[312]続 中国に広がる日本の食文化

 今年の春から日本酒を香港に輸出し始めた事は2008年 4月17日号「新たなチャレンジ」で書いた通りです。不思議な事に香港人が経営している日本食レストランからの注文であってもどこからそのような情報を得るのか「指名買い」、中には JANコードまで発注表に書いてあったりします。まずは酒造メーカー名を調べ、電話をし、直接売ってもらえるかどうか、代理店(問屋)から買わなければいけないのならその連絡先を聞く、という段取りで仕事はスタートします。この代理店とていろいろな酒造メーカーの銘柄を取り扱っているわけではないので買いつける銘柄が増えれば増えるほど交渉相手がふえます。
 さらに輸出は免税取引ですので輸出申告時に酒税の免税取引の申請書を酒造メーカーごとに作成し、申告後税関印をもらったものを酒造メーカーに送付するという作業が発生します。酒税というのは酒造メーカーが負担するもので代理店は一切関係ありませんから、代理店から買っても酒造メーカーともやり取りをしなければなりません。香港はもともと人口が少ない上に、大量にお酒を飲む人はあまりいません。しかも日本酒が定着している訳でもなく、少量多品種の展開にならざるをえません。手間暇を考えると大企業ではコストにあわず、小企業であっても複雑な輸出業務や税務をいとわないという所でなければまずやらないでしょう。
 酒造メーカーと連絡を取るうちに驚くべきことを発見しました。酒造メーカーというと地場産業の代表選手、オーナーは地元の名士であったりと古き良き日本の「静」のイメージですが、今は自社でコンテナ単位の輸出をしているところもあり、輸出手続きについても実に簡単に話が通じて不思議な気分になることがあります。
 以前に比べ家庭で日本酒を飲む人は少なくなり、外食時も日本酒を選ぶ人は減ったような気がしますが、その分海外で日本酒ファンがふえるのは実にありがたいことです。私自身はどんな銘柄が好まれるのか興味しんしんで「日本で人気があるもの」なのか「中国人が好む名前」なのか「たとえば新潟など特定の地域なのか」など傾向を香港のビジネスパートナーに聞いてみました。ワインにたとえると「ライト・ボディでフルーティなもの」ということです。基本的には大吟醸、吟醸の 720ml瓶以下のサイズが売れ筋のようです。梅酒、ゆずのリキュールなどフルーツものにも関心があるようです。最近はラベルデザインもおしゃれなものが多く、お猪口や枡に入れるのではなく、リキュール・グラスに注いでフランス料理などにも楽しめるのではないかと思ったりもします。
 別の香港クライアントから出てきたオファーは日本の冷凍水産物です。「おいしい」「安全」というのが狙いでしょうが、こちらは日本食ブームとは関係なしに一般の香港人向けの商品です。水産物はコンテナ単位で動きますが、私は「食べるだけ」のまったくの門外漢、幸い10年ほど前まで築地の仲卸に勤務していた小中学校の同級生が現在は自営業で時間が自由になるためサポートをしてくれることになりました。彼は水産学部卒で、日本食のお店も経営していたことがある料理人でもあります。川上から川下までのスペシャリストという強い味方を得ました。
 世界の同時株安で、通貨は円の独歩高。輸出ビジネスは厳しいと言われますが、考えてみれば20%の円高で売れなくなるような商品は競争力がないと言えなくもありません。上記の日本酒にせよ、水産物にせよ、円高だから数量を減らすとか、見合わせるという話は一切ありませんでした。さすが香港は医食同源、予防医学の長寿国(地域)だけのことはあります。
 日本酒は日本の誇り、米と水の競演です。微妙な温度や湿度を感じ取りながら丹精込めて作られるものです。水産物は漁師たちが時には命をかけて採って来るものです。いずれも額に汗して働いた成果です。これは評価されて当たり前だと思います。一方、実態経済から遊離し、マネーゲームと化し、世界を巨大な賭博場にしてしまったヴァーチャルな金融の世界は崩壊が始まっています。
河口容子
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[311]危機を克服するベトナムと新しいハノイ

 先日ハノイ市への投資セミナーが開催され、在日ベトナム大使の講演がありました。2008年 7月 3日「ベトナムを襲う経済不安」で触れたように急成長と世界的な原料高により異様なインフレが進み、通貨、株式、不動産の急落とアジア通貨危機の再来の懸念さえありました。
 大使の講演では政府のとった方策として
(1)金融の引き締め(政策金利の引き上げ、預金準備率の引き上げ)
(2)財政支出10%削減(公共事業の縮小、凍結、延期、歳出削減)
(3)生産、輸出の促進(輸出税の引き下げ)
(4)輸入の管理
(5)物価の安定(生活必需品と公共料金の据え置き)
(6)証券市場の安定(違法行為の取り締まり)
(7)福祉の確保(特に弱者への支援)
(8)情報公開による国民の信頼確保
を説明されました。ベトナムのトップの方には詳細かつ率直なお話をされる方が多く、つい親近感を覚え思わずエールを送りたくなります。これらの政策が功を奏し、 IMF、世銀、アジア開銀などは経済危機ではない、政策の効果も出てきていると評価をしています。
 私自身が感じるのは、ベトナムは産油国でありながら製油所がなく(シンガポールで精製)従って石化プラントもない、製鉄所もありません。よって産業の基盤となる素材はすべて輸入に依存せねばなりません。原料高の直撃を受け、貿易赤字も膨らむという構造になっています。それでも 7パーセント台の経済成長を維持し続けた、海外からの投資が増え続けたというのは、周辺諸国に比べ政治の安定性、地政学的な優位性、国民性に優れているからとしか言いようがありません。また、チャイナ・リスクのおかげもあります。発展途上国にインフレはつきものですし、急成長すれば必ず途中で修正局面はあり、中長期的に見れば問題はないと私は考えています。目先の損得だけで動く人はそれだけリスクも大きい、これは当然のことです。
 大使によれば「日本は敗戦で焼け野原になったが50年で世界第 2位の経済大国になった。これは人材育成に力を入れたからである。ベトナムも人材育成に力を入れたい。」とおっしゃいました。在日ベトナム人留学生 3,000人。研修生、実習生として日本で働くベトナム人 1万 7千人。このセミナーでも隣に座ったのが日本で働くベトナム人男性。男性の場合はスーツを着ると日本人となかなか見分けのつかない方が多く、女性の場合はメイクのしかたや服の着方が違うのか案外すぐ見分けがつくのが不思議です。
  8月にはハノイが隣のハテイ省などを併合し新しい大きなハノイ市となりました。その面積は3,346km2で東京都の約 1.6倍、世界で17位の都市に生まれ変わりました。 GDP成長率は何と12%です。2010年の「ハノイ遷都1000年」を前にこじんまりとした政治の街から南のホーチミン市に匹敵する大都市としての体裁を整えようということでしょう。百人一首で有名な奈良時代の唐の留学生である阿倍仲麻呂がハノイに任官していたのは 760-767年だそうでハノイが遷都される前ということになります。古都であり、旧宗主国フランスや共産主義の先生である旧ソ連といったヨーロッパの香りもする小さな都市ハノイが好きでした。また、私の初めての講演はハテイ省で行いましたので心情的にはハノイもハテイもそのままであってほしいという気持ちが強いのですが、こんな個々人のちっぽけな感傷を飲みこみながらどんどん拡大していくのが今のベトナムのようです。

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河口容子
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