[370]ベトナム 新しい展開

 先日、ベトナムの ダン・フイ・ドン計画投資省副大臣を迎えてのベトナム投資セミナーが都内の一流ホテルで開催されました。 200名の定員がほぼ満員。一方、東京都が主催するハノイ投資セミナーもあっという間に満員御礼になったようで相変わらずベトナムへの関心への高さを強く感じました。
 このセミナーでアメリカ人のプロジェクト・マネジメント会社の社長と知り合いになりました。先方からご挨拶に来られ、「興味深いお仕事ですね。来年早々にランチ・ミーティングにお誘いしてもよいですか?」と言われました。最近ふえているのは ASEAN諸国をベースに仕事をしている欧米人のコンサルタントや弁護士です。日本人の場合は在留邦人を除いては専門職のサービスで広く ASEAN諸国をカバーする人は珍しいのできっと私の事を「変わり者」と思ったに違いありません。
 さて、副大臣のスピーチによれば、ベトナムは1991年から2005年までの GDP成長率の平均は年 7.5%であり、2006年と2007年は 8%台、2008年はリーマン・ショックによる世界的な不況やベトナムの経済危機もありながらも 6.23%、2009年も 5.2%を目標としているそうです。産業別では、工業生産額は前年比 7%増加、サービス業は前年比18%増加と順調な回復を見せています。
2009年 1月から10月までの外国直接投資額は登記ベースで 189億ドル、前年同期比27.1%増、また実際に投資された金額は80億ドルで前年同期比の87.9%です。この世界的な不況下でもベトナムへの投資は堅調と言えます。日本企業は今までに50億ドル(1164案件)実際に投資しており、実行ベースでは世界一、登記額では世界で 4番目です。追加投資額でも日本は世界最大でベトナムでの事業が成功している証拠とも言えます。ただ、投資した企業の86.8%が加工業や製造業で日本が強みとする業界とも言えるし、ベトナムでの事業化に向いている業界とも言えます。
 私はベトナムの小売店チェーンに日本のクライアントの商品を輸出し始めたところです。この小売店チェーンはベンチャー企業で経営者は全員若いエリート・キャリアウーマンであり、子どもを持つ母親でもあります。この会社は日本から毎月コンテナ単位で商品を買い付けています。しかも前払いです。 1年前くらいから女性社長が何度か来日して会社訪問をしたり、日本市場を見て着々と準備をしてきました。先月第2子を出産したばかりですが、まだ会社に出られないと言いながらも自宅から元気にメールをくれました。伸び盛りの国ならではの底力を感じます。
 個人的にはベトナム市場はおもしろいと思います。中国市場に目を向ける方が圧倒的多数でしょうが、たしかに中国の人口の多さは生活必需品を売るには世界一の市場であることに間違いはありません。しかしながた嗜好品を売るとすれば地域ごとの違いがあり、関東圏や近畿圏くらいの規模の市場が点在するイメージです。新しいもの好きで熱しやすくさめやすい、偽物がどんどん出回る、というリスクを考えるとかなりフレキシブルなオペレーションを強いられます。一方、ベトナムは堅実な国民性のうえに品質を重要視します。対ベトナムの ODA支援額は世界一で国民に広く認知されていることから反日感情を持つ人はまずいません。日本の 8割くらいの国土に8600万人の人口。半数以上が30歳以下です。ベトナムは二人っ子政策ですので2010年くらいには約 1億人の人口になります。教育水準も高い。日本と同じように南北に細長い国、つまりもうひとつ日本と同じ市場ができると思えば日本企業にとってはイメージしやすいのではないでしょうか。

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河口容子
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「先進国相手なら自信はありませんが、途上国レベルなら私でも務まるかも知れません。」などとコンサルタントや技術者の方が志願される事がありますが、とんでもない思い違いです。産業インフラが整っていない、教育水準が低い、天災地変が多い、政情が不安定と途上国には問題点がたくさんあります。ハンデを克服しながら先進国で通用するものを作っていただくには忍耐やありとあらゆる知恵が必要です。おまけに相手は必死なだけに評価も厳しいのです。
「ヨルダン イラク パレスチナ展」ではイラクは参考出品のみで業者は来日しませんでしたが、準備に JETROの課長がバグダッドに出張されました。公共の建物は厚いコンクリートの壁に守られているものの、市内で自動車爆弾が後を絶たず、防弾チョッキとヘルメットを着用されての外出だったそうです。そんな中、一般市民は早くも普通の生活を取り戻しているようです。
パレスチナのベッドリネンのメーカーの社長。とにかく勉強熱心で前向きです。「日本の来場者はどうして話しかけると逃げて行くんでしょうか?私はただ意見が聞きたいだけなのに。日本人は黙ってじっと見ているのが好きなんですか?」日本の展示会は見て知ってもらう場所で、そこではめったに商談はしない、と説明すると「文化の違いですね。私たちはビジネスにならなくても情報交換をどんどんしますよ。」次に日本はボトムアップ方式だから決済も遅い、だからビジネスの立ちあがりには時間がかかる事を説明すると「じゃあ、なぜ日本はそんなに早く経済大国になったのでしょうか。そのトリックを教えてください。」「トリック?それはすばらしいワーディングですね。そう、共産党によるものではない社会主義、つまり村であるとか会社であるとか組織で個々を管理したことではないかしら。」「なあるほど。そういえば JETROの方は上司に対しお辞儀をしたり、丁寧な態度を取りますね。パレスチナではそんな事はありません。皆対等です。」
饒舌なベッドリネン屋さんと正反対だったのがガラス器と陶器のメーカーの社長。職人肌なのかあまり感情を表情に表わしません。作りこんでいった資料をもとに商談用のテーブルを使ってミニ・レクチャーをしてもあまり反応がなく、質問もしないので、最初はやる気がないのかと思っていました。次の日、モロッコやチュニジアの製品を売っているネットショップをプリントアウトして持って行ってあげると、いきなり彼はコスト計算を始めました。やる気がないどころかなかなかの商売人。ブースに人が集まって来ると丁寧に応対をしていたし、何に興味を示すのか黙ってじっと観察をしているのです。その実、最終日、彼はお礼にと展示してあったハンドメイドのガラスの花瓶を私にくれました。セピア色のガラスに銀色の絵付けがしてあるアラビアン・スタイルのものです。私がそれを一番気にっていたのをどうやって彼は知ったのでしょうか。
会場にアラビア語の堪能な日本女性の二人組が現れました。聞けば一人はパレスチナに留学していた経験があり、もう一人はボランティアでパレスチナへ行ったのがきっかけでパレスチナ人と結婚しているそうです。彼女によればガザと西岸(地図で確認されればおわかりでしょうが、離れています。)は派閥抗争で仲が悪く、ガザー西岸間では銀行送金もままならないと言っていました。彼女はガザに住んでいましたが、今は日本人には危険で夫を現地に残し里帰りをしているのだとか。彼女には子どもはなく、ご主人の亡くなった兄弟のお子さんたち、つまり甥や姪を育てていると言います。彼女はアラビア語でパレスチナの陶器を少しばかり買い付けました。日本で売ってみようと思ったようです。「えっ?私なんかに教えていただけるのですか?」と驚く彼女にアドバイスをしながら、一家が一緒に幸せに暮らせる日が早く来ることを祈りました。

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河口容子