[346]積み重ね

 「今年で起業10年目だってね。早いものだね。あなたは相手の事をよく考えて何でもひとつひとつ積み上げて行くから続いたんだと思う。その点、僕はひとりよがりだったと思う。」と会社員の頃からの知人の S氏が電話をくれました。同氏は機械メーカーに就職して、どうしても MBAの勉強がしたくて退職し大学院に進学、その後流通業を転々としています。また、その間、コンサルタント会社を 2回設立し、 2回とも失敗しています。
 実は起業のとき、S氏の失敗経験が参考になると考えました。S氏は非常に頭の良い方ですが、男性としてはかなり依存心の強いタイプです。資本金の一部も友人が出してくれ、会社設立の手続きから経理業務も友人任せでした。おまけに「報酬を払ってください」と言う事ができない性格、頼まれれば何となく仕事を始めて途中で頓挫する、という繰り返しだったようです。
 2009年 6月11日号「ビジネス・スキーム その2」で書いたようにビジネスには必ず5W2Hがあるのですが、「これは面白そうだ」と思うだけですぐ暴走してしまう性格のようです。こういう方は結構よくいらっしゃるのですが、何をどこまでやってくれるのか、何ができないのか、非常にわかりにくく、ひとたび熱中してしまうと質問にも答えてくれません。お任せしておけば名人芸で終わらせてくれるなら良いのですが、迷人となり途中で自爆されてはたまったものではありません。
 奇しくも同時期に香港のD氏から同じことを言われました。「あなたの一番良い点は相手のために一生懸命に努力を続けることです。」医師が患者の命を預かるほどではなくても、コンサルタントはクライアントの大切な資産や経営者や従業員とその家族の生活を守らなければなりません。うまく行って当たり前の世界です。最初から無理と思うものは堂々とお断りをします。気分を悪くされる方もあるでしょうが、私にとっても自分の仕事をなくしてでも辞めてほしいという気持ちをどうか理解していただきたいといつも思っています。逆に「何でもできます」と言うコンサルタントには要注意です。単にお金目当てか、広く浅くフォローできるだけで専門性に乏しい危険性があります。
 先日、日本では久しぶりに「進化する対中ビジネス」というテーマで講演をやらせていただきました。主催者がベンチャー企業グループだったため聴講された方も若い起業家が多く、日本も捨てたものではない、と感じました。ただ同時に「仕事がない」と騒ぐ同年代の方々より起業家たちのほうがはるかに苦労をしているとも思えます。やはり、仕事を創り上げるには経験が必要だからです。何事も体力やアイデアだけでは勝負できません。日本には悪習もたくさんありますが乗り越えられないものと乗り越えられるものの見極め、これも経験によるものです。彼らも失敗を良い経験として積み上げて行ってほしいものです。
 「好きこそものの上手なれ」と言いますが、総合商社の仕事も今の仕事も私は好きですが、専門性や方向性については他人の意見のおかげです。幸い私の周辺にはストレートな物言いの方が多く、私の長所や短所を明確に指摘してくれました。特に長所は自分でも気づいていない事も多く、自分の「好き嫌い」だけではここまでさまざまな仕事にチャレンジして来れなかったと感謝をしています。他人の評価があって初めて仕事が成り立つわけですから、今後も冷静に他人の声に耳を傾けていくつもりです。
河口容子
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総合商社の闇

 北方領土のディーゼル発電の入札疑惑で三井物産の社員が逮捕されました。かつて辻元元議員が鈴木宗男議員を「疑惑の総合商社」と呼びましたが、今度は本物の総合商社が浮上して来ました。ニュースで「総合商社の闇」という言葉を聞き、私も2年前までは総合商社の社員であったことを思い出しました。

 私が入社したのは1976年ですでに「商社冬の時代」とは言われていましたが、まだ日本経済の先兵であり、海外との取引は「ラーメンからミサイルまで」総合商社が牛耳っている時代でした。この頃を前後して、オイルショックの物不足に乗じて価格高騰狙いの在庫かくしをしたり、ロッキード事件、ダグラス・グラマン事件という昭和の大疑獄事件がおこり「悪徳商社」という言葉も流行しました。

 総合商社という所は営業なら商品別に何百という組織が作られており、入社した頃なら、隣の課がどんな事で収益をあげているのか、また課内でも担当が細かく分かれていれば他人の仕事内容はほとんどわからない事もあります。離れたところの部署で起こった大事件は良きにつけ、悪しきにつけ、マスメディアで知り、びっくりする事もたびたびでした。幸い私は、全く異なる部門での営業経験、そして非営業と異動が多く、労働組合の諮問委員もやったことがあるため、社内人脈が広く、後日かなりの社内情報通にはなれましたが、デマや誹謗中傷の類でストレスがたまるのも、この業界の特徴と思います。

 総合商社で機械の輸出を手がけたことのある人なら、開発途上国向けは現地の権力者とのパイプ作りが重要、そして政府の無償援助案件はおいしい、というのは伝統的な常識です。特に後者は、政府に提出する書類作りは面倒ですが、お金の回収の不安がまったくないからです。特にカントリー・リスクの高い国から多額の金額を回収するのは、一歩間違えば社運を左右してしまう可能性もあるのです。一例をあげれば、東南アジアの通貨危機以来ひっかかっている案件は各社山のようにあるはずです。

 総合商社どうしは仲が悪いか、と言えばそうでもなく、業界内でいろいろなレベルでの交流が世界中でありますし、国際入札では商社連合と称して幹事会社のもと数社共同で入札することもあります。また、過去オレンジなど輸入の割当枠があった時代は自社枠を他社へ貸して儲けるということがありました。ふだんはライバルでも利益になれば手を組むという変幻自在さも一般の人から見れば闇かも知れません。

 上述の悪徳商社時代に各社モラルの見直しが進められ、社内の監視制度なども行き届くようになりました。また、その後バブルの時代へ突入し、開発途上国も民主化が推し進められ、総合商社の不祥事はなくなったかのように見えました。一方、それと同時に総合商社以外の業種の海外進出や直接取引が急増し、バブルの終焉には「商社氷河期」を迎えることになります。総合商社という機能は日本特有と教えられ、その業態を誇りに思えた時代もありました。いつしか、もはや時代遅れのドメスティックな産業なのではないか、海外取引をしているから本人たちは国際化していると勘違いしているのではないか、と疑うようになったのも事実です。今回の事件は現在の総合商社の象徴でもあります。

2002.07.11

河口容子