国際競争力

 スイスのローザンヌのIMD(国際経営開発研究所)が発表する国際競争力のランキングで「日本は30位、マレーシアにも抜かれる」という新聞の見出しを見つけました。3月末の号「アセアンの国から- 1」でマレーシアの活力を取り上げたばかりでしたので、あらためて納得した感がありました。

 ちなみにこのランキングは49ケ国しか対象にしていませんが、経済力はもちろんのこと、財政、機構、ビジネスに対する規制、教育をも含めた政治的な効率、ビジネスの効率、テクノロジーや衛星、環境をも含めたインフラなどあらゆる観点から評価してランキングをつけるものです。

 日本は49ケ国中30位ですから、びりから数えた方が早いわけです。1993年は2位で、94年から少しずつ後退、97年には9位、98年には18位へ転落しています。10年もたたずしてこんなに落下した国は珍しいのではないでしょうか。アジア勢では、シンガポールが5位、台湾が24位、マレーシアが26位、韓国が27位です。辺境の地もまだたくさんあり世界最大の人口を持つ中国は31位と日本にせまっています。

 1位の米国は別格として、上位の国のほとんどはヨーロッパの小国です。歴史的にもヨーロッパは中規模の地方都市の集合が国家を形成しており、たとえば首都と地方との格差というのが経済的にも文化的にも日本ほど見られません。社会福祉が行き届き、インフラも早くから整備されています。また、大陸であるがゆえに他国との交流もさかんで言語も複数話せる人たちがほとんどです。これら小国は王国が多く、政治的にも安定しています。それにしても、日本のようにあくせく働かず、トレンドにびくびくもせず、国際競争力が高いというのは何ともうらやましい限りです。

 ひとつのランキングを見ただけで一喜一憂する必要はないと思うものの、ランキングを下げ続けている原因は何なのか?これは私がずっと貿易という仕事を通して感じてきたことですが、バブルの崩壊と同時期にグローバル化が一気に進んだことです。右肩上がりの経済、そして他国の競争力がまだ低い時代は小手先の調整で機能していたあらゆる仕組みがすべて時代遅れになっていることに気づいたのです。国家としてのグランド・デザインなど考えず、「ジャパン・アズ・NO.1」の神話にうかれていたからです。

 一部のデータしか入手できていませんが、国内経済という視点ではまだ11位です。しかし、マクロ経済という視点では29位です。政策は31位。ビジネスのニーズに見合う基本的、技術的、科学的な人材という点では16位なのに対し、企業の革新性や収益性という点では35位です。これなどは人材はあるのに生かしきれない企業体質そのものに問題があると言えましょう。

 国際競争力、輸出型産業はとうの昔から対策を練ってきたものです。ところが政治家、官僚、護送船団方式の産業などは常に内向きで自分の目先の損得しか考えて来なかったつけが今問題となっていると思います。景気の浮揚策など目先のことをあれこれ論議したり、下手な情報に踊らされるより、日本を作り直すくらいの心構え、まずは堅実に生きることを日本人は考えるべきです。

2002.05.09

河口容子

装置産業

 日本の百貨店は巨大な装置産業です。基本的に商品は消化仕入、つまり業者から商品を預かって売れた分だけ支払う仕組みです。売場によっては販売員まで業者に出してもらい、ブランドのコーナーなどは什器も業者持ちです。それだけリスクがないにも拘わらず業績が低迷する、中には倒産するというのは、商売の仕方や危機意識のなさといった問題以前にいかに不動産取得や建物を建て維持するのに日本ではお金がかかるかということではないでしょうか。スーパーもしかりです。高い人件費をおさえるために、ぎりぎりの人数、しかもパート社員の活用で維持しているのに同じく低迷状態です。

 総合商社に勤務していた頃、友人と議論をしたことがあります。総合商社はものを作るわけでもなく、店で売るわけでも、倉庫業や問屋のように在庫をするわけでもありません。人材だけが資産などと言われ、巨大な本社へ数え切れない部署を作って人を配置しています。ところが、取引先から見ると複数の部署にまたがって取引をしている企業はグループ企業などごく一部で、太宗の取引先から見ると何百の部署の一部課としか取引がないのです。中で勤務する社員も関係ある部課の業務内容しか知りません。それでは別に本社に人を集中させる必要はなく、それぞれ取引先に近いところで勤務をしたり、このIT時代、SOHOでもいいではないか、というのが友人の論理でした。それに対する私の意見は「総合商社は大きい建物にうじゃうじゃ人が働いているからお客さんが来る。」という皮肉に満ちたものでした。

 今問題視されている銀行にしてもそうです。都市銀行なら全国の一等地に立派な支店をかまえるのがまず信用を得ることだと考えられてきました。その建物に厳重な金庫やらコンピュータ・システムと行員をつめこみます。なぜ、ネット銀行という発想がもっと以前からなかったのでしょうか。

 バブルの崩壊、そしてIT時代となった現代、箱(建物)にモノや人を詰め込むのはもはや非合理的になっているのです。それは上述のサービス業なのに装置偏重型産業が低迷していることで証明できます。装置に詰め込めば、人の管理は楽です。遅刻をしないか、嫌がらずに残業をしてくれるなど簡単に目に
見える部分で人を判断できます。また、外部の人間からもその人の能力を見抜く必要はなく、箱のきれいさや大きさで信用することができるからです。

 こうした箱神話が続く限り、サラリーマンで一生安泰に暮らしたい人間がふえ、そのうち満員電車に我慢さえして箱に行きさえすれば、そして言われたことだけ最低限していれば給料がもらえるという発想の人が多くなるのも無理はありません。

 私の起業もこうした箱重視からの脱却の試みでもあります。自宅の一室をオフィスにし、必要な時だけ外出や出張をします。徹底的なコストの絞りこみをすれば低価格で良質のサービスを提供できます。そして取引先と協力して役割分担しひとつの事業なり、プロジェクトをすすめていきます。お互いが自己責任の世界ですから、甘えはありません。きれいな箱でも大きな箱でもないけれど、中味をきちんと見ていただける人には大変お得、そういった仕事師たちのフレキシブルなネットワークを世界中に作っていくのが私の夢です。

2002.05.02

河口容子