[228]ひと目でわかる日本人

 東南アジアの5つ星、4つ星ホテルで日本人ビジネスマンを見分けるのは結構難しいものがあります。5つ星、4つ星クラスに泊まれるアジア人ビジネスマンはもはや衣服も日本人と何ら変わりがありません。しかも東南アジアなら軽装になるのでなおさらです。
 私が見分ける方法は、いくつかあり、まず髪型。他の国の男性は短めで分け目がぴっちりしています。日本人はやや長めでくしゃっとしています。次に歩く姿勢の悪さ。やや猫背でおなかを突き出し、へたへたと歩くのが日本人。ホテルの従業員がコーヒーやお茶を注いでくれても「ありがとう」とも言わず、時には横を向いているようなら完全に日本人と断定します。髪型は好みやご本人に似合うかどうかの問題なので別として、あとのふたつはまったくいただけません。
 そういうあなたはどうなのかと言われそうですが、海外では仕事中の写真を知らない間に撮っていただくことが多く、その中には後ろ姿もあります。後ろには目がありませんのでカメラを意識するどころかカメラの存在も知らないことがほとんどです。幅の広いいかり肩で背中にものさしでも入っているかのような背筋の伸びた私の後ろ姿を見ると、凛々しくて自慢であると同時に意識しなくてもこの姿勢を保持させる緊張感というか意気込みを感じます。
 日本ではレストランで何かを運んできてもらっても軽い会釈や「どうも」と言ってすませることが多く、お金を払っているのだから当たり前と言わんばかりに黙っている人もいます。礼儀正しいとされる日本でどうしてそういうマナーがないのか不思議です。私自身は「どうも」という挨拶は中途半端なのでまず使いません。ありがとうのかわりに「すみません」と言うのも好きではなく堂々と「ありがとうございます」と言うことにしています。お店で買い物をしても、楽しく良い買い物をさせていただきました、という気持ちで「ありがとうございます」と行って帰ります。確かに「ありがとう」はThank You よりも重ったるい感じはするものの、抵抗なく言える人は老若男女を問わず素敵に見えます。
 最近いろいろなセミナーで気づいたのですが、アジア人の講演者の方は演台に立つ前に演台の横で深々とお辞儀をされることが多い。自分も講演をするのでよくわかりますが、演台の前だとマイクもあるし、後ろに何歩か下がらない限りきちんとお辞儀ができません。また、お辞儀というのは全身を見せるところに意義があるような気がしますので、私もアジア人にならい、演台の外でお辞儀をするようにしています。日本人の講演者はたいてい演台の前で首をしゃくったようにお辞儀をするか、慣れすぎている場合は会釈ひとつせず「えー、ただ今ご紹介をいただきました○○でございます。」などとしたり顔で講演を始めるのでその傍若無人さに嫌気がさすこともあります。
 ついでに握手。日本人は手を握って振る人がいますが、相手の手をそっと包むかのように一息止めて握るのが握手。また、握手をしながらお辞儀をするのはマナー違反とも言われますが、米国企業に勤務していた韓国人の本部長は誰に対しても握手をしながら身をかがめるようにお辞儀をしました。そのエレガントなこと、東洋の誇りとまで思ったくらいです。ただし、頭を下げるのは1回のみ、何回もぺこぺこと頭を下げるのは貧相です。また、アジア人どうしはどうしても異性と握手をするのに文化的な抵抗(あるいはイスラム教のように宗教的な禁忌)があることが多く、特に初対面の場合は女性が手をさし出さない限り握手はしないほうがいいような気がします。
 東南アジアの諸国はほとんどが西洋諸国に統治された経験があり、西洋式のマナーが浸透している一方、それぞれの文化も生きています。マナー本に頼るのではなく、ケースバイケース、どうやったら礼を失せず、心が伝わるか、そして美しく見えるか考えて行動することも必要です。
河口容子

[227]シンガポールで報じられた日本の年金離婚

 「あなたが興味を持つと思って」とシンガポールのクライアントが現地で報道された記事をわざわざ送ってくれました。見れば、日本の年金離婚の特集記事でした。彼が1月に来日した際、道端のホームレスを見て「彼らには家族がいないの?」とたずねられ、「いますよ。たとえば、職を失うでしょ。そのうち家庭でもトラブルが起こるでしょう?日本では奥さんがサイフのひもを握ってるくらい強いから追い出されちゃうんです。」と冗談まじりに答えると彼は道路で飛び上がらんばかりに笑っていました。この記事を見て彼は「やっぱり、そうか」と思ったのかも知れません。
 記事は「今年から大量のベビーブーマーたちが退職する。彼らのうちには家に戻ると離婚届が待っている人もいるかも知れない。」という文章から始まり、4月1日から離婚した妻にも夫の年金の半分が支給されるように法改正され、より多くの年配の妻たちが夫と別れて新生活をスタートさせるきっかけとなるだろうと書いてあります。
 面白いくだりをピック・アップすると、この年代は25歳を越した未婚女性は「売れ残りのクリスマスケーキ」と呼ばれ、男性も結婚していないと一人前と見做されていなかった時代の人たちで、日本の家庭では過去は夫が一家を支配していたが、19世紀の末から、夫は外でお金を稼ぎ、子育てを含め家庭のことは一切妻に委ねられるようになった。妻の役割は子どもたちの母親であるだけでなく、夫の母親でもあるかのように夫は完全に妻に依存している、などなど。おまけに、どうせ女性のほうがはるかに長生きするのだから離婚なんかしなくても夫の遺産をもらえばいいではないか、とも書いてありました。
 はたして、この記事はシンガポールの人たちにどのように映ったことやら。世間体に流されての結婚を可哀想と見るのか、夫の年金を半分もらって「はい、さようなら」する妻を打算的と見るのか、いずれにしてもあまり良い印象をもたれないような気がしてなりません。
 確かに私の時代も「クリスマスケーキ」表現は生きていて、4大卒の女性の就職口はあまりありませんでした。腰掛としか思われないからです。同級生の中には「同じように大学を出て就職しても女性は良い仕事をさせてもらえず、つまらないから結婚した」と堂々と言う人間が何人もいます。私自身は「出すぎた杭は打たれない」と「規格外」を押し通すうちにとんでもない高給取りのサラリーマンになっていました。おかげで男性を見るときは「職業」「肩書き」「年収」など一切期待せず、「学歴」も「年齢」も「国籍」も気にしないので、それでは何に価値を見出したら良いのか、かえって非常に難しい問題となりました。同年代の女性たちが「年金離婚」をたくらむ頃、仕事が忙しくて徹夜もしなければならない私は幸福なのか不幸なのかよくわかりません。
河口容子