[337]アセアンな女たち

 ベトナム・グッズ展へ行きました。会場である国際機関の展示場が移転したので見学、そしてベトナム大使館やベトナムの貿易促進機関の方々へのご挨拶をかねてです。先日送別会をした S商務官と後任の M商務官とも会いました。 M商務官は2005年以降ハノイか東京で年に 1-2回お会いするので気心の知れた間柄です。大阪の H商務領事とも久しぶりに会いました。大使館でも指折りの日本語の名手です。「河口さん、私を覚えていますか?」「もちろんです。2005年には大変お世話になり、ありがとうございました。」そこへ T商務参事官が夫人を伴って現れました。
 2007年 9月13日号に出てくるハノイ駐日代表事務所の V所長とも久しぶりです。ハノイのキャリアウーマン Nさんの会社のブースの世話をしていましたが、後で聞けば彼女たちはハノイ貿易大学のクラスメートだそうです。今回来日できない Nさんが Vさんに商談の代行を依頼したのだとか。ベトナムならではの女性エグゼクティブどうしによる連携プレーでしょう。
 シューズ・メーカーのブースに日本人女性がいました。生粋のベトナム企業に日本女性が勤務しているとは信じがたいのでいきさつを聞いてみると彼女はホーチミンで 1年間日本語教師をした経験があり、その際この企業の社長と知り合ったそうです。こちらも「今回は来日できないのでお願いします」という話になったようで、従業員 1万数千人の企業の社長が知人の日本女性に依頼をする、日本女性のほうも喜んで引き受けるというフレキシビリティや人間どうしの信頼関係がいかにもアセアン的でうらやましくさえありました。
 この日本女性からいただいたベトナムのブランド品雑誌を展示場の受付の女性に見せると、「何、何、見せて」と来場客の日本女性がやって来ました。「すご~い、ヨーロッパのファッション雑誌と何ら変わらないじゃない。」そこからアセアン諸国の話に突入します。受付嬢は流行の盛り髪とスーツの袖口のフリルを揺らせながらフィリピンでカメラをひったくられ15分も相手ともみ合いになった話をします。「それでも相手は筋骨隆々で腕に入れ墨をしていたので最後は負けちゃった。」スレンダーな若マダム風の彼女にそんなパワーと勇気があったとは。。。
 負けじとばかり、来場客の女性が話しだします。彼女は年に 5回はベトナムへ行くそうですが、カメラケースを首にかけていたのをひったくられ、カメラが中に入っていなかったためひったくりが道路にケースをたたきつけ、バイクでその場を立ち去りました。「私が太っているから走れないと思ったのか、のろのろ運転なの。頭に来たから後ろからバイクを蹴り倒しちゃった。後ろに乗せていた女性もろとも道路に転がり落ちたわ。」恐るべし、日本女性。彼女のおかげでひったくりが日本女性をニ度と狙わないと良いのですが。
 知らない人どうしで話が盛り上がるのはアセアン好きならでは。また、アセアンの女性たちが気丈な働き者であるのと同じく、アセアンに係わりある日本女性たちも実に強い。そういう私はどこへ行ってもひったくりどころか、ものがなくなった経験も一度もありません。成田の税関では何も言わないのに「ご出張ですか?お疲れ様です。」と言っていただく事が非常に多いです。何事もないのに慣れ過ぎていてそのうちまとめてひどい目に遭うのではと常に気を抜かないせいからかも知れません。
河口容子
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 先日ハノイ市への投資セミナーが開催され、在日ベトナム大使の講演がありました。2008年 7月 3日「ベトナムを襲う経済不安」で触れたように急成長と世界的な原料高により異様なインフレが進み、通貨、株式、不動産の急落とアジア通貨危機の再来の懸念さえありました。
 大使の講演では政府のとった方策として
(1)金融の引き締め(政策金利の引き上げ、預金準備率の引き上げ)
(2)財政支出10%削減(公共事業の縮小、凍結、延期、歳出削減)
(3)生産、輸出の促進(輸出税の引き下げ)
(4)輸入の管理
(5)物価の安定(生活必需品と公共料金の据え置き)
(6)証券市場の安定(違法行為の取り締まり)
(7)福祉の確保(特に弱者への支援)
(8)情報公開による国民の信頼確保
を説明されました。ベトナムのトップの方には詳細かつ率直なお話をされる方が多く、つい親近感を覚え思わずエールを送りたくなります。これらの政策が功を奏し、 IMF、世銀、アジア開銀などは経済危機ではない、政策の効果も出てきていると評価をしています。
 私自身が感じるのは、ベトナムは産油国でありながら製油所がなく(シンガポールで精製)従って石化プラントもない、製鉄所もありません。よって産業の基盤となる素材はすべて輸入に依存せねばなりません。原料高の直撃を受け、貿易赤字も膨らむという構造になっています。それでも 7パーセント台の経済成長を維持し続けた、海外からの投資が増え続けたというのは、周辺諸国に比べ政治の安定性、地政学的な優位性、国民性に優れているからとしか言いようがありません。また、チャイナ・リスクのおかげもあります。発展途上国にインフレはつきものですし、急成長すれば必ず途中で修正局面はあり、中長期的に見れば問題はないと私は考えています。目先の損得だけで動く人はそれだけリスクも大きい、これは当然のことです。
 大使によれば「日本は敗戦で焼け野原になったが50年で世界第 2位の経済大国になった。これは人材育成に力を入れたからである。ベトナムも人材育成に力を入れたい。」とおっしゃいました。在日ベトナム人留学生 3,000人。研修生、実習生として日本で働くベトナム人 1万 7千人。このセミナーでも隣に座ったのが日本で働くベトナム人男性。男性の場合はスーツを着ると日本人となかなか見分けのつかない方が多く、女性の場合はメイクのしかたや服の着方が違うのか案外すぐ見分けがつくのが不思議です。
  8月にはハノイが隣のハテイ省などを併合し新しい大きなハノイ市となりました。その面積は3,346km2で東京都の約 1.6倍、世界で17位の都市に生まれ変わりました。 GDP成長率は何と12%です。2010年の「ハノイ遷都1000年」を前にこじんまりとした政治の街から南のホーチミン市に匹敵する大都市としての体裁を整えようということでしょう。百人一首で有名な奈良時代の唐の留学生である阿倍仲麻呂がハノイに任官していたのは 760-767年だそうでハノイが遷都される前ということになります。古都であり、旧宗主国フランスや共産主義の先生である旧ソ連といったヨーロッパの香りもする小さな都市ハノイが好きでした。また、私の初めての講演はハテイ省で行いましたので心情的にはハノイもハテイもそのままであってほしいという気持ちが強いのですが、こんな個々人のちっぽけな感傷を飲みこみながらどんどん拡大していくのが今のベトナムのようです。

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河口容子
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