[278]価格交渉の裏にあるもの

 日本のクライアントがアジアで生産を行なう場合、その提携工場を探すのも私の仕事です。今回はベトナムという国の指定があったのですが、もともとその産業に関しては純粋なベトナム系の工場は皆無に等しく、中国、香港、台湾、韓国のメーカーでベトナムで操業をしているところを探さざるを得ません。各国あわせて 2,400社ほどの企業概要をチェックすることからスタート。その中で 7-8社が候補に残ったのですが、興味を示してくれたのは韓国の 2社だけでした。誰か知り合いに紹介してもらう、そんな甘い考えではとてもできない作業です。
 日本から商品見本を送り、それをもとに試作しての見積作業となるのですが、 A社は B社より 40-60%高い価格でした。「何でこんなに高いんでしょうか。やりたくないから断ってくれということでしょうかね。」とクライアントの担当者。確かに日本では断ってほしい時にわざと高い見積を出すことがあります。引合を出していただいたからお断りするのは失礼なので形式上見積は出します、という感じのものです。私自身はこんなもってまわった事はせず、お断りしたい時は率直に言うことにしています。私にとっては見積を作る手間が省け、わざとらしい見積を文書で保存されることもなく、相手も私の見積を待たずして他へ当たることができるからです。
 海外の工場はたいてい私と同じような考え方です。前述の候補 7-8社に取引の概要を説明してもほとんどは返事も来ませんでした。アジアの工場は日本市場向けの商品製造を依頼されることを必ずしも喜ぶわけではありません。技術移転や投資が伴うものは別として、「品質にうるさい」「少量多品種展開で手間隙がかかる上に発注金額が小さい」そして最近は「品質改良とコストダウンを次ぎから次ぎへと要求する、良いものは高いに決まっているではないか」とブーイングの嵐です。
 日本企業は慎重でまずは少量で取引を開始し、徐々に拡大していく傾向が強く、一方米国の大手量販店チェーンなどは細かいことは言わず、種類もシンプルで莫大な金額の発注をしていきます。こういう実態を知っているだけに日本向けを引き受けでくれる工場は本当にありがたいと思ってしまいます。ただし、品質が良いという証拠づけに日本からの発注がほしい、という工場もあります。一時中国では最初は日本向けに専念、日本側が細かな要求をするようになったら利益が薄くなるので欧米向けに切りかえるという工場がふえました。ところが日本側が「発注してあげなければ中国の工場は困るくせに」などと完全に勘違いしているうちに商品供給源を絶たれて断崖絶壁に立たされたという話もあります。
 さて、上記 A社には「現状の価格ではビジネスにならない」ことを伝え、どのような条件なら価格を下げてもらえるか、あるいは材料や仕様の見直しで価格は下がるかと問いかけました。 1日たって 5%ほど無条件で価格は下がりました。通常値下げには条件をつけるか、恩着せがましい一言がつくものです。そうでなければ最初の価格はわざと高くしたか、いい加減に出しているのかのどちらかだと露呈するからです。これは受け取る側としてはあまり気分の良いものではありませんが、もっと踏み込めばずるずると価格は下がる可能性はあります。
 かつてフランスのあるブランドとロイヤルティの交渉をしたことがありますが、何度か交渉を重ねるうちに当初の価格の半分以下になってしまいました。ここでそのブランドとのビジネスはやめることにしました。理由は最初から 2倍の価格をふっかけるという企業は信頼できないこと。そして、だんだん値段が下がったということは競合相手が誰もいないと読んだからです。当時はブランドブームで日本企業間で取り合いになるのが普通で、そうではないのはよほど売れそうもないか、問題含みとしか思えなかったからです。この決断は大当たりでこのブランドは日本に上陸することなく消えました。
 私自身は国内外の公的機関も民間企業もクライアントに持っていますが、価格交渉にもつれこんだことは一度もありません。イエスかノーかだけです。おかげで時間の無駄や感情のこじれもほとんどなく良い仕事をすることのみに邁進できます。
河口容子
【関連記事】
[84]契約のマナー
[60]これが日本の空洞化
[45]ノーは親切、論争は親近感
[12]貿易というお仕事

[088]ネーミング

 私が子どもの頃から興味があったことのひとつにネーミングがあります。自分の名前は自分では選べませんが、一生その名前で呼ばれ続け、名前はアイデンティティそのものでしょう。会社や商品だって存在する限り、多くの人に呼ばれ、認識され続けるわけで、会社や商品に名前をつける人はどんな思いをこめるのか関心がありました。
 実は起業したとき、一番苦心したことのひとつが社名を考えることでした。日本では法律で同じ法務局の管轄内で同業に同じ社名あるいは類似した社名はつけられないことになっていますから、自分で案をいくつか練っておいて法務局で法人名の閲覧をしてチェックしてから登記を行なわなければなりません。
昔の社名はそのものずばりが多く、山田建設であるとか東京鉄工所のようにオーナーの名前や地名に業態を表す言葉をつけたものが多く、わかりやすくおぼえやすかった気がします。そのうちカタカナ社名が氾濫してきて、和製英語や英語プラス日本語、はたまた意味不明の横文字の社名が氾濫してきました。バブルの頃、たくさん会社ができましたが、あるとき社名の由来についてたずねたところ、「響きがカッコいいからです。意味はありません。」と答えられ、ちょっと不安に思ったこともあります。そして現在も、新規上場する企業の名前など、何語なのか何をしている企業がさっぱりわからないものがたくさんあります。また、フランス女性の名前を持つお店に行ったらアジア雑貨のお店だったこともあります。
私の場合は、海外と仕事をすることが主眼であったため感覚的ではなくきちんと意味を持つ英語の名称、ただしカタカナにしても長くならず日本人にも覚えやすいもの、ありふれていない、という点をポイントに何日か英和辞典を片手に単語をひろい数十の候補を用意しました。なぜ英和辞典かというと、ひとつの単語にはいろいろな意味やニュアンスを持っていますので、マイナーなイメージの意味がないかどうかをチェックするためです。五十音の「あ」もしくはアルファベットのAから始まる社名のほうがリストなどで検索をかけるとき常に先頭にあるので目立ちやすいという説も頭をよぎりましたが、それにはこだわりませんでした。結果として、五十音でもアルファベット順でも終わりのほうになり、これはこれで目立つかも知れません。
 最近読んだ中で面白いと思ったのは中国では意味のないブランド名は通用しないという記事でした。中国ではブランド名はすべて漢字になります。中国全土で考えればアルファベットを読める人口はまだまだ少ないからです。漢字といっても地方により発音は違いますから、漢字本来のもつ字の意味で伝達するのです。たとえば、スポーツ・ブランドのナイキは「耐克」となります。標準語では「ナイコォ」という発音で当て字ではありますが、違う発音をされても忍耐して打ち克つというアスリート魂や丈夫さをアピールできます。ひらがなやかたかなといった表音文字を共有できないお国柄ゆえの知恵でしょうか。そして横文字や音の響きをカッコ良いとする感覚的な日本人に比べ、中国人のほうが実利的な国民性のようにも思えます。
河口容子