女性に年齢を聞くのはマナー違反とされていますが、実際にはそうでもなく、外国人と少し親しくなれば「何歳ですか?」と聞かれることがしばしばあります。たとえば、韓国語は1歳でも年上なら敬語体を使わなければならないので相手の年齢を確認するのは珍しくないと言います。また、ベトナム語では、「チャオ アイン」と言えば年上の男性に対する「こんにちは」、「チャオ チ」は年上の女性に対して、男女関係なく年下なら「チャオ エム」と言いますから相手の年齢を見抜く術が必要です。いずれも年上の人を敬う精神や、ビジネスの会話ではどのくらいキャリアがあるのか知りたいなどという単純な理由で年齢を聞いているだけです。
一方日本では、中高年の女性とわかれば若者からも小馬鹿にされ、詐欺商法の格好のターゲットとなるだけです。「女性は産む機械」と発言し物議をかもした大臣の発言に代表されるように、生産性重視、産まない年齢に達したら「女性にあらず」という国民性を当の女性たちも許してしまっているのはだらしない。人間は誰もが平等に年をとるわけで、「年齢の若さ」は何の自慢にもなりません。若い時は人それぞれに若さゆえに美しい。ところが、年を重ねるにつれ経験や精神的な成熟、日々の努力がなければ美しくは見えません。むしろ中高年になってからこそ個々人の真価が問われると思っています。
自宅の近くにあるブティックの女性オーナーは私と同年齢の美人。お嬢さんは留学先のニューヨークで台湾系米国人と結婚しました。その結婚式はニューヨークで行なわれ、女性オーナーの82歳になる伯母さんも出席されたそうですが、社交ダンスが得意で華やかな装いのよく似合うこの老婦人は米国の若い男性招待客にモテモテだったそうです。外国人は年齢をたずねても、年齢を気にしないという良い例です。むしろ、彼女の日頃の努力の積み重ねやセンスの良さに魅了されエールを送ったとも言えます。
日本では「その年になったら誕生日なんてもううれしくないでしょう?」と冷やかされる事がありますが、そんな事を思ったことは一度もありません。「10歳まで育てばあとは大丈夫ですよ。」と母が医師に励まされ、二度と子どもはほしくないと思ったくらい私は手のかかる弱い子どもでした。健康自慢だった父が40歳の誕生日を迎えて10数日で他界したのに比べ、病気も怪我も多かった私がこの年まで生きているだけでも奇跡、神様に恵んでいただいた命と思わざるを得ません。20歳や30歳の自分と比較しても私は今の自分のほうが好きです。なぜなら、経験なりノウハウが積みあがっているからです。若い頃はおしゃれをする余裕もありませんでしたが、今はありますし、年をとった分小綺麗にしなければと努力をする私がいるからです。
目下最大の悩みは年齢よりはるかに若く見られることです。まず、仕事上では経験が不足していると見られて損をする事が多く、年齢からPRしなければなりません。健康保険証など写真のついていないもので本人確認をしようにも「ご本人ですか?」といぶかしがられる始末。相手が10歳以上年下なのに親しげな口を聞くので「失礼な男性」だと思っていたら、先方は先方で私のことを同世代と勘違いしており「生意気な女性」と思っている、というケースが時々あります。私に何かの用で来られた人が私を私の娘と勘違いしていたため、本人だと言ったところ、からかわれたと思い怒って帰ってしまった、などなど。
実は48歳の時に広東で23歳と25歳の若者に「28歳くらいですか?」と聞かれたことがあります。一瞬、お世辞か目が悪いのではないかと疑ったくらいですが、そんなに若く見られて嬉しいというより、おそらく途上国では若さを保つための情報が少なく、意識的なゆとりも少ないのだろうと感じました。昨年、香港人の若い男性クルーに機内でナンパされかかりましたが、日本と同じ東アジアの人であっても、年齢は気にしないようです。健康管理や資産形成のために年齢を気にする必要性は認めますが、「年だから」をチャレンジしない理由にするのはやめましょう。
河口容子
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重慶でのサッカーアジア杯での日本代表やサポーターに対する中国の観客の言動は目に余るものがありました。日本国歌の演奏には起立しない、ブーイングを行なう、日本のサポーターにはペットボトルやごみを投げつけるという暴挙です。日本選手団のバスが中国の観衆に取り囲まれたり、日本のサポーターを帰りに安全のため一事避難させただの、日本戦については現地では実況中継しないなどという場外のニュースも連日飛び込んできました。
知人の在日中国人 3世(彼は日本で生まれ育っていますが、日本人の血は一滴も入っていません。奥さんも上海人です。)に、「どこのチームを応援するかは勝手だけれども、あの態度はアンフェアでスポーツ精神に反する」と私は言いました。彼いわく「重慶は内陸部で沿岸部ほど国際化していない。中国全体に言えるけれども教育そのものが問題。中国人のマナーは悪いと思う。」と。
追って中国共産党の青年向け機関紙に「観戦マナーを改めよ、ホスト国として恥。」という記事が出たものの、重慶は日中戦争時代に旧日本軍の爆撃を激しく受けた地だけあって反日感情の強い人が多いのでしょう。先週書いた日本人の感情的なるものとまた違い、これは心の奥底まで滲み込んだ恨みの教育がなされているような気がしてなりませんでした。
かつて反日感情が非常に強いとされた韓国との関係にあっても、2年前のワールドカップの共催以来、雪解けムードとなり、現在では韓流ブームとさえなりました。ビジネスにおいては中国関連のニュースがあふれる一方で、重慶の5万5千人のスタジアムのほとんどが反日に揺れる光景を見てショックを受けた人も多いのではないかと思います。
私の香港のビジネスパートナーは香港と中国の 4都市で日本製品のセレクトショップを展開していますが、屋号は日本的な名称を使っていません。日本的な屋号にすれば反感を持たれる危険性があるからです。日本や日本人は嫌いなのかも知れませんが、幸い日本製品の不買運動にまではつながりません。
以前、広州に出張したとき、私が日本人とわかると如実に嫌な顔をされた事もありましたが、逆にとても親切にしてくれた人もいました。どこの国でもいろいろな人がいるものです。ひとり、広州から列車で香港へ出発する私にビジネスパートナーは「人民元を持っていないでしょう?持っていきなさい。」と札入れから数千円分の人民元をそっと渡してくれました。私は道中危険なことがあるのだな、と覚悟しました。インドネシアでは金銭決着用のお金をポケットに分散して持ち歩いているからです。私の危惧を察したビジネスパートナーは「何てことないよ。これで飲み物でも買えば、ってことだよ。」と笑いました。
車中に日本人のビジネスマンがいました。荷物を半分通路にはみ出して置いているのを見るやいなや、女性の車掌は持っていた紙をはさむホルダーで思いっきりその荷物を叩きました。彼が日本人とわかっていたからです。疲れていたのかも知れませんが、そのビジネスマンはいかにも横柄そうな中年にさしかかった男性でした。その後、この車掌は乗客にミネラルウォーターの入った紙コップを配り、しばらくして回収に来ました。私は窓側に座っていたので取りにくかろうと彼女に手渡すと消え入りそうな声で「サンキュー」と言って受け取りました。決してマナーを知らないわけではない、接する側の態度や精神は必ず通じる、とこの光景を今でも忘れません。
河口容子