「ところでサクラはどうですか?そろそろ咲く頃ではないかと思うのだけれど。恥ずかしながらまだ日本でサクラを見たことがないんです。乗り物の中から散ったのを見たのが1度あるだけ。」と香港のクライアントである D氏からメールが来ました。「うちの周辺は桜がたくさんあるんですよ。咲いたら写真を送りますから、もうちょっと待っていてくださいね。」と私。「恥ずかしながら」というあたりは「日本通」であることを強調したかったのでしょう。その実、私が覚えている限り、外国人ビジネスマンの中で「チェリー・ブロッサム」ではなく、はっきりと「サクラ」と呼んだのは彼が初めてです。
2009年 4月 9日号「桜の季節」で触れたように日本人にとって桜は格別なものですが、外国人ビジネスマンたちも桜の咲く頃に出張をしたいという夢を持っているようです。ところが日本企業の多くは4月に新年度を迎え、組織変更や人事異動に忙しく、桜の季節に海外からの出張客を受け入れる余裕がなく、桜と外国人にまつわる思い出は案外ありません。
一番喜んでもらったのは会社員の頃米国法人の男性スタッフが日本に研修にやって来た時、昼休みにお弁当を持って数人でお花見に行ったときの事です。「東京のど真ん中にこんなにたくさん緑と花があるなんて」と驚き、「人生で最高のもてなし」であると言ってくれました。記念に写真も撮ったのですが、今でも皆の笑顔が桜に負けないくらい輝いて見えます。
もうひとつの思い出はこれも会社員の頃ですが、やはり米国法人の女性の部長が香港の国際会議に出席する途中東京に立ち寄り、二人で仕事が終わってからおでんを食べに行く途中見た夜桜です。散る寸前の桜でしたが彼女に見せられて良かったと言うと「これでも十分きれいだわ。桜を見ることができて良かった。ありがとう。」この2日後また二人は香港で再会し、この世の終わりかと思うほどの雷雨に見舞われました。夜桜と雷雨、この落差が忘れ難いものとなっています。
海外で見る桜も私を元気づけてくれます。初めて海外出張したのは3月ごろで米国とイギリスへ行きました。スタート地点のニューヨークでは雪も降り、ひどい風邪をひいてしまい、頭がふらふらのまま3週間ほど地球を半周するはめになりました。途中のワシントンDCのポトマック河畔の桜はまだつぼみすらつけておらず寒さに耐えている姿は咳が止まらず夜もよく眠れない私を勇気づけてくれているかのようでした。サンフランシスコのゴールデンゲートパークでは桜が咲いており毛皮のコートを着たまま思わずホットドッグでお花見をしましたし、最後のロンドンではハイドパークを車で通りがかった際ぽつんと桜らしきものを見つけ、思いがけないプレゼントをもらったような気分になりました。そして帰国時には満開の桜が私を出迎えてくれました。
北半球に分布するサクラは 800品種程度あるそうで、サクラという植物名はなく、古くはヤマザクラ、現在はソメイヨシノを指すそうです。ソメイヨシノは戦後たくさん植林されましたが、寿命は60年ほどと言われています。枯れて伐採される桜の古木を最近見かけるようになりました。日本人にとって春を告げる花、思い出の花を絶やしたくないものです。
河口容子
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東京の桜は観測史上二番目に早い開花となりましたが、世相を映したかごとく気候が不安定で満開までにかなりの日数を要しました。きれいな桜の写真が撮れると海外の友人たちにメールに添付して送ります。花といえば桜をさすのは、桜がどこにでも植えられていること、春の訪れの象徴であり、日中とはうって変わって夜桜の妖しいまでの美しさ、そしてその散り際にあるのでしょう。また、入学、卒業、入社、退職、転勤など人生の変わり目どきでもあり、誰の心にも「思い出の桜」がひとつやふたつあるはずです。
先週号の「アジアの憂鬱」を出稿したあと、気づいたのはインドネシアのデング熱の流行を書き忘れたことでした。 4月 1日付けの報道では感染者はもう 4万人を越え、 500人以上亡くなっています。ジャカルタ在の友人に状況を問い合わせたところ、別に仕事に支障は出ていないし、それほど悲観的な見通しではない、それより大統領選の日は暴動が起きるかもしれないのでオフィスを閉めなければならないほうが大問題との回答でした。インドネシアでは天災と人災との闘いです。
「アジアの憂鬱」を読まれたある読者は、たまに大きな視野でものを考えると毎日自分のことに精一杯なのを寂しく感じる、また、大変なのは自分ひとりではない、と思われたそうです。確かに不安要因はたくさんありますが、ひとりで頭をかかえこんでいても、愚痴ばかりこぼしていても悪循環に陥るだけです。私は前向きに生きるにはなるべくたくさん具体的な夢を持つことだと思います。「思えば願いはかなう」、まずは思うことが大切です。
かつて会社員時代は「国際会議に出て、席の前には自分の名前が書かれた名札が立ててあり、出席者は資料のとじこまれたおそろいのバインダーを持って」、というようなシーンに憧れましたが、出してほしいと誰に頼んだわけでもないのに何年かしてちゃんとその役はまわって来ました。
くだらないと笑われるかも知れませんですが、ぜひ見たいものとして「ボーイングの工場」「ジャカランダの花」「ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場でのオペラ」というのがありましたが、これも仕組んだわけでもないのに出張のついでにひとつずつ実現しました。ジャカランダというのは南アフリカに咲く紫色の木の花です。ヨハネスバーグだったと記憶しますが街中が紫の霞につつまれたような写真がずっと記憶に残っています。花の形は違いますが、いわば紫の桜です。この写真から約20年、ロスで車の中から街路樹のジャカランダが咲きはじめたのを偶然見つけたときは人生の不思議さに感動しました。
こうやって小さな夢を積み上げていけば毎日は明るく希望と感動や感謝に満ちたものになるのではないでしょうか。「大儲けしたい」「大出世したい」「もっと良い仕事につきたい」という人もあるでしょうが、これはいまひとつ具体性に欠け、現状の不満の裏返しにしか聞こえません。
「桜を見ないと幸せになれない」という言葉を聞いたことがあります。私が解釈するには、どこにでもある桜をながめるゆとりすらない人間は不幸ということでしょう。桜の季節、あなたの夢は何ですか?
河口容子