[284]相次ぐ中国からの撤退

 2008年 1月17日号「中国の輸出規制策と日本の中小企業」でも触れましたが、中国での経営環境の悪化により、広東省では外国企業の「夜逃げ」が相次いでいるとのニュースを目にしました。実はもう 1年くらい前に香港企業のオーナーが会社のお金を持ってドロンするケースが何件かあり、残された従業員たちが賃金未払いに対して暴動を起したというようなニュースを見た記憶がします。
 珠江デルタ地域から昨年 1年間に撤退した起業の90%以上は香港、台湾資本とのことです。あわてた東莞市は外国企業の本土市場開拓の支援を始めたそうです。2007年 4月12日号「東莞市の政策に見る世界の工場中国」をお読みいただければわかりますが、人口減らし、工場減らしが市のスローガンだったわけです。これが外資頼みで急成長した国々の大きな弱点です。海外からの直接投資は即効性はありますが、ビジネス価値がなくなれば引き上げてしまうからです。
 ジェトロの在アジアの日系企業 4,500社あまりを対象とするアンケート結果では今後外国向けの生産基地はベトナム、インド、タイが主流となり、中国は中国国内向けの生産拠点という考え方が多かったようです。つまり、生産と市場の国際化、2006年 3月 9日号「バイラテラルからリージョナルへ」の時代に入ってきたわけです。
 一方、韓国企業の進出が最も多い青島市でも企業の夜逃げが問題化していると聞きます。青島市のある山東省には約 2万社の韓国企業が進出しており、青島市には6,000-7,200 社があり、2000年以降 200社程度が夜逃げしたそうです。韓国の貿易促進機関は夜逃げ防止のために撤退手続きのサポートをしています。
 大韓民国の人口は約4,900 万人、それでいて山東省に 2万も企業が進出したとは驚くべきバイタリティです。もともと中国には東北部を中心に朝鮮族が 200万人いるため進出しやすいと聞いたこともあります。島国日本とは事情が違う点ともいえるでしょう。
 青島周辺に間接投資した韓国系工場を持つ日本の取引先にこのニュースを伝えると確かに市内ではそのような噂を聞くとのことですが、同社の工場は市外であり、労働力も今のところ問題なく確保できているものの、製品の特性上、副資材の調達と短納期が条件であり中国国内で生産し合理化を図る以外には今のところ方法はないようです。
 話は変わりますが、中国の餃子事件以来、スーパーの冷凍食品売り場はいくら割引をしても閑散としていますが、私の自宅近くのお店では商品ごとに「製造工場名」を明記しています。たとえば「xxxx(日本のメーカー名)四国工場」といったあんばいです。中国の工場製はほとんど見あたりません。在庫はどこへ行ったのだろう、中国の工場はどうなったのだろう、と不思議に思ったくらいです。スーパーといい冷凍食品メーカーといい、この素早い対応こそが今後のビジネスを勝ち抜く秘訣のような気がします。
河口容子
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[233]東莞市の政策に見る世界の工場中国
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[283]良い人間関係はじっくりと

せちがらい世相のせいか、終身雇用制度の崩壊で労働観が変わってしまったのか、豊かな中で育った若者がふえたのか、「言われたことを最低限しかしない」「人が良さそうなら徹底的に利用する」ビジネスパーソンたちの急増に思わず溜息が出てしまうことがあります。中にはそれを世渡り上手と自負している人もおりあいた口がふさがりません。転職をしようがしまいが、仕事人生というのはえんえんと連続するもので、汗と涙の結晶が時とともに輝き出すものだと思います。
2007年 2月15日号「コラボはチカラ」に登場する同業者の Yさんから「取引先の物流会社の方がベトナム大使館からある案件を依頼されたので智恵を貸してもらえませんか」とメールが来ました。ベトナム大使館の誰から依頼されたのかと聞くとなんと私のベトナム・セミナーの日本側の窓口である S商務官ではないですか。そして Yさんとこの物流会社を訪問してミーティングを行なったところ、物流会社の窓口は私が東京で行なったセミナーに出席してくださった Tさんでした。まさに世間は狭いとしか言いようがありません。
そもそも Yさんと知り合ったのは2005年の春でジェトロ(日本貿易振興機構)と貿易コンサルタントたちの会合でした。 S商務官とは2005年夏頃、アセアン関連のイベントで知り合い、2006年度のベトナム・セミナーから担当になります。 Tさんは2006年 8月のセミナーにお越しいただき、セミナー後1-2 度メールを交換させていただいた記憶があります。それぞれまったく違う経緯で知り合い、その時は2-3 年先にこのようなつながりになるとは誰も予測はしなかったはずです。一同「なあんだ」という感じで即プロジェクト・チームが出来上がりました。
ちょうど香港向けに小口の貨物を出す業者を探していたので、これも何かのご縁と思い上記の物流会社にお願いすることにしました。会社員の頃から「取引先第一主義」のお手本であった私は、まず取引先の商品は(いただくのではなく)お金を出して買う、その企業や担当者の業績に寄与することは自分の仕事と関係なくても積極的にやって来ました。そのせいか、社内でピンチの時も取引先に救われたことが何度もあります。また、何年、何十年たっても私の事を覚えていてくださり、突然ビジネスが立ち上がることもあります。
香港のビジネスパートナーとは知り合ったのはまだ会社員の頃の 9年前で、一緒に仕事を始めたのはこの 3年後です。当時、私自身も起業の計画は一切ありませんでした。彼にとって何度も来日経験はあるものの、日本企業で仕事の話をした女性の第一号が私で、突然国際弁護士を紹介してほしいと言われて困った上司に代わり、即前の職場の時にお世話になった弁護士とアポを取り事務所までお連れしたというエピソードが強く印象に残っていたようです。彼は次ぎ次ぎと新しい事業に没頭するため、何ケ月も一緒に仕事をしないこともありますが、そのまま疎遠になることはありません。私自身が目先の損得だけで騒がない人間であることをよく知っているのといざとなれば一番信頼が置ける人間の一人だからでしょう。
私のメルマガの発行管理をしてくださっているデジタルたまごやさんともかれこれ 8年のおつきあいになりますが、小さいものの 2度ほどお仕事をお願いする機会ができました。当初、私の仕事とはまったく接点がないだろうと思っていただけに大いなる進歩だと思っています。また、読者であるパリ在住のコンサルタントの Nさんとも 2-3年かがりでやっとお目にかかれ、コラボ案件の依頼をいただきました。
真面目に丁寧に取り組む者どうしが出会えばいつかは仕事の花が開くものです。最初にあげた例などは縁が連なって円になった良い例です。事務処理は手早く正確に、良い人間関係の構築はじっくりと。新年度に贈る言葉です。
河口容子