[268]サプライズ連続・イン・ハノイ

 海外旅行にサプライズはつきものですが、今回のハノイ出張はサプライズにあふれていました。いくつかご紹介します。
【情】2007年 9月13日号「在日ベトナム人の目」の冒頭に出てくるベトナム商社のN部長とは公式行事のない最終日に一緒に食事をする約束をしていました。ところがセミナー当日 200人ほどの聴講者の中に彼女の顔を見つけたのです。予想していなかっただけに嬉しい驚きでした。しかも部下を 2人連れて来てくれました。彼女のオフィスからセミナー会場まではタクシーでも30分以上かかります。あるいはバイクを連ねて来てくれたのかも知れません。以前、ブルネイでも知人のビジネスウーマンたちに出張しますと連絡をしただけでセミナー会場にはちゃんと座っていてくれたことを思い出しましたが、アセアンの方々の情には本当に胸が熱くなります。
【謎】同行の工業デザインのY先生を文廟(約1000年前のベトナム最古の大学がある孔子廟)へ地図を片手に徒歩でご案内した帰りのことです。入り組んだ住宅街を通りぬけて行ったので帰り道迷ってしまいました。地図を広げてY先生ときょろきょろしていると道端にプラスチック製のスツールを置いて座っていた50代後半くらいの男性が「あっち、あっち」とばかりに指を指して教えてくれるではないですか。どうして私たちの行きたい方向がわかるのか不思議でしたが、「ありがとうございます」と深くお辞儀をすると「いいんだよ、いいんだよ。」と言わんばかりにその男性は手を挙げて応えてくれました。おそらく文廟へ向かう私たちの姿を先に見ていたのかも知れません。昔の日本ではこんな小さな親切とお礼の光景がたくさん見られたような気がします。
【懐】2006年12月 7日号「カワグチ、ゴールキーパー」の後半に出てくるホテルの土産物屋の女性とも再会しました。実は彼女がまだ働いているかと土産物屋を探したのですが違う女性がいました。あれだけ英語の上手な彼女のことですからどこかに転職したのかも知れないと少し寂しい気持ちでした。ところが違う日に何とフロントで彼女を発見したのです。彼女は昇格して、アオザイではなくスーツ姿になり、ヘアスタイルも眼鏡のフレームも昨年とは変わりましたがレンズの奥の慎ましやかで賢そうな瞳はそのままでした。「あなたのことをよく覚えています。私にハンカチをくださったでしょう?お母様とご一緒にお暮らしでしたよね?チェックインされた時は勤務時間帯が違う日だったのでお目にかかれませんでしたが、今回もどうぞごゆっくりお過ごしください。」毎日毎日多くの人と接する彼女にとっても私は懐かしい人であったのかも知れません。
【憤】ハノイから成田への直行便は夜中の12時過ぎの出発です。政府機関の車で空港に着いたのは夜10時頃でした。そこで知らされた「出発が翌朝 8時に変更」という事実に驚愕としました。 8時間遅れ、本当に 8時間経てば飛ぶのかも不安になります。Y先生は翌々日に大阪での講演をひかえておられたので大阪行きに空席がないか交渉しましたが満席。政府機関の職員に電話をして「空港の近くにホテルはないのか」たずねると「英語の通じるようなまともな所ではないので航空会社の指示に従ったほうが良い」と言います。そこへ私がマーケティングの専門家をやらせていただいている国際機関(今回のセミナーの協賛者でもあります)の部長と部長代理がカンボジア出張の帰りということでばったり。思わぬ所で知人と出会うというのは私にとって珍しい出来事ではないのでさほど驚きはしませんでしたが、同じ境遇の仲間が増えました。航空会社からは理由の説明もなく、ハノイのホテルを用意すると言うのですが、空港とハノイ市内は車で40分はかかります。これだけの人数ですからチェックインやチェックアウトにも時間がかかり、ゆっくり休む時間はありません。空港で仮眠を取れる場所はないのかなど航空会社の職員に交渉。早口の英語でまくしたてる私に日本人の男性客たちは遠くから何とかしてほしいとばかりに成り行きを見守っていました。
【奇】結局はハノイ市ホータイ湖畔の超豪華ホテルに私たちは泊まることになりました。昨年のAPECのときブッシュ大統領も泊まったホテルです。二人一部屋とのことでしたが若い女性の旅行客 3人組が自分たちは一緒に泊まるからと私に 1部屋を譲ってくれました。 100平米はあるかと思われるスイートです。寝過ごしてはならぬとシャワーの後、メイクもし直し、服も着替えて、いつでも飛び出せるよう万全の体制での仮眠です。過ぎたるは及ばざるが如しという通り、仮眠に広すぎる部屋、豪華な調度品は何の役にも立ちません。出張ではまずこのホテルに泊まることはあり得ないだけに貴重で奇妙な体験となりました。翌朝 5時半にホテルを出ましたが、11月のハノイは昼間の30度とはうって変わり、朝は寒く、綿入れの薄いジャケットにマフラー、手袋をしてホテルの車寄せ周辺を軽くランニングをしたほどで「冬は底冷えのハノイ」が近づいているのを感じさせられました。
