[236]アジアと日本の働く女性たち

 厚生労働省の「女性労働白書」最新版によると起業希望者に対する実際の開業者の割合は女性が26.8%、男性が13.0%で、一方、廃業する割合は男性の11.8% に対し、女性は22.9%、つまり女性のほうが男性に比べ起業実現率も2倍そのかわり失敗する率も 2倍という数値が出ています。私自身も女性の起業家や希望者にお目にかかることも多いのでこの数値を自分なりに分析してみると、女性は小規模で自分の身近な発想からの起業、つまりネットショップであるとか、教室を開くといった起業の比率が多く、多額の投資を必要としないため起業に踏み切りやすいと言えます。また、親や配偶者に生活費を負担してもらえるケースも多いでしょう。
 起業というのはどんな規模であっても企画構想力、管理能力、交渉力を必要としますが、女性の場合はこれらを経験として持っていない場合が多く、そこが失敗の原因につながると思います。経験は成功から得られる自信そして失敗からの学習が積み重なって身についていくもので残念ながら熱心に起業塾に通ったり本で読んだところで習得できるものではありません。「趣味だから儲からなくてもいいのよ。」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、ビジネスは他人から必要とされる商品やサービスを提供して評価をしていただいて始めてお金を得られるわけですから自分の給与はおろか経費さえ出せないような起業はビジネスではないと言えます。「私が何何をしたい」という一人よがりの発想ではなく社会での存在意義を考えることも女性にはもっと必要だと思います。また、女性の起業にはセキュリティの問題もつきまといます。経験のなさも手伝ってか詐欺の被害に遭う人も少なくありません。
 マスターインデックス「女性の社会進出度調査」では日本、オーストラリア、中国、香港、インドネシア、韓国、マレーシア、ニュージーランド、フィリピン、シンガポール、台湾、タイ、ベトナムの13ケ国で「雇用市場への参加」「学歴」「管理職の割合」「平均収入」の項目を男女で比較した指数を出しています。日本はこの中で最下位の 46.93ポイントで、ちなみにトップのニュージーランドは 89.85、男尊女卑のイメージの強い韓国でも 65.12です。この指数は 100が男性と同等という意味です。地球平均は 72.09で、上記の国でこの標準を下まわるのは韓国、インドネシア(61.09)、マレーシア(57.91)、そして日本だけです。日本の指数を押し下げているのは「管理職の割合」と「学歴」の低さです。ちなみに「学歴」についてはニュージーランド、フィリピン、タイ、オーストラリアが 100を越して男性よりも女性優位、「平均収入」については台湾が女性優位となっています。
 昔は日本の女性は社会進出などしなくても「三食昼寝付の専業主婦」という身分が確保されていましたが、今では「パートくらいしなくては」の時代。家事、育児、仕事に追い詰められた女性たちが起業で一旗あげたいという気持ちになるのも何となくうなずけます。
 私自身は国際機関や各国の政府機関のお仕事で東南アジアの中小企業を訪問することが多いのですが、女性の起業家、経営者、管理職が実に元気で、良き妻、たくさんのお子さんの母親でもあることが多く実に頼もしく見えます。彼女たちを支えている原動力は安価な労働力とスムーズな人間関係。家事負担が少ない上に日本のようなウェットな人間関係による悩みがありません。そして日本女性に足りないものは目先の事だけでなく長期でもものごとを考え実行していく力です。日本女性には多種多様の人生観や職業観が許されているわけですからしなやかに良い意味でしたたかにいつまでも輝き続けてほしいものです。
河口容子
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 バージニア工科大学の銃乱射事件が韓国系学生によるものとわかった時の韓国の衝撃はかなり大きかったと思います。ノ・ムヒョン大統領が哀悼のメッセージをTVカメラの前で伝え、韓国の駐米大使の謝罪に対しては「個人の犯罪に対し謝罪する必要はない」という非難もまきおこりました。韓国系アメリカ人、これは中国の朝鮮族出身を含め朝鮮半島にルーツを持つ人をさすようですが 216万人弱。一方、日系アメリカ人は 100万人という説ですので 2倍以上大きな民族グループです。これらの人々が米国人社会で冷遇されたり仕返しにあわないよう気遣っての謝罪発言であったろうと私は推測します。メディアもチョ容疑者が孤独な青年であったことや貧困からの精神的な屈折などその個人の特殊な状況を強調しての報道をしており人種や民族問題に及ばないような配慮をしているように感じました。
 バージニア工科大学は州立で 2万 6千人ほどの学生が学ぶ同州最大の大学です。米国のエリート大学が星の数ほどの著名人を各分野にわたり輩出するのに比べ 135年の歴史を持ちながらこの大学の卒業生に著名人は数えるほどです。ある報道によればこの大学に学ぶ韓国系の学生は 460名、中国系は 500名、日本人20名と出ていました。この韓国系と中国系の圧倒的な多さは何なのでしょう。もちろんチョ容疑者のように米国に居住する人と本国から留学している人の比率はよくわかりませんが、米国への日本人留学者数が2000年以降 4万 6千人台で推移していることを考えると日本人にはあまり人気のない大学なのかも知れません。
 私が学生だった1970年代は海外に留学できるのは本当に優秀でお金持ちか海外にゆかりのある人だけで、特に女子学生の場合は「嫁入り前の娘がひとり海外で暮らすなんてとんでもない」という時代でした。バブルの頃になると「女性が男性と伍して社会で生きていくには留学くらいしていないと」というように社会の風潮が逆転したと同時に「日本の有名大学に入れないならいっそ留学したほうがカッコいい、地方から東京の大学に行かせるより経済的」という考え方も登場します。最近は就職するのが嫌だから海外へ留学していつまでも学生のままでいたいという人たちもいます。
 日本の経済成長とともに留学はステータス・シンボル→差別化→世間体→方便と大衆化した(裾野も広がった)と言えますが、この動きはすでに中国でも見られており、東京の日本語学校の教師をしていた知人によれば中国の有名校(重点校)に入れないのでいっそ日本の大学へ行かせて箔をつけようという金持ちの子弟が最近は多く、過去によくあった語学留学生は仮の姿で本当は就労目的という暗いイメージとは違い、最新機種の携帯電話を持ち日本人の若者をしのぐほどのファッショナブルな中国人留学生もふえているそうです。
 教育にも国際化の波が押し寄せるのは自然の流れと思うものの、不思議な事件が大阪市でおきました。市の職員の1100人以上が学歴の逆詐称をしていたというものです。短大・大学卒業者が高校卒業者以下でないと応募資格のない職種に最終学歴を高卒として応募していたという事件です。そこまでしても公務員になりたかったなどというのが理由らしいのですが、そんな発想や行動の人々が大阪市役所の管轄内だけでもそれだけいるということに驚きを覚えました。私自身は学歴社会、つまり学歴により職業の貴賎が生じたり、人間そのものに対する評価が変わることや大学教育イコール職業教育であってはならないと思っています。ところが日本では良い大学イコール良い仕事イコール社会的成功という思い込みがいまだに続いているために学歴を取得するためにだけ大学へ進学する人が増えすぎ、また成績が悪くてもお金さえあれば入学できる大学もふえたことが今回の事件の背景にあるのではないでしょうか。日本に大学の数は多く、また教育水準が非常に高いところも少なくないのに国際的な評価はいまひとつです。私にとって大学教育の意味やあり方を考えさせられたふたつの事件でした。
河口容子
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