[190]香港とシンガポール

 東京に駐在中のシンガポール国際企業庁の女性管理職から電話があり、今度同国の大手法律事務所が日本に進出することになりランチでもセットするので話を聞いてあげてもらえないかとの依頼を受けました。この弁護士事務所はアジア数ヶ国にオフィスを持っています。まるで一般企業の多国展開のようです。弁護士業というのは、海外案件は提携先の法律事務所で処理するのが普通と思っていただけにちょっとびっくりしました。東京にオフィスをかまえると言っても法律事務所の機能を持つのか、クライアントの開拓とお世話をする連絡事務所の機能なのかはまだわかりませんが、連絡事務所とすればますます日本の法律事務所のイメージとは異なります。
 これは私の勝手な推測ですが、中国、タイ、ベトナムへ向かう日本の投資家をシンガポールで待っていても来ない、だから東京まで出てきてつかまえようという発想であろうと思います。アセアン諸国の中で金融、物流、管理の拠点としてシンガポールがすぐれていることは誰もが認めます。また欧米諸国にとっては中国へのゲートウェイでもあります。ところが、日本人にとっては中国、タイ、ベトナムの3ヶ国はいずれもシンガポールより日本の手前にあり、わざわざシンガポールの法律事務所を利用するという気にはなりにくいものです。
 この動きについて興味深いのは、北東アジアの国、日本を筆頭に台湾も韓国も中国もそうですが、仕事のためには世界へどんどん出て行きます。一方、アセアン諸国は地元にいてお客さんが来るのを待っている傾向があります。欧米の支配下にあった国が多いため仕事は与えられるものという発想で、従順といえばそれまでですが、言われたことを大人しくやっていればいいという風土があるような気がします。
 香港とシンガポール、この似た者どうし、ある意味では日本よりも先進的なアジアの二つの都市に偶然ビジネス・パートナーを持つことになった私は「違い」に関心を持っています。まず広さはシンガポールが699km2で琵琶湖とほぼ同じ大きさです。香港は1103km2で東京の約半分。人口は前者が424万人、後者が 689万人です。前者の7-8 割は中華系ですがマレー人など他の血が混じっていることも多く、後者については95% が漢民族です。
 シンガポールが民族の融合により活力を引き出しているという点ではアメリカ的ドライさを感じさせますし、赤道直下という気候のせいか割と楽天的であっさりしているような気がし、頭は良くても老獪さはないような気がします。香港のほうは中国に返還されたとはいえ、本土と駆け引きをしながらそのアイデンティティを守ろうとあがいているようにも思えます。
 私からすれば親近感は距離に比例するのか香港のほうが圧倒的に強いものがあります。子どもの頃から香港人と多く接しているからかも知れません。シンガポールの人とは分かり合えなくても割り切れてしまう部分があるのに、香港の人とは分かってくれないと苛立ち、また妙に感情が一体化するときもあります。相手もそう思っているようです。お互いに知りすぎているがために嫌な部分も露呈してしまう、あるいは愛憎両面持った複雑な関係という感じもします。これが北東アジア人と東南アジア人の感性の差かも知れません。
河口容子

[189]ジョグジャの思い出

 インドネシアのジャワ中部にあるムラピ火山に噴火の兆しがあり、住民が非難というニュースを聞いたのは 5月の13日頃だったと思います。世界遺産ボロブドゥールが近いだけに大丈夫だろうかと心配しました。(ボロブドゥールについては2003年 7月 4日号「インドネシアの歴史にふれる」をご参照ください。)そして27日には中部ジャワの古都ジョグジャカルタの沖合でM6.3の地震が発生、何千人もの犠牲者、被害者が出ました。
 ジョグジャカルタ(ジョグジャと呼ぶことも多いです)は、「平和の町」という意味でインドの古典、サンスクリット語で書かれた「ラマーヤナ」のラーマ王子の国、アヨーダィヤーにあやかってつけられたともいいます。インドネシアの地名や会社名はサンスリット語名を持つことが多く、会社訪問時に「社名の意味は何ですか?」と聞くと「サンスクリット語だからよくわからない。」と社長に答えられ苦笑してしまうことが時々あります。ガルーダ航空のガルーダもインド神話の神鳥「ガルダ」から来ており、インドネシア共和国の国章にもこのガルダが使われています。
 さて、被害状況ですが、インドネシアの日本語新聞によるとジョグジャカルタのアディスチプト空港のターミナルビルが倒壊、空港近くの世界遺産プランパナン寺院(ヒンドゥーの遺跡群)の一部が崩壊、ボロブドゥールは無事、市内の銀座通りにあたるマリオボロ通りは屋根が崩れたり、窓ガラスが割れたりしているとのことです。2003年に私が泊まったホテルはマリオボロ通りにありましたが、窓から見る景色は東南アジア一の大都会ジャカルタのそれとは大きく違い、昔にかえったかのような安らぎに満ちたものでした。この街には馬車が走っています。最初観光用と思っていたのですが、地元のお年寄りたちが乗っているのを何度も見かけました。車が十分普及している都市で馬車が一般の交通手段として共存するという不思議な光景でした。
 ジョグジャは上述の二大世界遺産のお膝元であり、今でもサルタンの住む王宮があり、またインドネシア最大の国立ガジェマダ大学のある街でもあります。私が訪れたときは、ジャカルタから同行してくれた政府機関の女性の管理職のお嬢さんがガジェマダ大学に在学中でした。お世話になったお礼にと母娘一緒にディナーに招待したところ、お嬢さんがいきなり女友達を二人連れて現れ、政府機関の女性はひたすら恐縮するのみで、エリート国家公務員から普通の母親の顔に戻ったのが今でも印象に残っています。
 日本の報道によれば、今回の地震は一昨年のスマトラ島沖地震(M9.0)、昨年のパキスタン大地震(M7.6)と同じく、インド・オーストラリア・プレートが他のプレートに沈み込む位置で、この地域は活動期に入っているのだそうです。また、火山災害でも過去 300年間で世界中の犠牲者の60%以上がインドネシアです。資源大国でもあり、自然災害大国ともいえるインドネシアですが、早く復旧してあの自然と溶け合い、五体にしみこんでくるような王宮ガムランの調べが似合う街に戻ってほしいものです。犠牲になられた方々のご冥福と被害に遭われた方々が一刻も早く日常生活を取り戻せるよう祈ります。
河口容子