今の中国との日本

 最近、香港人の昔からの知人から日本製の消費財を中国に輸出したいので手伝ってほしいとのメールが飛び込みました。彼はビジネスマンで学者でもあり、これから中国本土に展開する小売店チェーンの代表取締役になったのだそうです。彼はどんどん自分の会社を作っていく人ですが、もともと頭が良い上に香港人特有のクイックアクションですから、頼まれた内容を追いかけ、返事をするだけでも夜中までかかってしまいます。ところが現地の夜中の1時や2時でも出張していない限りちゃんと返事は来ます。長年一緒に仕事をしているやはり香港人の男性に聞いたところ面会するのに6時間待って4分話せただけというくらいの忙しさのようです。

 今回、気づいたことがいくつかあります。中国の消費者は「日本製」にあこがれるらしく、ちょうど日本人が「フランス製」や「イタリア製」のタグがついているだけで魅かれるのと似たものがあります。たとえば同じメーカーの化粧品でも現地生産と輸入品では雲泥の差があるようです。これは日本人として多いに誇りにしていいし、感謝すべきことでしょう。

 ところがです。いざ、探そうとしてもないのです。大きいメーカーに行けば、太宗の製品は海外生産、特に中国で生産をしていたりします。それでも、それはいい話だと日本製の商品カタログを無理矢理集め、積極的に対応してくれます。当然、日本製商品というのはデフレ・スパイラルの日本に住む消費者から見れば「割高感」のある商品となります。それでも問題はないと香港から来たバイヤーは言いました。もはや日本製の高級品は中国で売れ、中国製の安価なものを日本人が喜んで買い、という構図が一部では成り立っているのです。

 一方、上海に合弁企業をもつ日本人の知人によれば上海では年収2,000-3,000万円の人は小金持ちでしかありません。しかも、その人数は日本での人数の比ではないとテレビでも言っていました。中国では人件費が安いからモノが安く作れる一方、そればかりではないことをこの話は物語っています。

 いくつか中小企業にも引合をかけましたが「中国ではうちのような高いものは売れないでしょう。コピー品が出回るかも知れないので嫌です。」と断られたこともありました。これも正論ですが、高くても買える人は日本よりたくさんおり、またコピー品はどこかで公開されている限り出るのです。先日、見本市に出かけましたが、中国人の来場者もたくさん見かけました。中国市場へ出したからコピー品が出回るというレベルの発想は幼稚としか言えません。ある人の話によれば、福井は鯖江の眼鏡工場では高級品の作れるところには中国人バイヤーが行列しているとのことでした。一方、日本で売られている安い眼鏡は中国製がふえています。

 この香港の知人もそうですが、典型的な中国型トップダウンの経営です。自分でさっさと決めて鬼のように働きます。「遅れたらチャンスを逸する」と。一方、日本企業と話をするとほとんどは官僚的サラリーマン世界というか、とにかく何でも時間がかかり過ぎです。このギャップを埋めるのに大変苦労をします。この何でもけたたましいほどに変化の激しい時代、日本だけが取り残されるような不安を覚えたのは確かです。

2002.07.18

河口容子

総合商社の闇

 北方領土のディーゼル発電の入札疑惑で三井物産の社員が逮捕されました。かつて辻元元議員が鈴木宗男議員を「疑惑の総合商社」と呼びましたが、今度は本物の総合商社が浮上して来ました。ニュースで「総合商社の闇」という言葉を聞き、私も2年前までは総合商社の社員であったことを思い出しました。

 私が入社したのは1976年ですでに「商社冬の時代」とは言われていましたが、まだ日本経済の先兵であり、海外との取引は「ラーメンからミサイルまで」総合商社が牛耳っている時代でした。この頃を前後して、オイルショックの物不足に乗じて価格高騰狙いの在庫かくしをしたり、ロッキード事件、ダグラス・グラマン事件という昭和の大疑獄事件がおこり「悪徳商社」という言葉も流行しました。

 総合商社という所は営業なら商品別に何百という組織が作られており、入社した頃なら、隣の課がどんな事で収益をあげているのか、また課内でも担当が細かく分かれていれば他人の仕事内容はほとんどわからない事もあります。離れたところの部署で起こった大事件は良きにつけ、悪しきにつけ、マスメディアで知り、びっくりする事もたびたびでした。幸い私は、全く異なる部門での営業経験、そして非営業と異動が多く、労働組合の諮問委員もやったことがあるため、社内人脈が広く、後日かなりの社内情報通にはなれましたが、デマや誹謗中傷の類でストレスがたまるのも、この業界の特徴と思います。

 総合商社で機械の輸出を手がけたことのある人なら、開発途上国向けは現地の権力者とのパイプ作りが重要、そして政府の無償援助案件はおいしい、というのは伝統的な常識です。特に後者は、政府に提出する書類作りは面倒ですが、お金の回収の不安がまったくないからです。特にカントリー・リスクの高い国から多額の金額を回収するのは、一歩間違えば社運を左右してしまう可能性もあるのです。一例をあげれば、東南アジアの通貨危機以来ひっかかっている案件は各社山のようにあるはずです。

 総合商社どうしは仲が悪いか、と言えばそうでもなく、業界内でいろいろなレベルでの交流が世界中でありますし、国際入札では商社連合と称して幹事会社のもと数社共同で入札することもあります。また、過去オレンジなど輸入の割当枠があった時代は自社枠を他社へ貸して儲けるということがありました。ふだんはライバルでも利益になれば手を組むという変幻自在さも一般の人から見れば闇かも知れません。

 上述の悪徳商社時代に各社モラルの見直しが進められ、社内の監視制度なども行き届くようになりました。また、その後バブルの時代へ突入し、開発途上国も民主化が推し進められ、総合商社の不祥事はなくなったかのように見えました。一方、それと同時に総合商社以外の業種の海外進出や直接取引が急増し、バブルの終焉には「商社氷河期」を迎えることになります。総合商社という機能は日本特有と教えられ、その業態を誇りに思えた時代もありました。いつしか、もはや時代遅れのドメスティックな産業なのではないか、海外取引をしているから本人たちは国際化していると勘違いしているのではないか、と疑うようになったのも事実です。今回の事件は現在の総合商社の象徴でもあります。

2002.07.11

河口容子