国境を越えるミーハー心

 ワールド・カップの終焉とともに、今年前半も終わってしまいました。サッカーにまったく興味がない、嫌いという方にとってはさぞ辛い1ケ月だったことでしょう。会社員の頃、スポーツ・ブランドの輸入の担当をしていたことのある私は、今でもまずユニフォームやスパイクのブランドをチェックする習性があります。老若男女、いろいろな角度からの観戦や感動があったと思いますが、ビジネス・ライターの友人のメールにはこんなことが書かれていました。

 彼女の驚きと怒りは、今までリベラルと信じていた友人知人の何人かが、韓国代表チームの躍進に突如右よりになり、韓国に対する嫉妬、嫌悪感、差別感を露にしたというのです。「あの国に追いつかれて、日本はダメになる」という論理に、「追いつかれる程度の技術や経済力なら、さっさと追いつかれたらいいじゃん。」と彼女は反論したそうですが、確かに共同開催国が米国や中国で、彼らがするする勝ちあがってもそういう事を言う人は少ないでしょうし、共同開催国がトルコでも言わないだろうと思います。

韓国に反日感情が残っているから不快なのか、あるいは神功皇后以来の朝鮮半島を我が物としたい日本人特有のDNAのせいなのか。元をただせば、大陸の文化は朝鮮半島を通じて伝来し、日本人の祖先は半島の人もたくさん混ざっているはずです。いわゆる骨肉の争いの感覚に近いのか、単なる大陸へのあこがれの裏返しなのか、私にはよくわかりません。不幸な歴史的なわだかまりと言っても日本に原爆を落とした米国を未だに憎んでいる日本人は少ないはずです。良い意味でのライバル意識というのはお互いを高める上で必要かも知れませんがそういうのとも違う気がします。

 そして彼女の発見はミーハーに国境はない、ということです。日本選手よりアン・ジョンファン選手の方がカッコイイと素直に感じるミーハー心が、せこい国粋主義よりはるかにまし、というものです。確かにミーハーに国境はありません。サッカーのサポーターはどんな国へでも応援に行くし、日本の歌手やタレントは中国や東南アジアでも大人気です。ハロー・キティやポケモンといったキャラクターにも国境はありません。ヨーロッパ高級ブランドの大半は日本市場、それもごく一部の富裕層ではなくミーハーにより、売上が支えられているわけです。世界各国のリゾート地にしてもしかり。彼らの動きが高尚かどうかという議論は別として国際化をおしすすめている牽引車であることは間違いありません。

 ミーハーが動けば、ビジネスになります。ビジネスマンにも国境はありません。儲かればどこへでも出て行くし、どの国とでも仲良くなれます。私の会社員生活は、まさに輸出立国ニッポンが韓国に追い上げをくらいながら、逆にどうしたら韓国とうまくビジネスをするか学んだ世代です。

 ミーハーも行かず、ビジネスもないアフガニスタンのような国が不幸にさらされるのはご承知のとおりです。その意味でミーハー大国、ジャパニーズ・ビジネスマン大国ニッポンは安泰とも言えます。政治家も官僚も自分でがんじがらめの枠にはまっていないで、ミーハーやビジネスマンに学ぶべきことがあるのでは、と思う今日この頃です。

2002.07.04

河口容子

宴のあと

 以前未曾有の没落ぶりを見せる日本の「国際競争力」というテーマで書かせていただきましたが、どんどん選手がメジャーリーグへ進出している野球とレベルの向上著しいサッカーは別と内心思っていました。現在行われているワールド・カップでも日本チームは予選を1位で堂々通過しベスト16へ進出しました。4年前のフランス大会の成績に比べれば大したものです。トルコ戦では入りそうで入らない1点に泣きましたが、ここまで上がれたことで努力は必ず報われると感動しました。が、その夜の韓国チームの闘いぶりを見てやはり上には上がいる、これぞアジア人の粘りと本来イタリアチームのファンの私もいつしか韓国チームに拍手を送っていました。

 「サッカー後進国」の極東へ世界最大のイベントをお金で買ったと陰口をたたかれながら今大会はスタートしました。サッカー先進国から見れば遠くて滞在費も国内交通費もバカ高い国へ普通のファンがやって来れるはずもありません。外国人の多くは日本企業が進出している国からの招待が多いと聞きました。外国どうしのゲームも日本人観客だらけ、そして空席問題、梅雨と世界のファンから見れば不快な大会だったかも知れません。新しく作られたスタジアムやキャンプ施設は宴のあと、有効活用されるのでしょうか。

 それにしても、日本中の盛り上がりは大変なものでした。仕事中、試合を見ていいかどうかの議論がお役所でまで飛び出したのは初めてのことです。残業せず、飲み屋にも寄らず初めて自宅へ直帰したお父さんや家族で初めて一緒にテレビを見た人たちもいたことでしょう。サポーターは12番目の選手と言われるように、サッカーはなぜかじっと一人で観ても楽しくないスポーツです。応援という形で自分もゲームに参加している気がします。押しつけられる「日の丸」や「君が代」は嫌いでも、自然に揺れる日の丸、わき起こる君が代の合唱、大声の「ニッポン」コールにとうの昔に忘れていた「日本人としての連帯」を感じた人も多かったことでしょう。

 野球は細かいルールがあり、ポジションも決められています。また、攻守もきちんと交替にやってきます。技能的にも長い訓練が必要で誰でもすぐまねはできません。従って、観客は鑑賞する、あるいは批評するという立場を取るしかありません。逆にサッカーはルールは単純で、大まかな分担はあってもピッチを縦横にかけまわり、創造的な無限のゲーム展開が可能です。野球型の管理社会からサッカー型のフレキシブルな社会へ変化している中で共感が生まれるのも当然な気がします。

 今大会ではサッカーはマイナースポーツである米国が勝ち進んだことにより米国でもサッカーブームが起こるかも知れません。オリンピック、冬季オリンピックともにあまり活躍しないアフリカや南米のチームが活躍するところにワールドカップの面白さはあると思うので、スポーツ大国米国はほどほどにしておいていただきたいのが私のホンネです。

 さて、次のドイツ大会に向けて出発です。今度は振り出しに戻り地区予選に残らない限り出場すらできません。4年後、日本チームは、そして日本はどうなっているのでしょう。美しい夢の続きを見るために努力したいものです。

2002.06.27

河口容子