やっぱりデジタル・デバイド

 私が総合商社へ入社した1976年ごろは伝票は手書き、机の引き出しにはそろばんも入っていました。英文タイプも必須でしたが、時には清書という仕事もありましたし、コピー機は200人くらいで1台しかなくいつも機械の前に長蛇の列が出ていました。その頃の平均的OLとして25才くらいで結婚し、ワープロもパソコンもない家庭で専業主婦をしていたならば、こうやって起業することも、エッセイを書くこともないし、メルマガが何かすら知らないおばさんになっていたことでしょう。そのくらいITは人間の可能性を変えてしまいます。

 デジタル・デバイドという言葉を始めて聞いたのは数年前米国でパソコンを使える人とそうでない人に所得格差が生じているという記事を読んだ時だったと記憶しております。その頃私自身はパソコンの平均的なユーザーで自宅にパソコンも持ちインターネットもやっていましたが、非アルファベット言語国民にはキーボードはハンデとなり、普及はむずかしいのではないかとよく思ったものです。

 ところが、一説によると一般家庭での普及率は50%を越したとか、特に年収850万円以上の世帯では約80%、逆に250万円以下の世帯では約20%というギャップが生じている記事を目にしました。確かにパソコンはひところより値下がりはしたもののプリンターなどの周辺機器を買ったり、ソフトの買い替え、インターネットのプロバイダー使用料も含めると結構お金がかかります。統計的には当たり前という気がするものの、パソコンを標準的に使いこなすには慣れが必要なことと、若い人はこれからの長い人生を考えるとマスターしておく必要があるでしょう。収入が少なければ、習得する機会が減り、ますます収入を得る機会を閉ざしてしまうという悪循環を危惧しました。

 自営業の友人たちに言わせると「パソコン・スクールに行かなくてすむのも大企業のメリット。」確かにオフィスのOA化、パソコンの一人一台体制へと、自然に社内教育が行われ、わからないことは社内のパソコンマニアや情報システム部の人に聞けばたちどころに解答が得られるという恵まれた環境にありました。現在の就職難では正社員として働いた経験のない人もふえており、派遣社員として登録するのにもまずパソコン・スクールへ行ったという若い女性の話を聞くに及んで、業種、職種、会社の研修体制による格差の大きいことにも改めて感じさせられました。

 高齢層のパソコン・スクール通いもブームになっているそうで、インターネットを使っての資産運用や出歩かずに情報を収集できたり発信できる点は高齢化社会にむいているツールだと言えます。ここでもインターネットを駆使して特典を得たり人生を楽しむ高齢者とそうでない高齢者とのギャップが出てきそうです。

 私自身はパソコン万能主義者ではありませんが、小泉内閣がメルマガを発行し200万人が読者登録を行うほどの必需品となりつつあります。特別にお金を出して買ったり習いに行かなくても公共の場でパソコンが自由に使え、また気軽に指導してもらえるような環境づくりがIT大国への道だと思います。 

2001.07.19

河口容子

ドレス・コード

  満員電車に乗ると「この暑いのにネクタイにスーツは何とかしてほしい。」というサラリーマンの悲鳴が聞こえてくるようです。法律で決まっているわけでもなく、流行でもないのに一部の企業を除いてはビジネスマンの制服がワイシャツにネクタイ、スーツです。何にでも疑問を持つ私としては、なぜこのスタイルがビジネスマンに定着しているのか知りたくてたまりません。女性のように襟のないジャケットや半袖(かつて首相自ら省エネルックとして着用されていた方がありましたが誰も真似しませんでした。)もありません。万人に似合いやすく、オフィスでの機能性と品格をそなえたのがあの形なのだろうと勝手に解釈をしております。

 ドレス・コード、英語で「服装規定」のことです。米国ではオフィスのドレス・コードがとても厳しかったと聞きます。多民族国家で価値観も違うため自由裁量にゆだねると仕事にふさわしくない格好をしてくる人もいるからという理由でした。また、キャリア・ウーマンはミニスカート、フリルのついたブラウス、大ぶりなアクセサリーもだめという時代もありました。ベンチャー・ビジネス花盛りの時代へ入ると、堅苦しい衣服では自由な発想が生まれない、とオフィスへのカジュアル・ウェアの導入がすすみ、そして最近はまた行き過ぎたカジュアル化、つまりオフィスはリゾートではない、という風潮も出てきています。

 小泉内閣のベスト・ドレッサーは?というニュースを耳にし、案の定扇大臣がトップで何となくがっかりしました。確かに扇さんは若々しく美しい、一般中高年女性の目標にはなりますが、国会議員や行政の長としては髪形といい洋服といい、外見が人間性を押し殺してしまっている気がします。田中大臣のスーツ姿にはきりりと好感が持てるものもありますが、ある日はおばさん丸出しのカーディガン姿で国会に現れたりしてがっかりさせられます。私の理想は英国のサッチャー元首相のさりげないスーツ姿で、どんな服だったか強烈な印象はないけれども個性と一体感をともなっているという点にあります。しかも年を重ねるごとにエレガントで美しくなる点も努力の積み重ねと自信のあらわれでしょうか。

 キャンプ・デービッドでの小泉首相のカジュアル・ウェアも注目の的となりましたが、着慣れていないというかはしゃぎ過ぎの感もありました。一方、ブッシュ大統領は落ち着いたトーンですっきりまとめ、適度なフォーマルさも兼ね備えていました。私の祖母は普段はまったく着るものにかまわなかった人ですが、他人を訪問するときやお客様を迎えるとき相手のことを配慮しながら和服の格や柄行など大変気をつかっていたのをよく覚えています。これがドレス・コードの真髄のような気がします。

 就職活動用にリクルート・スーツというのがあります。私が面接担当なら非常識でない限りその人に似合った服装をしている人を採用します。会社訪問をするときだけ無難な格好をしてうけを狙うなどという魂胆が嫌いだからです。日本人は洋服文化の歴史が浅いせいか、冠婚葬祭がよい例ですが制服のように型にはまった着こなしを選んでしまいがちです。また、ブランドにも頼りがちです。人間性こそ一番のおしゃれであることに早く気づいてほしいものです。

2001.07.12

河口容子