昨年の10月 4日号「日本最大の見本市」で東京インターナショナルギフトショーを取り上げましたが、1年後の今年は出展者側です。私が現地で選定してきた業者が国際機関のブースに出展するため、商談の成果があがるようアドバイスを行うのが仕事です。
昨年はこの国際機関の違うイベントを担当したのですが、開幕前に気になるのは自分が現地で指示したとおりの商品が届いているかどうかです。これは海外の出展者側のやる気の問題で、今年の最悪パターンは売れると言ったものを持って来ず、売れないものばかり持って来た企業。ベストはアドバイスしたとおり全部作り変えて持って来て、パンフレットや名刺まで日本向けにパステルカラーの美しいものを用意してきたところです。
開幕直前に起こった不安はある国で 4社出展するうちの 2社がVISAが取れず来れないかも知れないという情報でした。開発途上国で日本へ行くVISAを取るというのは大変むずかしいことです。この国では書類の不備など本人のミスとは限らずいくらでもありそうですし、3ケ月分の預金通帳のコピーを提示しなければなりません。要は収入がなければ不法就労のおそれがあるし、多すぎればマネーロンダリングなどの嫌疑をかけられ、といった按配です。一時は商品の展示だけで終わってしまうのかと心配しましたが、開幕には全員そろいほっとしました。
[049]名へのこだわり
昨年の12月13日号「性別にご用心」で、兄弟姉妹と上下性別をきちんと呼びわける日本で、なぜ人を呼ぶ時に、Mr.やMs.と言った性別の呼びわけがないのか不思議に思う、と書きました。日本では男女の区別より、姓そのもの、つまりどこの家(集団)に属しているかの方が重要視される社会なのでしょう。身内、親しい友人以外は通常どこでも姓を呼びあう習慣もそうです。一歩、外に出ればその家(集団)の代表として識別されるわけです。
よく外国人の名刺をもらうと3つも4つも名前が並んでいることがあります。キリスト教徒で洗礼名を持っている人はどうしてもひとつふえますが、ヒラリー・ロッダム・クリントンのように旧姓をミドルネームに持ってくる人もいます。用はルールがない、自分のこだわりで名前をつけているとしか思えません。日本人のように戸籍法にのっとって姓と名とにきちんと分かれ、勝手にはまず変えられない国の人間から見ると、良いか悪いかというよりも感覚そのものが理解できない気がします。
私の知人で「なんで香港人は西洋人みたいな名前をつけるのか?顔みたらどうみても中国人なのにおかしい。」と言った人がいます。確かに香港人のファーストネームはジェームズやイサベラのように西洋人めいた人がほとんどですが、あれは単なるニックネームだそうです。正式には中国人としての姓(たいてい1文字です)と名(たいてい2文字)を持っています。ただし、名刺を見るとたいてい英文ではニックネームと姓の組み合わせ、漢字では正式な姓名とまさにダブルネームです。確かに英国の支配下にあった地域ですが、まだまだ日本人らしい名前にこだわり続ける日本人からすると抵抗があることは確かです。経済の自由化のすすんだ中国本土でも大都市の若い世代はこのダブルネームが定着しつつあります。