[192]夢よ深く、志よ高く

 世の中はワールドカップ一色に染まり、重要なニュースも影が薄くなっている昨今です。世界一のプレイヤー、ブラジルチームのロナウジーニョのインタビューで印象に残る言葉がありました。「時として現実は想像を超える」というものです。サッカー選手を夢見た貧しい少年の夢がかなっただけではなく、子どものとき想像もできなかったような大きな存在にいつしかなっていたという事です。
 比較するには恥ずかしいですが、私も起業した頃の夢は総合商社で長年つちかった経験や知識を思いはあってもチャンスや人材がない中小企業に利用していただけないものだろうか、その仕事を通じて開発途上国の経済発展に貢献できたらというものでした。香港やシンガポールにビジネス・パートナーができる、海外で講演を行なう、国内外の政府機関の仕事をさせていただくなど、まったくの想定外でした。まさにロナウジーニョの言葉通りです。
 久しぶりにビジネス・ライターの友人から電話がかかってきました。私のエッセイを読んでいるうちに国際人になれたという人がいると書いてあった通り(2004年10月22日号「あの時のひとこと」)いよいよ彼女もそうなったと言うのです。別にそれはエッセイのせいではなく、読者の意識の高まりの結果であり、また国際化の波はあらゆる所にひたひたと押し寄せているとも言えます。
 彼女の仕事を手伝ってもらった Zさんというアフリカ女性が、日本人と離婚し、生活保護を受け、自暴自棄になっているのを救おうと彼女は Zさんが得意な歌や踊りを披露する場づくりをボランティアで始めました。ところが、 Zさんは父親が英国の名門大学の教授で彼女自身もその大学の卒業生、米国での生活経験もあるという才媛のお嬢様であるにもかかわらず、約束は守らない、電話にも出ない、お世話になっている NPOの方々への感謝も忘れる、当然サポートをしている彼女の面目も丸つぶれといったありさまでした。
 最近私が子ども向けのミュージカルのさわりを見て感動したのは「夢を持とう」「自分の夢をかなえるより友達の夢をかなえてあげよう」というテーマでしたので彼女の行為を素晴らしいと思いました。ところが、彼女は「 Zさんの歌や踊りは夢でないことがわかった。夢なら人間は死に物狂いで頑張れるはずだから。」と。 Zさんには失望したものの、彼女は Zさんをサポートしようとする彼女をまた支えてくれている仲間たちがいることに気付きました。誰か一人が夢を見たら、損得勘定ぬきの夢支援ネットワークができることを。だから本気で夢を見なければいけないと。
 私の仕事は「クライアントの夢をかなえること」です。クライアントの夢がかなえば私も良い仕事をしたことになります。普通はクライアントのニーズに応えるだけなのに、夢をかなえるという志の高さが良い仕事の原動力だと彼女は持ち上げてくれました。JRのCMで流れる「Ambitious Japan!」と車体に書かれたAmbitious の文字を見て、「のぞみ」が志であることに気づきました。それまでは単に「希望」というような意味にとらえていました。いのちの「ひかり」(ヨハネの福音書)から「のぞみ」(志)へと進化していくあたりはJRのネーミングにはなかなか奥深いものがあります。
 ライブドアや村上ファンドにあったのは手段を選ばないお金儲けであり、深い夢も高い志もなかった事をようやく人々はわかり始めました。ワールドカップで日本チームが快進撃という事前の大袈裟な報道もどうやら本気の夢ではなかったようです。ましてや自分は夢を探せないから、あるいは夢の実現のために努力できないから、とりあえずジーコジャパンを応援しよう、なんてとんでもない話です。夢は深く、志は高く持ちましょう。自分のためにも、そして応援してくれる誰かのためにも。さらに誰かの夢をかなえてあげる事も尊い人間の姿です。
河口容子

[191]書くことと話すことが違う日本人

 先週号で登場した東京に駐在中のシンガポール国際企業庁の女性管理職と話す機会がありました。彼女は外国人としての日本語力はかなりのレベルではないかと思います。シンガポール政府のプロジェクトの話になり、知人に適材がいるから紹介をしますと彼女に告げると、彼女曰く私にコーディネーターとして入っていてほしいと言うのです。やり取りは本国へ転送する必要上から英語で書く必要があるからというのが理由です。「日本人は話すのは苦手でも書ける人は多いと思いますが。。。」「日本人は書くことと話すことが違いますよ。メールもらってあとで話すと反対の事が多くてどうしようかとよく思います。」
 おそらく、「前向きに検討します。」「次の機会にお願いします。」などは婉曲な断りであることを知らなければ、本当に検討してくれているものと思いこみなぜ返事が来ないのかイライラするかも知れませんし、後者については「今は都合が悪いものの次回は大丈夫」と誤解してしまうかも知れません。日本人にとっても断りなのか本当にそうなのかは経緯やその場の雰囲気で感じ取るしか方法がありません。
 次に彼女が質問したのは「日本人はメールでやり取りをした上にまた電話をしてくるのはなぜ?メールならメールだけでいいじゃない?」そもそも日本人は相手に失礼な表現はしないよう教育されてきます。先に述べたような婉曲な表現やあいまいな表現が増える上に、特にフォーマルな意味あいを持つメールの書き言葉は記録に残るという配慮もあり、形式の整ったあまり中味の明確でないものになることが多い気がします。自分でもそのようなメールを出したあと、誤解があるかも知れないと不安になり電話で補足説明をすることがあります。「ホンネとタテマエという言葉をご存知ですか?」と彼女に聞くと「ああ、そういうことですか。」行間から真意を読み取るのは同じ日本人でも最近は難しくなっています。外国人には酷な話です。
 よく英文メールやレターを書くのに、まず日本語で原稿を書き、それを一気に英訳する方がいらっしゃいますが、それはやめたほうがいいと思います。文法の違いのみならず、発想もまったく違う言語だからです。英語はYes やNoが明確ですし、主語や動詞も必ず文の中にあるのでかなりストレートな表現になります。ときどき、英文を書いていて、これと同じ事を日本語で日本人に書いたら相手はびっくりするだろうなと笑ってしまうことがあります。逆に海外からのメールを日本人のために翻訳する際には、いかにソフトなニュアンスの言葉に置き換えるか非常に気を遣います。
 次に彼女が言い出したのは「日本はとにかく時間がかかるので大変です。1年たっても何の進行もないことがあります。」日本人は何事にも慎重ですし、ボトムアップ方式なので決済に時間がかかる、そのかわりいったん決まればどこの国よりも早いスピードが出ます。たとえば、香港人はきわめてせっかちでどんどん勝手に先に走って行ってしまいますが、日本人が態勢を作り上げる頃には息切れしているか、もうあきらめているかで、そこを日本人が猛スピードで追い越して行く、そんな感じです。彼女がぽつりと言いました。「日本人はマラソン・ランナーなんですね。」私の会社のような小さいところは香港よりも速いスプリンターになれます。それも強みかも知れません。
河口容子