カスタマー・オリエンテッド

4月 1日付けでみずほ銀行という巨大銀行が誕生したとたん、起こり続けるシステム障害。前田社長の「実害はない。」発言に国民の怒りと不安がふきあげました。異なるシステムを持つ 3行の合併、準備期間がいくらあったとしても商品がお金である以上、おいそれと実験をやったり、トライアル期間を置きユーザーに使ってもらう事もできないはずです。特にシステムの場合は、万全と思っても本番に入ってからわかるバグ(不具合)もあるのは常識です。

この年度始めの個人も法人もお金の出入りが多く、しかも不慣れな土地で生活を始めたり、銀行口座を始めて持つ人もたくさんいて、ただでさえ混乱がおきる時期になぜ合併などしなければならないのでしょう。閑散期に合併をすれば、決算などは変則となりますが、大規模のトラブルは防げたはずですし、段階的にシステムを移行するという方法もまどろっこしいようですが、リスクは分散できたと思います。

 銀行口座への自動振込みや自動引き落としはほとんど誰でも使っています。知らないうちに何かの代金が二重に引き落とされ、残額がなくなり、次の引き落としができなくなったら、個人も法人も信用をなくします。また、東京電力が27億円も入金ができないという事態に、金利を払えば「実害はなかった」ことになるのでしょうか。また、あるクレジット・カード会社は引き落としが遅れた旨のお詫びの書状をくれましたが、この会社は入金が遅れたばかりだけでなく、お詫び状を出すという莫大な作業が発生するという二重の害です。謝ってすむレベルを超越しています。

また、ニュースを聞きつけ、確認のため銀行や ATMへ駆けつけた人もたくさんいたはずです。これらの顧客はやらなくても済む事をやらねばならず、行員もその対応というダブルパンチに見舞われたはずです。

 私はこの合併のおかげで法人、個人とみずほ銀行に 4口座も持つはめになりました。そのうち旧第一勧銀と旧富士銀行の同じ名前を持つ支店は目と鼻の先にあります。合併によりひとつになれば管理上便利だと内心思っていたところ、無理矢理片方の支店名を変え、あいかわらず存在します。つまり、行名はひとつになっても旧態依然として営業している事はありありとわかります。

 バブル崩壊後、景気が沈滞してから経営学でもマーケティングでも重要視し始められたカスタマー・オリエンテッド、つまり顧客中心主義という言葉を巨大銀行幹部がすっかり忘れ、縄張り争いにしのぎを削っていた結果がこの事件です。日本人は「几帳面で正確な仕事をする」という定評もすっかり覆し、世界中に恥をさらしてくれました。

 銀行が公共性の強い企業であると主張するならATMも誰でもどこでも使いやすい機種の統一を図り、設置場所をころころ変えたりしないで欲しいし、営利団体と割り切るならもっと合理化を進め、不良債権の処理も透明性を持ってやるべきです。最後に、私自身はシステムは経営方針であり思想体系であると考えています。システムを制してこそ経営に勝てます。システムに踊らされているようではこの銀行の行く末は暗いと思います。 

2002.04.25

河口容子

ひがみといじめ

 先の連載でもお伝えしましたが、16日間でアセアン 3ケ国を駆け足で出張して戻ってきた私の目に映った日本は「閉塞感」のかたまりでした。半月以上経っても相変わらず鈴木宗男議員は議席に座り続けているのです。そのうち、辻元、加藤両議員の辞職、田中真紀子議員スキャンダルと議員とお金をめぐる騒動が次から次へとあらゆる陣営で起こっています。

 ふたつ感じたことがあります。言い古された言葉ですが、政治家の倫理観。「加藤さんは政治家としては優秀なんだけどねえ…」と言った人がいましたが、自分の周囲で流れている資金の額や種類に対して認識もできない、あるいは役特を享受しているのなら、一般の市民としても落第で、そんな人が天下国家を論じること自体がおかしいと思います。

 辻元元議員についても「お金がなかったから。」というような発言を聞きましたが、お金がなかったら強盗でも殺人でもしていいのかと言い返したくなり、「新人で何も知らなかったから。」という発言にも、そういう悪習を撤廃しているパワーと良識を彼女は持っているのではないかと期待していただけに落胆しました。最近は日本の政治家とは相当な悪人でエゴイストでなければ務まらないとすら思っています。

 それにしても次々と、なぜこうもタイムリーに目だって派手に活躍している人が槍玉にあげられるのでしょうか。まさに「出る杭は打たれる」のことわざどおりです。権力とお金はイコールでそれを握るととたんに日本人は図々しくなり、握れなかった人間には「ひがみといじめの構造」が発生します。

なぜなら、たとえば秘書の名義貸しの問題であれば、ルールを変えれば済む話です。昔は民間企業でも架空名義のアルバイトなどがいて節税しているケースがありましたが、今はまずできません。金融機関の口座も架空名義はもう作れません。同じように議員秘書にしても議員を事業主に見立て一議員につきいくらと支給してあとはその中でやり繰りさせる、あるいは秘書の勤務規則を見直し実態がなければ支払わないなど、民間ではとうの昔に当たり前にやっていることが議員の場合はなぜ野放しにされているのか、不思議なことばかりです。

マスコミを含め、解決策を考えず、スキャンダラスな部分のみほじくりあっている所が「ひがみといじめの構造」の特徴です。企業の不祥事で内部告発による発覚というのが多いようですが、これも単純な正義感から内部告発をしているケースより、たぶん処遇面などで不満をもつ内部の人間による「恨み、つらみ」が内部告発となって出てくるのではないかと推察します。

ひがみ、いじめ、恨み、つらみといった感情は一気にすさまじいエネルギーを発します。「目の上のたんこぶ」や「しゃくにさわるあの人」が失墜することで溜飲を下げているようでは、改善、改革などはとてもできません。他人を追い落とすことにより得る快感は瞬時のものであり、真の幸福感につながるわけがありません。しかしながら、そういうことに楽しみを見出す人が増えるということは、努力しても損、誠実に生きても損する社会になっているということを暗にほのめかしているような気がしてなりません。

2002.04.18

河口容子