[072]溺れる者はチャイナ・マネーにすがる

 先日チャイナ・マネーから融資を求める日本の中小企業の方がたとお会いしました。私としては日本の中小企業の問題点を多々発見することになり、参考になる読者の方もあろうかと思い差し障りのない程度にご披露します。
 A社は、半導体関連ビジネスを行っている起業 4年目の小企業です。社長は大手メーカーからの脱サラ技術者です。国内の取引先は大手メーカーで安定した売上があります。ところが中国メーカーとも取引を始めており、最近やっと遅れがちであっても支払いはしてもらえるようになったそうです。しかしながら、この中国の未払分がたまっているため、A社は赤字のままで金融機関から借り入れができません。国内ビジネスだけに絞れば採算は採れますが、せっかく始めた中国へのチャネルも逃したくありません。融資をしてもらえれば業容が拡大できるチャンスと社長は考えています。融資の依頼を商社 2社に持ち込んだところ、利益の 7割を渡せば面倒はみる、と言ってくれたものの、残りの 3割の利益ではわざわざやる意味がなく社長は岐路に立たされています。
 問題点のひとつ目は支払条件を含めた契約の交渉をきちんと中国側としていないことです。A社の社長は英語も中国語もできません。A社には国際ビジネスの経験者もいません。外国為替の知識すらありません。偶然、中国のメーカーと見よう見まねでビジネスを始めてしまったようで、その中国のメーカーに関する客観的な情報は一切持っていませんでした。大変危険なことです。
 社長は中国のメーカーに「気に入られている」と力説します。外国人というのは洋の東西を問わず自分の利益になれば感情ぬきで大事にしてくれます。それを「気に入られている」と勘違いするお人好しの日本人がたくさんいます。台湾や香港の同種の企業と比較するとA社の営業利益率は半分から 5分の一です。日本のコストが高いので利益率を圧縮するのはわかりますが、おそらく売値も安いのではないか、という懸念を持ちました。「安い、契約条件も言いなり」だから大事にされているだけではないでしょうか。これでは、まともな条件では「競争力」がない、という危惧さえあります。 

