女性の出張

 先日、ある有名サイトの掲示板で「女性で出張する人、メールを交換しましょう」というタイトルを見つけ、何年も前の記事が間違って出ているのかと眼を疑ってしまいました。内容を読むと、彼女は大都市に住んでいるようですが、まわりにはよほど出張する女性がいなくて情報交換をする相手がほしいのかとも思えたし、意地悪く取れば「女性だのに出張している」ことを自慢しているようにも思えました。それと同時に日本はいまだにそんな社会なのかとひどくがっかりしました。

 まず、出張そのものの有無はその人の職種、属する業界、あるいはポストによって決められるのであって性別によって差別されているのではないと思います。私が就職した20数年前でもスチュワーデスや旅行会社の添乗員は女性であっても出張するのが仕事でした。つまり、現在でも確かに女性の出張者は男性の出張者よりはるかに少ないことは認めますが、性別というよりも、その人の仕事内容による結果とも言えます。特に、近年は長引く不況で経費削減から出張そのものの回数が減っていることから、男性にも出張の機会は減っている気がします。

 男女雇用機会均等法が試行されたのは1986年4月です。当時はバブルの真只中で女性の労働力を求める活力にあふれていました。当時新卒で入社した女性総合職も40才に手が届くようになり管理職として活躍している人も多いはずです。それともバブルとともにそういう女性たちも消えてしまったのでしょうか。

 私の経験からいえば、確かに当時なら女性の出張はもの珍しく「女性にも出張があるんですか?」「女性が出張した場合の日当は男性と同じですか?」などと真面目に聞く人たち、しかも女性が多く困惑した思い出があります。また、終業後大阪へ出張する際、スーツ姿で幕の内弁当に缶ビールで新幹線の中で夕食を取っていたら、周囲のサラリーマンたちに白い目で見られた記憶があります。また、地方都市へ行くと「これが東京から来た総合職の女性」と一瞬のうちに見物人に取り囲まれたこともありました。アフリカの奥地に一人で乗り込んだような気分でした。

 10数年前にヨーロッパにミッションの一員として出張した時、受け入れ国の政府の人々から「あなたは本当に日本から来たのか、ここに住んでいる日本人ではないのか?」とたずねられ、なぜそのような質問をするのかと問うと「日本では女性は差別されているので重要な仕事はさせてもらえないし、出張なんてあり得ないと聞いた。」という返事でした。

 また、「日本では女性は管理職になれるのか」「日本では女性が会社の社長になれるのか」と外国人から聞かれることはしばしばです。なれると答えると「そうか良かったね。ここでは能力があればごく普通だけど。」と東南アジアの人たちにも言われます。その一方、「英語もしゃべれないくせに山のように買物をしていく」あるいは「ジゴロに引っかかり日本まで連れて帰る」遊び人としての日本女性の噂も海外では有名で、同じ日本女性としては恥ずかしい思いをよくします。女性の出張者の皆さん、ご活躍をお祈りします。

2002.06.20

河口容子

アジア人から見たニッポン

 先週、知人のインドネシア人の女性が1週間初めて東京に遊びに来ました。彼女は50歳の中小企業経営者で日本の大企業の管理職並みの収入はありますので現地ではかなりお金持ちといえます。華人ですので見た目は普通の日本の中年女性です。英語も堪能で、出張、旅行と世界を飛び回っています。

 外国人の来日というといつも頭が痛いのが言葉の問題です。彼女にしても現地で知り合う日本人はすべて英語を話すため、日本では英語が通じると勘違いしてやって来たはずです。よほど特殊言語の地域に旅慣れた人でない限り、早々にコミュニケーション面で精神的にダメージを受けます。西洋人の場合は優越感があるのか言葉が通じなくても堂々とどこへでも行くし、日本人も西洋人には親切で、日本人にたかって暮らしているような人までいます。ところが相手がアジア人となると手のひらを返したように不親切です。皆が皆不法就労者や犯罪者でないにもかかわらず。

 彼女は私のアドバイスを守り怪しげなアジア人と間違われないためにカジュアルルックではありましたが、エルメスの時計に大きなダイヤモンドの指輪をつけて現れました。やはり言葉には閉口したのか「日本の高校では英語を教えないの?」高校どころか中学からやって高校までで6年勉強するのだと答えると「なんで英語話せないの?」

 彼女のカルチャー・ショックはどこまでも続きます。彼女は部下の女性と来日し、部下の姉の家に泊まっていました。この部下の姉は普通のインドネシア人ですが、ご主人はスエーデン人で日本に駐在中です。家は東京の高級住宅街にある月額50万円の借家で勤務先が借り上げたものです。察するに、そんな高価な家に住んでいるならお手伝いさんは何人もいるだろうという気安から彼女たちは宿泊する気になったのだろうと思います。ところがこの家の主婦は妊娠8ケ月で幼い男の子までいました。そして、ひとりで客人ふたりの世話までしなければなりません。知人の女性はお手伝いさん頼みの生活のため料理はおろか、洗濯機さえ使えません。

 電車の乗り換えと駅の階段の上り下りにもかなり閉口したようです。何せジャカルタでは運転手つきで通勤から外出までしているのですから。タクシーにのればこれも高い、泊まっている家まで渋谷や原宿からタクシーを使えば、現地の工場労働者の月収くらい払うはめになります。ホワイトカラーとブルーカラーの賃金格差がない、むしろ職種によってはブルーカラーの方が高いという話にはまったく理解ができず、外国人労働者を研修生と称して驚くほどの低賃金で雇用する企業もあると言うとそれにも驚いていました。彼らの国では外国人というと企業経営者や外資系企業の駐在員、インドネシア企業にあっても技術指導者や管理職のイメージが強いからです。

 「収入も肩書きもなさそうな若い人がどうして高級ブランド品ばかり買えるの?」「お年寄りの1人暮らしってそんなに子どものいない人が多いの?どうして老人ホームに行かないの?」こういう外国人のシンプルな質問を私はいつもひとつひとつ重く受けとめては考えることにしています。はたして彼女はまた日本に来たいと思ってくれたでしょうか。

2002.06.13

河口容子