[323]中国 製造業に足らないもの

ここ数年、中国および東南アジア諸国から日本の技術支援に関する依頼をよく受けます。また、昨年中国でのデザイン支援ビジネスをやってみた事から日本はアジアにおいて技術支援、デザイン支援といった専門分野での貢献をしながらその国や企業を富ませることにより感謝されながら利益を産むという発想がもっとあっては良いのではないかと思っています。
2004年 6月18日号「教育ビジネス市場としての中国」で中国での熟練工不足について触れました。最近もよく中国関連で製造業から品質改良や商品開発の技術支援をしてほしいという話をいただきます。技術コンサルタントをたくさん知っているので紹介いたしましょうか?と詳しく話をしていくと、「そんな大それた話ではない。理論的にどうこうではなく現場で毎日一緒に働きながら教えてくれる人で十分。だいたいコンサルタントなんて経営にまで口を出すだろうからそんなことはされたくない。」と言われます。では熟練工が必要なのですか?と聞くと「熟練工を 1年くらい雇うからその間に問題解決をしてくれれば良い。年配の人は使いにくいし、現場ではなじまないと思うので30代から40代くらいまで。」 1年のあとは?と聞くと「勝手に好きな所へ行ってくれていいから。」とだいたいこんなやりとりで非常に不快感を覚えます。
根底にあるのはまず日中の労働環境の差にあるのでしょう。日本は長らく終身雇用が原則で社内研修も非常に盛んでした。おかげで忠誠心のある熟練工が育ちました。一方、中国は典型的なジョブ・ホッピング社会で条件が良ければすぐ違う企業へ移ってしまいます。だから企業が従業員教育をしたところで転職をサポートしているようなもの、どうせどこかへ移って行くのだから高い人件費は出せない、だからそれなりの人材しか来ないという悪循環になります。一方、従業員は自らスキルアップしてどんどん階段を昇る者と非熟練のまま流れて行く者に分かれていきます。「中国が世界の工場」と呼ばれ出して長いものの慢性的な熟練工不足に陥っているのは企業と個人双方に問題がありそうです。「どうせ熟練工なんか来やしないから、償却できたら機械を最新のものにどんどん取り換える」という割りきった方針の経営者もいると聞きます。日本も終身雇用制の崩壊とともにだんだん中国化しているような気がします。
次に問題解決の手法についてです。中国側の言うように日本人の熟練工一人を 1年雇ったところでその問題は解決できるのか。もちろんそんなケースもあるでしょうが、中国の工場に日本人の熟練工をひとりぽつんと配置するだけで問題解決には何らならないと思えます。言語、生活ともにご本人も周囲の人も逆に問題をかかえることになりかねません。また、日本では熟練工はものづくりのスペシャリストではあっても会社全体の運営や研修プログラムを決定するような立場ではないと思いますので来てもらえば自発的に何かやってくれるだろうと期待されても困ります。日本人の熟練工の報酬が高くても熟練工なんだしアドバイザーなんだからと思えば人件費の枠内に収まり、労使関係もきちんと保てるという発想が読み取れます。
しかしながら、抜本的な改善や開発というのはまず会社の方針、マネジメントの問題です。中国人はどうしても即効がないものには投資をしたがらない傾向にあります。人口が多く、競争がきびしいため、のんびり構えてはいられない。中小企業のオーナーは自分の会社は自分のもの、社会的な存在意義などはあまり考えない。儲かればさっさと会社をたたむか売るかして御殿を建てて悠々自適の生活をするか、志半ばに過労死するか、まさに人生いろいろです。
グローバル化の急速な進展で何もかもが経済原則一辺倒になってしまいましたが、時間が解決する問題、時間が育ててくれるものもまだまだたくさんあります。ノーベル賞受賞もそうでしょうし、判断力ひとつだけとっても経験という時間の賜物です。こういう時間の贈り物を日本は見直し大切に使っていくべきではないでしょうか。
河口容子

[322]2009年のはじまり

私の会社に年末年始の休みはありません。まず、大晦日はファイルを全部新しく作りなおします。現在書類の法定保存期間は7年が基準ですので7年前の書類を廃棄するのですが、ホッチキスをはずし全部裏紙として使います。ファイルのフォルダーも使えなくなるまで使います。この作業で数時間かかります。過去はケチくさいと言われる事もありましたが、今は「エコ」とほめられますので時代も変わったものです。私自身はこういう節約と忍耐が会社経営者の基本だと思っています。
そして元旦。日本のクライアントの F社長は夢見る牛の絵をご自分で描いてすべてハンドメイドの年賀状をくださいました。思えばワープロが会社に登場したのは25年くらい前で個人が買えるような価格のものではありませんでした。印刷もデスクトップ印刷などありませんでしたから高額で、皆自分で工夫して年賀状を作ったものです。今は紋切型の文章に宛名にも本文にも自筆などない年賀状がふえ、個人なのに企業やお店からの年賀状と何ら変わりがありません。そんな中でユニークな年賀状は上手下手の問題ではなく、まさに心のギフトと思えます。
香港のビジネスパートナーとさっそくチャットで賀詞交換をしました。「今年は変化の年になるに違いありません。この変化が地球上のより多くの人々にもっと多くの幸せをもたらすことを祈っています。」と私。「そうだね。世界経済が早く立ち直ること、貿易量が正常に戻ることを望んでいるよ。しばらくは困難な時期が続くのだろうけど。」その後は友人たちの消息について30分ほどあれこれ話しました。最初の出会いから丸10年、共通の友人の多いこと。
シンガポールでコンサルタント会社を経営している日本女性ともメールでやり取りをしました。彼女は日本の公的機関に勤務時代にシンガポールに駐在し製造業を経営しているシンガポール男性と知り合い、結婚しました。現在ご主人は仕事の関係から単身で上海に住んでいるそうです。女性の社会的地位が上がれば簡単に職を辞すわけにはいかず、こういう別居キャリア・カップルも今後ふえていくのでしょう。
彼女が言うにはシンガポールは元々金融が大きな産業の1つだったので、投資銀行などの縮小、閉鎖で、知り合いのバンカーの中にも解雇された人がいるそうです。欧米系企業での「朝通告、そしてそのまますぐに退社」というのをまざまざと見せつけられてさぞ仰天したことでしょう。念願のドバイにも旅行したそうですが、建物などハードはすごいもののサービスのレベルがまだ低く、同じ金融国家として「これならシンガポールは安泰」と思ったそうです。
私自身にとって2009年はまず 5月に起業10周年目を迎えます。そして10月にはメルマガ創刊から10年目を迎えます。 1年目で廃業するかも知れないと覚悟しての船出でしたが「仕事の質」のみを追いかけ欲張らなかったのがここまで続いた秘訣かも知れません。会社員のままなら「定年まであと何年」という境地でしょうが、毎日毎日自分を試せ、進化し続ける楽しみと多くの方々のおかげで「生かされている」ことを感謝できるのも一人企業の良さだと思っています。
河口容子