでどんな業務が停滞しているか把握することが可能です。