[300]クリエイターたちの暑い夏(祝 300号) 

今私の仕事場はスポーツウェア、シューズ、バッグのデザイン画であふれています。2008年 6月19日号でふれた中国の某スポーツ用品メーカー主催の日本人若手デザイナーによるコンテストのための作品が集まって来ているからです。各デザイナーたちによるコメント、まとめ役のプロダクト・デザイナーのH先生による講評を英訳する作業があるからです。また、コーディネーターとしての総評も書かねばなりません。
応募者は指名方式で17名、作品点数約 100。社会人の比率が若干多いですが、彼らはそれぞれの職場で仕事をしながら自由時間に創作活動をしてくれ、また学生たちも夏休み前の課題に追われながらの力作ぞろいです。私自身もこうやって毎週エッセイを書いて今回 300回、前シリーズの「日本がわかる!」を入れれば 400本書いたことになります。他に仕事でクライアント企業のブログや公的機関のサイトにコラムを執筆しておりますが、いくら好きで書くのが速いと自負していても重なると孤独な作業だけにかなり消耗してしまいます。幸い私の場合はテーマさえ決まればネタはいくらでもありますが、デザインの場合はまさに産みの苦しみ、 1枚 1枚のスケッチからそれぞれの苦悩や喜びが伝わってきます。
デザインを学ぶ学生たちはとても忙しいそうです。次から次へと課題に追われアルバイトをする暇もないと聞いたことがあります。また、最近産学連携がブームで当初私のプロジェクトも著名な2校に学校ぐるみで対応していただく事をお願いしたのですが、時間が迫っていること、多くの企業からオファーが出ておりすべて応じきれないとの回答を得ました。たまたま私の日本のクライアントが産学連携している関東の大学を紹介してくれデザイン専攻の学生6名全員が参加してくれました。これは2008年7月10日「梅雨の晴れ間のような」で書いたとおりです。
若手デザイナーへ海外で活躍するチャンスを作るのもこのプロジェクトの目的でした。景気の後退、消費不況が続くなか、国内でのデザイナーの需要は減っているのではないか、と危惧したからです。50代のH先生にうかがうと、昔は大手企業を何回か動いて独立というのが王道だったようですが、今は定年までしがみつくしか方法はなく、その就職といっても社内にデザイナーを雇用できる企業は限られています。せっかくデザインを学びながらもデザイン職にはつけないというケースも多いようです。
狭き門であっても好きだからデザインを学ぶ、チャレンジする、若者らしいこういう姿にとても好感が持てます。だんだん、一攫千金、なるべく楽をして儲けよう、手段はどうでもお金を儲ければ偉い、という老若男女が増え事件ばかりおこしてくれる現代だからよけいそう思うのかも知れません。
今後、全作品からメーカー側で10点が絞りこまれ、サンプル制作に入ります。選ばれたデザイナーのプレゼンテーション・ビデオの制作もしなければなりません。すべてのスケッチとサンプルは 9月末に行なわれる中国のメーカーの全国販売代理店会議でファッションショーも交えながら披露されます。もちろん商品化となればデザインが買い取られます。
北京オリンピックで中国にも大きなスポーツ・ブームがやってきそうです。欧米の著名ブランドはすでに日本市場ではなく中国市場に注力しているようです。中国のメーカーも凡庸なデザインで安いだけでは生き残れなくなったのです。さて、私たちはこの中国メーカーを大きく変身させられるのかどうか、日本の若手デザイナーたちの中国市場への登竜門となるのか、自称ビジネス・クリエイターの私も含め、暑い夏が続きます。
河口容子

[097]反日感情

 重慶でのサッカーアジア杯での日本代表やサポーターに対する中国の観客の言動は目に余るものがありました。日本国歌の演奏には起立しない、ブーイングを行なう、日本のサポーターにはペットボトルやごみを投げつけるという暴挙です。日本選手団のバスが中国の観衆に取り囲まれたり、日本のサポーターを帰りに安全のため一事避難させただの、日本戦については現地では実況中継しないなどという場外のニュースも連日飛び込んできました。

 知人の在日中国人 3世(彼は日本で生まれ育っていますが、日本人の血は一滴も入っていません。奥さんも上海人です。)に、「どこのチームを応援するかは勝手だけれども、あの態度はアンフェアでスポーツ精神に反する」と私は言いました。彼いわく「重慶は内陸部で沿岸部ほど国際化していない。中国全体に言えるけれども教育そのものが問題。中国人のマナーは悪いと思う。」と。

 追って中国共産党の青年向け機関紙に「観戦マナーを改めよ、ホスト国として恥。」という記事が出たものの、重慶は日中戦争時代に旧日本軍の爆撃を激しく受けた地だけあって反日感情の強い人が多いのでしょう。先週書いた日本人の感情的なるものとまた違い、これは心の奥底まで滲み込んだ恨みの教育がなされているような気がしてなりませんでした。

 かつて反日感情が非常に強いとされた韓国との関係にあっても、2年前のワールドカップの共催以来、雪解けムードとなり、現在では韓流ブームとさえなりました。ビジネスにおいては中国関連のニュースがあふれる一方で、重慶の5万5千人のスタジアムのほとんどが反日に揺れる光景を見てショックを受けた人も多いのではないかと思います。

 私の香港のビジネスパートナーは香港と中国の 4都市で日本製品のセレクトショップを展開していますが、屋号は日本的な名称を使っていません。日本的な屋号にすれば反感を持たれる危険性があるからです。日本や日本人は嫌いなのかも知れませんが、幸い日本製品の不買運動にまではつながりません。

 以前、広州に出張したとき、私が日本人とわかると如実に嫌な顔をされた事もありましたが、逆にとても親切にしてくれた人もいました。どこの国でもいろいろな人がいるものです。ひとり、広州から列車で香港へ出発する私にビジネスパートナーは「人民元を持っていないでしょう?持っていきなさい。」と札入れから数千円分の人民元をそっと渡してくれました。私は道中危険なことがあるのだな、と覚悟しました。インドネシアでは金銭決着用のお金をポケットに分散して持ち歩いているからです。私の危惧を察したビジネスパートナーは「何てことないよ。これで飲み物でも買えば、ってことだよ。」と笑いました。

 車中に日本人のビジネスマンがいました。荷物を半分通路にはみ出して置いているのを見るやいなや、女性の車掌は持っていた紙をはさむホルダーで思いっきりその荷物を叩きました。彼が日本人とわかっていたからです。疲れていたのかも知れませんが、そのビジネスマンはいかにも横柄そうな中年にさしかかった男性でした。その後、この車掌は乗客にミネラルウォーターの入った紙コップを配り、しばらくして回収に来ました。私は窓側に座っていたので取りにくかろうと彼女に手渡すと消え入りそうな声で「サンキュー」と言って受け取りました。決してマナーを知らないわけではない、接する側の態度や精神は必ず通じる、とこの光景を今でも忘れません。

河口容子