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[071]ブルネイ特集 祈りとセレブな日々

 私がブルネイを知ってほしいと思う理由のひとつに稀有な社会構造というのがあります。ブルネイは三重県ほどの広さに30数万人の人口。ボルキア国王が国家元首であり、首相であり、イスラム教の最高指導者でもあります。豊富な鉱物資源のおかげで、国民は所得税なし、医療も教育も無償です。石油や天然ガスの産出量がいくら多くても人口が2億人を超えるインドネシアとは貧富の差が歴然です。
 今回の私の仕事はブルネイの第一資源産業省と国際機関が共催する工芸品産業と商品のプロモーションのためのワークショップの講師で、対象は政府職員と中小企業のオーナーです。2日半のワークショップをひとりで仕切らねばなりません。ブルネイは母語はマレー語(現地ではブルネイ語と呼んでいます)ですが英語教育が行き届いており、母語なみに通じます。政府からの通達なども英語版が必ずありますので、英語のできる人にとってはまったく不便のない国です。
 夜中の12時半ごろシンガポール経由で首都バンダル・スリ・ブガワンに到着、ホテルで待っていたのは「朝9時から事前打ち合わせを行う」という事務局からのメモでした。結局夜中の3時ごろ就寝、コーランの時間を告げる「アザーン」の放送で明け方に目が覚め睡眠不足での初日を迎えることになりました。とはいえ、会場は私の泊まっているホテルの上の階です。
 初日はプレスも招待されており、翌日の地元紙の一面には開会式の私の写真が掲載が記事見出しとともに掲載されました。新聞の一面には犯罪人にならない限り一生出ることはないと思っていましたので仰天です。いかに平和でニュースのないところかおわかりでしょう。新聞は記念に持って帰って来ました。
 ワークショップの開会式と閉会式にはお祈りがあります。会場の隣室からマイクでコーランを朗読する声が流れ、参加者は唱和します。私は特に宗教を持ってはおりませんが、自宅では毎朝先祖に対し仏壇にお参りをします。何かをいただいた時や特別なものを買った時はまず仏壇にお供えをします。祈りや感謝という気持ちは今の日本人に最も欠けている事ではないでしょうか。
 朝のスタートが早いブルネイでは 4時半には仕事が終わります。外はまだこうこうと明るい時間帯です。今回はいろいろ楽しい体験ができました。まず、 3万人が生活をする世界最大の水上村落カンポン・アイルをモーター・ボートで見てまわりました。ササヤン・コンプレックスというショッピング・モールの近くに船着場があります。私たちが行くと船頭たちが一斉に手をあげます。東洋のベニスとも呼ばれるカンポン・アイルですが、ここではゴンドラではなく、木製のモーター・ボートです。ブルネイ川に浮かぶ水上村落、巨大な川で湾かと思ったくらいです。学校や警察も水上にあります。スピードのため、へさきが上を向き、波を超えるたびにドスンドスンと船底に衝撃が走ります。
 翌日はホテルのエレベーターで小さな女の子を連れた夫婦と遭遇。メイドが二人付き添っています。女の子は両手に大きなダイヤのような指輪をはめ、首からは大きなペンダントがぶら下がっています。指は1本ずつ色の違うマニキュアが塗られています。あとでブルネイ人の政府関係者にメイドのユニフォームはロイヤルファミリーのメイドのものであることを教えられました。皇室年鑑のようなもので調べたところどうも国王の長女のご一家だったらしいと判明。あの女の子のアクセサリーは子どものおもちゃどころではなく本物のダイヤモンドだったようです。
 今回は現地に事務所がある日本の総合商社の所長に大変お世話になりました。夕食に所長宅に招待していただいた時のことです。フィリピン人のメイドが見事な和定食でもてなしてくれました。実は高級スーパーを2軒ほど見てまわりましたが、国民の15%ほどが中国人で、食材も非常に豊富です。すし酢から寒天、インスタントラーメンまで売っています。この所長宅はプール付で2000坪ほど、メイドたちの部屋は別棟になっています。人口の少ないブルネイではブルーカラーの仕事はほとんど、フィリピン人、マレーシア人、インドネシア人に頼っています。現地の女性はだいたい子どもを 4-5人産みますが、メイドを安価で雇えるためキャリアウーマンも安心して仕事を続けています。
 この2000坪に建つ豪邸が約2000万円。これはミドルクラスの標準で、お金持ちは小高い丘に6000坪くらいの家に住んでいるのが普通だそうです。玄関から門まで歩けない、そんな漫画のような暮らしぶりで、この所長宅ですら、日本の芸能人の豪邸訪問などというTV番組が哀れに見えるほどです。
 夕食のあとは東南アジア一の規模を誇る遊園地ジュルドン・パークへ。これは国王から国民へのプレゼントだそうです。近くにポロ好きの国王が作ったポロ競技場、国王の愛馬150頭の厩舎(1頭何億円の馬もいるとか)、そして王室専用ディスコがあります。最近は一般人にもメンバー制で開放されており、この商社もメンバーです。この日はお客様はなく、がらんとしたディスコを見学させてもらいました。ホールは豪華絢爛絵巻物のようです。厳しいイスラム教国で禁酒(外国人も公共の場所では禁酒)のため、いい大人たちがソフト・ドリンクだけで踊る様というのをふと見てみたい気もしました。
 遊園地は夕方からオープンし、深夜まで営業しています。雨季でしたが、夜もそんなに蒸し暑くなく、長袖のジャケットを着て、結構歩いてもそんなには暑くありません。熱帯雨林の緑に囲まれているせいでしょうか、どこからか吹いてくる風を感じさせました。ちょうど、中国正月の前日で比較的人出はあったものの、乗り物に乗るのに「待つ」ということはあり得ません。メリーゴーランドなど乗れば動かしてくれ、降りたいといえば止めてくれる、といったお姫様状態です。
 さて、私のワークショップも最終日のグループ・ディスカッションと発表会は予想外に盛り上がり、ブルネイ人のやる気を再発見しました。参加者ひとりひとりに修了証書をお渡しし、握手をして無事修了となりました。イスラム式の握手は握手のあと離した手を胸に当てます。初対面のときはちょっぴりシャイで愛想のないように見えるブルネイ人たちですが、顔をあわせるたびに彼らのピュアな優しさが伝わってくるようになります。民族服の衣擦れとともに新しい産業興しへの音が少しずつ聞こえくる気がしました。
河口容子