求人充足率の謎

 「求人充足率が意外に低く、求人と応募者のスキルのミスマッチ、職業教育が急務」という記事を新聞で見つけました。求人した企業のアンケートを取ると「ほしいレベルの人材が応募して来ない。」という回答が多かったという説明です。リストラ、終身雇用の崩壊で多くの優秀な人材が求職しているはずです。また、労働観もバラエティにとんだものになっており、小さい企業や有名な企業でなくても良い人材を取れる時代になっているはずです。労働市場で何がおこっているのでしょうか。下記が私の気づいた事柄です。

 まず、「求人広告」イコール求人活動ではないことです。「宣伝行為」としての求人広告もある、つまり儲かっている会社に見せかけるポーズで実際に人など欲しくないケースです。最近は就職サイトの普及により無料で求人広告を出せます。これを悪用して他人の名前をかたり、偽の求人広告を出して世の人を惑わせて楽しんでいる人もふえていると聞きます。本来、良い企業なら求人広告はしなくても希望者から問い合わせがあります。次に、「人海戦術」で社員や取引先に適材を紹介してもらう、あるいは斡旋会社に依頼するという形式が取られ、広告は最後の手段ではないかと思います。

 「ないものねだり」の求人広告も目につきます。たとえば「MBA、○○の経験何年および△△の経験何年以上、35才まで。」など、そのような優秀な人がごろごろ遊んでいるとも思えません。CPA、CFP、TOEIC何点以上などと資格偏重の傾向も見て取れ、行政が職業教育など施さなくても既に転職希望者はどんどんこういった資格取得に向け日夜励んでおり。教育産業はさぞや儲かっているに違いありません。

 その一方、ある転職サイトのアンケートでは応募者のエントリー・シートで企業が重要視するのは「年齢」、次に「勤務地」となっており、ITや英語といった技能に対する関心は順位が低いという結果を見つけました。

 たとえばこれらの求人に女性や外国人で適任者が社内にいたり、応募してきたとします。この企業は喜んで登用するでしょうか。日本企業なら9割以上が「ノー」でアンケートの答えは冒頭の「ほしいレベルの人材が応募して来ない。」となると思います。男性の場合は長所を見て登用、昇進が行われるのに対し、女性や外国人に対してはまずマイナス要因が大げさに取りざたされ、それを補って余りあるほどの能力がなければ候補にも上がらないのがまだまだ現状ではないでしょうか。

 「終身雇用」や「年功序列」の崩壊で、働く側は資格取得の勉強やフリーター、SOHO、起業家、あるいは海外へ職を求めるといった新しいワーキング・クスタイルの樹立でフレキシブルに対応しようと努力しています。それにひきかえ、企業側は「中高年の悪者視」「若くて有資格者尊重」といった身勝手なトレンドを作りあげ、実際は低コストで使いやすい人材を探し求めている気がします。中には若手もすべてリストラの対象で、一年中中途採用者と置き換えている企業もあると聞きます。

 人事は企業の鑑です。形式やコストだけにとらわれない人事施策を行っている企業には活力があります。「文句のつけようがない応募者」が来るのを待ち続けるより、いつでもおのずと人の集まる魅力ある企業、人を上手に育てられる企業を目指さなければ大競争時代をどうやって生き延びるのでしょうか。

2001.03.30

河口容子

こころの時代

年末に「しくみの崩壊」を書かせていただいた時、読者の方から「同感である。かなり痛い目にあわなければ克服はむずかしいであろう。」というコメントや「21世紀は今までの反動が来てこころの時代になるだろう。」というコメントをいただきました。

新世紀になって1ケ月目「こころの尊さ」を強くアピールした事件がありました。新大久保駅でホームから転落した人を助けようとして犠牲になった日本人と韓国人のおふたりです。最近は正義感からケンカの仲裁をしたり、他人に注意をしたりしただけで怪我を負う、殺されるということがあまりにも多く、何が起ころうと「見て見ぬふりをすることが処世術」という風潮があっただけに、より感動的で痛ましい事故でもありました。

この事故を最初耳にした際、おふたりの勇気に感動するとともに不思議だったのが「その時駅員は何をしていたのか?」という素朴な疑問です。誰もいなかったそうです。私は私鉄のある駅でホームと電車の間隔が広いために何と1週間に2回も線路に人が転落するのを見たことがあります。そこは小さい駅ですが電車の発着時には必ず駅員がホームにいるので大した怪我にはなりませんでした。

東京は公共の交通機関の発達度、時間の正確性では世界に類を見ないほど優れた都市で通勤、通学の手段としての依存度も非常に高いはずです。昨年起きた地下鉄日比谷線の事故も振り返ると安全性に少し不安を覚えました。確かにふだんの事故は自然災害や飛び込み自殺、踏み切りを無視してトラックが突っ込んだりと「被害者」側にまわることが多く、自らの安全性に疑問を持っていないのかも知れません。

もうひとつ考えられるのは、リストラの悪影響です。鉄道のみならず、あらゆる業種でしじゅう体験しますが、自分の仕事に精一杯で他人を思いやるゆとりがない人が急増しています。ひとりでこなす仕事の量がふえているのか最低限の機械的な対応しかできない人が増えています。企業にとって人を減らして利益をあげるのは即効果があがりますが、仕事の内容ややり方もいっしょに見直さない限り時間がたつにつれ質の低下や信用の崩壊をまねきかねません。

新聞記事に出ていましたが、「昔は上司が飲みながら愚痴を聞いてくれたり、個人的な相談にものってくれた。今はそんないい人はもういない。」と。確かに私自身の会社員生活をふりかえってみても、まず「管理職の絞り込みや適性」という形で年功序列主義が崩れはじめ、ついで「リストラ」という形で終身雇用制度が消えていった気がします。これらの変化とともに確実に上司像は「ふだんは厳しいけれどいざとなれば頼りになる人」から「ハンコをもらう人」に変わっていきました。最近はロボットの開発競争がさかんですが、このままでは人間がロボット以下になってしまいそうです。

人間が人間らしくあるためには「こころの復権」が大切です。どうも邪悪なこころを見せつけられる事件が相次ぐ昨今ですが、新大久保駅の事故により多くの人が美しいこころを思い出してくれることを祈る毎日です。

2001.03.23

河口容子