[252]運命と宿命の違い

 私にとって韓国ドラマの面白さのひとつは何気ない名セリフです。印象に残っているものとして「運命は前から石が飛んで来るようなもの、避けようとすれば避けられる。一方、宿命は後ろから飛んで来る石で避けようとしても避けられない。」というのがあります。自分が努力しても変えようがないもの、あるいは選択肢がないものを宿命とするならば、たとえば年齢、性別、人種、などを差別やいじめの原因は宿命的なものに多く、人間の世界は実に悲しく、おろかとしか言いようがありません。
 会社員になるとします。これは運命の部類です。その企業を選択しないという自由もあるからです。ところが、仕事を始めてみると、自分の好きな仕事はなかなかさせてもらえません。「会社を辞める」こと以外は、仕事も上司も選択の余地はなく、もう宿命に近い生活となってしまいます。ところが結構日本人はこの宿命に流されるのが好きです。時々同僚とお酒を飲んで会社や上司の悪口を言ってうさを晴らすものの、「生活のため」だの「我慢していれば給料はもらえる」、「転職したり、独立するリスクと比較すればまし」などといろいろな理由を考えては定年まで会社にしがみつく人が多い。
 2000年12月14日号「起業家時代」で会社員を辞め起業した理由を書かせてもらいましたが、今考えてみると上述の宿命に流されるような会社員生活が耐えられなくなったからかも知れません。起業すれば、まさに運命の旅路、日々前から飛んで来る石との戦いで、致命傷となる岩は避けねばなりませんが、逆にダイヤモンドとまではいかずとも小さな宝石くらいは手につかむ事もできます。
 起業して 8年目に入りましたが、商権も何もなくゼロからの開拓です。香港のビジネスパートナーは会社員時代に上司の紹介で 1回だけ会った事がありますが、一緒に仕事をしたことはありませんでした。あとの取引先は会社員時代からのつながりは一切ありません。考えてみれば、名もなく、お金もない会社ですから、私自身を信用してくださって皆さんお仕事をくださったわけです。それが中国から東南アジアまで広がっていると思うと、ありがたいを通り越して、それぞれの方との出会いという運命の不思議さを感じます。
 もうすぐ、ベトナムの商社に勤務する女性の部長が日本にやって来ます。元国営の企業で彼女は日本語も英語も堪能なエリートですが、人柄の良さは天下一品、真面目な努力家でもあります。そもそも 1昨年ハノイに講演に行った際にベトナムの政府機関から急遽訪問を依頼されたのがこの商社で、社長の隣に彼女が座って通訳をしてくれたのが最初の出会いでした。彼女は日本市場の担当をしていますので、以来、彼女が来日したとき、私がハノイへ行ったとき必ず会うようになりました。
 彼女と急速に親しくなったのは、昨年彼女が展示会に出展のため来日したときのことです。ちょうど展示会の最終日で彼女は展示物をしまうダンボール箱を探していました。私は彼女を日本の取引先に連れて行ってあげることになっており、そこでついでにダンボール箱をおねだりしました。サンプルや書類で荷物いっぱいの彼女は「ありがたいけれどどうやって展示会場へ持っていこうかしら?」「たたんで持って行けばいいじゃないの。私が持ちますから。タクシーに乗れば平気ですよ。」と私。日本の取引先はあわててタクシーをひろいに走って行ってくれました。タクシーの中で彼女は「正直、日本の方々がこんなに親切にしてくださるとは思いもしませんでした。」とぽつり。どうやら運命はダンボール箱という小道具を用意してくれたようです。
河口容子
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[2000年12月14日] 起業家時代

[251]外国人と仕事をする

 横綱朝青龍関が仮病疑惑で二場所出場停止の処分を受けました。けがで巡業に出られないとしながらも母国モンゴルでサッカーに興じていたというものです。これは単に一個人の世界の問題でなく、国際化や外国人と仕事をする際に出てくる問題の象徴であるように思えてなりませんでした。
 まず、ご本人にとって日本人が怒るほど罪の意識はなかったと思います。自分は横綱というトップの座におり、日本人力士が育っていないせいかダントツの強さを誇っています。先場所は優勝もし、横綱として、また部屋や親方の面子も保った、責任は果たしたので巡業をさぼるくらいどこが悪いというのが普通の外国人の感覚でしょう。
 けがについては診断書を出したということですので、どの程度かは親方なり部屋の人間はわかるはずで、お里帰りのためのひょっとしたら部屋ぐるみの仮病工作で、あのコミカルなサッカーシーンが津々浦々まで放映されさえしなかったらこんな処分にはならなかったかも知れないなどと勘ぐってしまいます。
 朝青龍関を擁護するつもりはありませんが、相撲の世界の特性、巡業の意味をきちんとご本人に説明、指導してきたのか?入門する日本人が減っているからといって安易に外国人に頼ってしまっているのではないか、外国人だから些細な事はしかたない、強ければそれで十分と甘やかしてしまったのではないか?という素朴な疑問も持ちます。
 私の家は祖父の代から貿易商でしたので子どもの頃から外国人と接しています。大学のときも外国人の先生が非常に多く、会社員のときも職場に外国人がいる事は珍しくありませんでした。よって外国人と折り合いをつけていくことは私の強みになり、独立した現在も海外のクライアントのほうが多いくらいです。ところが外国人と仕事をしたことのない日本人にとっては当然どこが違うのかよくわかりません。従って、一方的に日本的な考え方を押し付けたり、勝手に理解しているものと決めこみ、日本の杓子定規で善悪を判定します。そこが外国人にフラストレーションが起きる原因です。逆にセンチメンタルな部分で「外国に来てよく頑張っている」とか「もの珍しい人気者」として甘やかすくせをつけてしまう日本人がいることも確かです。
 上記の事は男女雇用機会均等法ができたとき、女性の総合職にもまったく同じ現象がおきました。「女性」という理由で差別を受けたり、男性社会のルールを教わってもいないのにある日いきなりけしからんと叱られたり、逆にお姫様扱いを受けることもあります。男性とまったく同じように行動をしていれば問題がないかといえばそうではなく、女性的な華やかさや配慮、忍耐なども時として要求されるわけです。つまり男性と同等の能力を持った上に異質なプラスアルファがあってやっと同等に評価してもらえるのです。これと同じで「日本人としても恥じない横綱プラス立派なモンゴル人としての朝青龍」を皆は一方的に期待しすぎていたような気もします。
 日本のさらなる国際化と少子高齢化により、外国人や女性が職場にふえるのは避けられないことです。私自身が外国人やまったく異業種の方と仕事をする場合気をつけていることは、まず「その仕事におけるそれぞれの役割をきちんと理解すること」です。次に「ほうれんそう(報告、連絡、相談)の習慣をお互いに身につける」ことです。特に異質な文化の人はここで連絡をしないと誰がどう困るのかわからない場合もあり、都度説明をします。そして「長所を存分に生かしあう」ことです。異質だけに素晴らしい発想や能力を見出すこともあり、それは素直にほめて活用させていただくことです。また人はふだんほめられ、尊敬してくれる人の苦言提言は素直に受け入れるもので意思の疎通がさらにスムーズになります。
河口容子
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[11]英語ブームだそうです