[234]英語が苦手な日本人

 英語を母国語とする人たちから「あなたは実に英語が上手」とびっくりされます。ネイティブ並みならびっくりはしないと思うので英語の苦手な日本人としては珍しいというような皮肉もこもっているのかと勘ぐったりもします。そしてだいたい次のような会話に展開していきます。「あなたはどこか外国にいたことがあるのですか。」「いいえ、一度もありません。短期の出張だけです。プライベートで海外旅行にすら行ったことがありません。」「じゃあ、英会話の特別なレッスンを受けましたか。」「そんなものには行ったことがありません。」「ああ、大学で英語を専攻したのですね。」「いいえ、専攻は教育学です。専門はカリキュラムと教育方法学です。」「じゃあ、どうして他の日本人は英語が話せないの?」
 この理由を私なりに分析すると、まず日本ではさしせまった必要がないことです。国内市場が大きく、英語が話せなくても十分職があります。また、情報や映画、書物、ソフトウェアの類もすぐ日本語版が出てきます。英語を使わなくても十分生活をエンジョイできるので、趣味や教養としての英語になりがちです。一方、途上国は経済を外資に依存している国が多く、外国語ができるとできないとでは収入も出世のスピードも違います。中国でもこの10年ほどで英語が話せる人が急増したので、「文字が違う」「文法が違う」などという説は単なる言い訳にすぎなくなります。ハングリー精神こそ上達の道とも言えます。
 次に教育法の問題です。私の世代なら公立の中学、高校へ行けば 6年間、それも週に何時間か英語の授業がありました。それだけ学んでも多くの人が話せないどころか何年、何十年と教えている先生すら話せないとなれば、これは教育法の間違いとしかいいようがありません。それでも改善が遅々として進まないのは英語を話せる教師の確保が難しいからです。英文法と読み書き中心にすれば、教えるほうもマニュアル仕事ですみ、全国津々浦々まで同じレベルの教育を施すことが可能になります。
 私自身は公立高から推薦入学で大学に進学したので受験英語も勉強したことがありません。大学はカトリック系でしたので、ミッションスクールの卒業生が多く、また帰国子女も多かったため英語力に関してはかなり劣等感を味わうはめになりました。原因は受験英語の勉強をしなかったからではなく、単に英語を使用する機会が足らないという差だけです。英作文の時間、高校までは模範解答どおりにできないと思い切り×をくれる先生が主流でした。大学では外国人の先生が多く、どんな書き方をしても意味が通じれば○をくれました。文法や単語をぎちぎちと暗記するより発想力や語感の勝負です。
 とっさに自分の単語力を駆使して何かを表現する、これは特に会話に必要な能力です。読み書き中心の教育は時間制限のないゲームに似ています。誰かに教えてもらったり辞書で調べたりとある程度マイペースで進めることが可能です。一方、会話は時間制約のあるゲーム。これは慣れと反射神経なくしては成り立ちません。文法の本や辞書を気にせず外国人と会話をした後で「ああ、こう言えば良かったのに何で思いつかなかったのかなあ。しまった、しまった。」と思う経験を繰り返すうちに上手になります。また、相手が言うことを聞いていると「ああ、こういう場合にはこう言うのか、学校では習わなかったけど。」という発見もたくさんするはずです。
 日本語でも年齢、性別、ライフスタイルなどによって言葉の使い方が違うように英語も同じことが言えます。私自身は実際に交流のある同年代の米国人 3人のビジネスパーソンをお手本として表現や言葉のニュアンスを勉強しましたがこれはかなり効果があったと思います。
 新年度に入り、今年こそ英語(ないしは他の外国語)を身に付けたいと思っている方も多いと思います。目的をきちんと持って、自分にあった方法で工夫しながら学ばれることをおすすめします。目的がなければ使う機会もないでしょうから時間とお金の無駄です。言葉は学んだところで使わなければすぐ忘れてしまうからです。「自分にあった方法」を見つけ、工夫するという「気づき」こそ、日本語とは異なる概念を理解するのに役立つのではないでしょうか。
河口容子
【関連記事】
2000年12月21日号「英語ブームだそうです」

[167]「ノー」から生まれたプレゼント

2003年 8月 7日号で「ノーは親切、論争は親近感」というのを書かせていただきました。日本人は「ノー」と言うのも「論争」も不得意です。ましてやそれが、親切であったり、相手に親近感を覚えてもらうわけがない、と思われた方もあるでしょう。ところが、その通りの出来事がクリスマスを目前にした日におこったのです。
 私のオフィスに英語で電話がかかって来ました。相手は2005年11月10日号「ローレンスと呼んで」のローレンス、シンガポールのコンサルタント会社の CEOです。実は 2ケ月ほど前に彼からある業界の役員クラスの方を聞き取り調査をしてまわる仕事の依頼を受けました。期間は英文レポートも含め「明日から 1週間」で10社ほどありました。報酬はびっくりするほど安く(パートタイマーのリサーチャーなら喜んで引き受けたかも知れませんが、プロに依頼する仕事としてはあきれた金額でした。)私はその期間は予定がすでにぎっしりでしたので即お断りしました。断らないと先方も次のアクションを起せないからです。
 ついでに私のおせっかい心が活躍し始め「日本の企業で役員クラスの方が見ず知らずのインタビュアーに即応じてくれることはまずありません。10社のうち何社かは断られるでしょうが、まずアポを取るだけで大変です。それにその企業はどこにあるのですか?」と東京から大阪や名古屋までの交通費の金額を明示し、「出張する場合は交通費を出さないとその報酬では無理です。」などと、その他気付いたことをいくつか指摘しました。たぶんこの条件を提示されたプロのコンサルタントは「馬鹿にして」と腹がたったことでしょうが、単に知らないだけかも知れない、それなら教えてあげよう、というのが私のねらいでした。
 日本なら「こうるさいおばさん、余計なお世話」と思われて終わりですが、外国人は違うのです。そして上記の電話につながるのですが、彼いわく「内容についてはあなたのご指摘のとおりでした。それにしてもひどいもので依頼した日本人で返事をくれたのはあなただけでした。」仕事の依頼をするくらいなら、まったく知らない人には頼まないはずですが、皆うんともすんとも連絡をしないなんて日本ビジネスマンの恥です。即「ノー」と言ったことと、気付いたことを述べたことにより彼は私の事を信頼できる人間と思ったらしく、もっと条件の良い仕事を 2件くれました。
 メールで送られてきた契約書を読むと仕事相手の条件は「政府機関の仕事に携わり評価されている人、もしくはビジネスのエキスパート、もしくは企業経営者、もしくは大学などで教えている人」とあります。もしくは、ではなくてかろうじて全部私にあてはまるではないですか、すごい、と気分を良くしてサインをしたページをとりあえず FAXしたところ、山のような書類が送られて来ました。
「書類をたくさんありがとうございます。ゴージャスなクリスマス・プレゼントにめまいがします。」とメールをしたところ「プレゼントを気にいってくれるといいのですが。ジェントルマンらしいプレゼントを贈れなくてごめんなさい。」と矢のように返事がかえってきました。香港のパートナーたちともそうですが、海を隔てて一緒に仕事をする場合、ちょっとした一言で親近感や連帯感が生まれるものです。
河口容子