河口容子
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 ミシュランの東京のレストランの格付けが話題になっています。私自身はこのようなガイドブックは1冊も買ったことがなく、他人の判断に頼ることなく自分の味覚と嗅覚でおいしいかどうかを決めれば良いと思うし、誰とどんな気分で食べるかで味も変わります。また、中途半端な外食より自分の作った料理のほうがはるかにおいしいという幸せ者でもあります。海外ではなるべくその土地の料理をいただきますが、何かしらヒントがあり、帰国して自分の料理に応用しています。今週はハノイで印象に残る食事の話です。
 セミナーの日の昼食は会場である農業・農村開発省展示センターの会議室で関係者だけで静かにいただきます。どんな高級ベトナム料理店でも見られないもので50代くらいの方に聞くと「子どもの頃お祝いごとや親戚一同集まると食べた」とのことで「ベトナム版おせち」と私は呼んでいます。「食べるのがもったいないみたいですね。写真を撮るまで皆さん食べないでくださいね。」と私が言うと準備をしてくださったセンター長もニコニコ顔です。天秤棒に両方からバスケットがぶら下がっている形の竹細工。高さは50センチくらいありますが棒の部分には花が飾られています。バスケットの中にはもち米を蒸した上にいかの燻製状の豚がのせられているものが入っています。味もいかの燻製とそっくりです。かぼちゃをくりぬいてスープ入れにしたもの。かぼちゃの皮には花の彫刻がほどこされています。丸い揚げパン。フランスパンに砂糖をふりかけたバターをつける等など。こういう優しい懐かしいお料理で午前中の講演の疲れを取り、午後のコンサルテーションへの英気を養います。
 この晩は例年商務省貿易促進局主催のディナーがあります。朝 5時半に起きディナーが終わる 9時ごろまでは一切気が抜けない 1日です。もちろんベトナム料理で、海産物の他にこの日の変わったメニューは山岳ブタの焼ブタにニンニクのスライスとはじかみのような野菜を入れてハーブに巻いて食べるものです。主催者の副局長は商社の社長経験者で日本への出張経験も多く「オオキニ」を連発しながら、焼ブタをハーブに巻いて下さったりもします。「あなたのような日本のビジネスウーマンはきれい、カワイイデス。」にはびっくり。「これは肌がきれいになるから」「これは若返りに効くから」といろいろな野菜やハーブをすすめてくれました。まん丸い顔に大きな目のついた私の顔は福相で中国人には美人に見えるという絶大な自信があるのですが、ベトナム人もそういう好みなのかも知れません。同局の日本語と英語に堪能な若手男性職員は 1年会わない間に結婚し、子どもまででき、ベトナムの経済成長並みの変化率です。奥さんは 8歳年下で国営銀行に勤務しているとのことですのでエリート・カップルです。
 翌日はちょっと冒険もしてみました。ミッションに随行して来た在日ベトナム大使館のL商務官の実家はハノイの旧市街にあります。その近くのおいしいフォー(麺)のお店を教えてくれました。店主が道路ぎわで麺をゆでているような何の装飾もない10人も入ればいっぱいのお店です。庶民の行く1杯 100円くらいのお店。工業デザイナーのY先生に途中で合流した日本の政府機関のH課長と3人日本人ばかりスーツ姿で入ったので周囲のお客さんたちは物珍しげに私たちを見ていました。このようなフォー屋さんをハノイの市内のあちこちで見ることができますが鳥インフルエンザの影響か、チキンは影をひそめビーフが主流になっています。
 この後は旧市街のナイトマーケットを歩いてみましたが、道路のでこぼこにつまづかないよう、バイクに轢かれないよう、時折出てくる子どもにぶつからないよう、スリにあわないようにと気を配ることがいっぱいで頭と体が混乱しそうです。ホアンキエム湖近くのカフェにたどりつき「カフェ・スア」(コンデンスミルクの上にベトナムコーヒーをアルミのフィルターでドリップしたもの)を注文する頃にはすっかり疲れ果てていました。ハノイは間口税だったため古い建物は間口が狭くその分3階か4階建てになっています。いずれもバルコニーがあり、そこから通りを眺めながらお茶を飲んだり、食事ができたりします。古き良き時代の映画のセットのような景色、なぜかアルゼンチン・タンゴが似合う気がする街角です。
河口容子
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