私は都内の昔からある閑静な住宅街の一戸建てに住んでいます。子どもの頃は昼間玄関に鍵をかけることなんて考えられませんでした。ご近所や友達が自由にやって来ましたし、こちらも出かけて行って「玄関の戸が空いているから近所に買い物にでも行ったのだろう。」と庭先で待っていたりもしたものです。ところが、今では玄関に鍵をかけていないと不安でたまりません。
バブルの頃からでしょうか、訪問販売、宗教団体の勧誘など見知らぬ侵入者が増加しました。あとで事件になった業者などは母ひとりの所へ数人でやって来たり、こわいので庭先で対応しようとすると「机のある所でないと話ができない。」とすごまれ、通りがかった近所の人に助けを求めたということもありました。
また、昨年起業したばかり、法人登記が終わってしばらくした時のことです。「ご開業おめでとうございます」とある経営コンサルタント会社からDMが送られ、また違うコンサルタント会社の人はいきなりオフィスに現れました。私の正式な起業を知っている人といえば、公証人役場、法務局、税務署、銀行くらいしかいません。彼らはどうやって情報を得たのでしょう。それが不思議で恐怖感をおぼえました。
電話によるセールスもそうです。最近は昼間不在の家庭がふえたせいか夜であろうと日曜であろうとじゃんじゃん電話がかかってきます。大半は昔ながらの押し売り口調で「私のいう事を聞かないとあなたは損をする。そんなお金もないのか。」と言わんばかりです。だいたい電話というのは他人の行為をさえぎって呼び出すものです。それなりの礼儀があっていいと思います。しかも見ず知らずの人にモノなりサービスを買ってもらうのなら、なおさらです。
ポスティング、いわゆるちらしの配布です。郵便局の人は制服で判別できますが、自宅のポストの前で老若男女の不審人物、と思いきやポストにすばやくちらしを入れて立ち去って行きます。副業なのか深夜に現れる人もいます。
もちろん、皆仕事として一生懸命やっておられることは理解できますが、相手への配慮がうかがわれれば少なくとも不愉快な気分にさせられたり、不信感をいだいたりはしません。いろいろな情報やサービスがあることは便利であるとともにわずらわしくなったことも事実です。
宅配便。最近は宅配便を装った事件もふえていると聞いてうかつに対応できません。圧巻は「空き巣、犯人は行動パターンを熟知している近所の人だった」という話を知人に聞いてからは、自分のスケジュールを必要な人以外には話さないようになりました。留守電もセットしておくと留守であることを証明しているようなもので危ないと友人に注意されました。
とにかく、家にいるだけで間接、直接に人のみでなく、モノや情報が侵入してくるわけで、これを自分にとって有利であったり快適であるものとそうでないものと見分けるだけでも神経をすり減らしてしまいます。これが人々が求めてきた文化的なくらしや現代文明がもたらした結果です。
2001.07.05
河口容子