このエッセイの読者には海外在住の日本人、まさに国際人として活躍されている方が少なからずいらっしゃいます。特に海外で起業された方には尊敬の念とともに思わずエールを送りたくなります。異文化の中で1外国人として企業を立ち上げるのは並大抵のことではないと思うからです。先日、パリ在住のビジネス・コンサルタント Nさんと銀座でお会いしました。実は2~3年からお話をいただいていたのですが、なかなかスケジュールがおリあわず、やっと実現したものです。
Nさんは大手旅行代理店に勤務されていた頃パリに駐在し、そのまま現地で MBAを取得され、フランスの政府機関でコンサルタントをされた後独立。 実は商社マンにこのパターンが機会的にも多そうに思えますがなぜか商社マンは独立志向が薄い気がします。もともと組織や仕組みを利用してビジネスをするのが得意な人たちで、ある意味では官僚的なのかも知れません。駐在地で定年を迎え、その地に残ってもどこかの企業に就職するケースがほとんどです。
さて、 Nさんや私のような「 1人企業」のコンサルタントにとって大切なのが人的ネットワークです。自分の不得手な部分を他人に補ってもらう、あるいは他人の得手を活用して新しいビジネス・チャンスを創出することができるからです。このネットワークもただ多くの人を知っていれば良いというのではなく、信頼に足る経験や実績を持っているかどうか、自分の専門性と接点があるかどうか、思考法や価値観の大きなずれはないか、などの見極めが必要です。
海外在住の日本人の方々は「外へ出て初めて日本の良さも悪さもわかります。日本を愛する気持ちも生まれて来るのが不思議です。」と異句同音におっしゃいます。私もその辺をお聞きするのが楽しみです。「ところでフランスの方々はふだんアジアをどのように見ているのでしょうか?ちょうど日本とは逆の方向からアジアを見ることになりますが。」「大陸でつながっているので結構感覚としては通じるものがあるのでしょう。中国人とだって日本人以上に気にしないでつきあっていますよ。アジアの工芸品だって好きですしね。特に日本の伝統工芸品はハイエンドの人たちには人気がありますよ。」「アジアの文化を理解するという姿勢はすばらしいですね。でも日本のキャラクターやアニメはアジアでは強いですが欧州市場では弱いですね。」「そうですね、ヨーロッパは大人社会ですからね。」
「大人社会」とはなかなか素敵な響きです。では日本は「子ども社会」なのでしょうか。個々の意見や嗜好を主張できず、オピニオン・リーダーやトレンド・リーダーといった強い人に引きずられる点では子どもと言えるかも知れません。国際競争にさらされていなかったという点でも「子ども」かも知れません。大陸というのは基本的に弱肉強食の世界、中国にしても人口的には漢民族が圧倒的に多くてもほとんどの王朝は異民族による制服王朝でした。私も仕事を通して「さすが大陸の人は錬れている、芯が強い」と感じることがしばしばです。大陸的グローバル・スタンダードを日本人にいきなり押し付けたらショックが大きいことは自明の理です。
国際競争にさらされ、日本と日本人はいつか大人になれるのでしょうか、それとも「いつまでも大人になりたくない子ども」のままでいるのでしょうか。
河口容子
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私にとって韓国ドラマの面白さのひとつは何気ない名セリフです。印象に残っているものとして「運命は前から石が飛んで来るようなもの、避けようとすれば避けられる。一方、宿命は後ろから飛んで来る石で避けようとしても避けられない。」というのがあります。自分が努力しても変えようがないもの、あるいは選択肢がないものを宿命とするならば、たとえば年齢、性別、人種、などを差別やいじめの原因は宿命的なものに多く、人間の世界は実に悲しく、おろかとしか言いようがありません。
会社員になるとします。これは運命の部類です。その企業を選択しないという自由もあるからです。ところが、仕事を始めてみると、自分の好きな仕事はなかなかさせてもらえません。「会社を辞める」こと以外は、仕事も上司も選択の余地はなく、もう宿命に近い生活となってしまいます。ところが結構日本人はこの宿命に流されるのが好きです。時々同僚とお酒を飲んで会社や上司の悪口を言ってうさを晴らすものの、「生活のため」だの「我慢していれば給料はもらえる」、「転職したり、独立するリスクと比較すればまし」などといろいろな理由を考えては定年まで会社にしがみつく人が多い。
2000年12月14日号「起業家時代」で会社員を辞め起業した理由を書かせてもらいましたが、今考えてみると上述の宿命に流されるような会社員生活が耐えられなくなったからかも知れません。起業すれば、まさに運命の旅路、日々前から飛んで来る石との戦いで、致命傷となる岩は避けねばなりませんが、逆にダイヤモンドとまではいかずとも小さな宝石くらいは手につかむ事もできます。
起業して 8年目に入りましたが、商権も何もなくゼロからの開拓です。香港のビジネスパートナーは会社員時代に上司の紹介で 1回だけ会った事がありますが、一緒に仕事をしたことはありませんでした。あとの取引先は会社員時代からのつながりは一切ありません。考えてみれば、名もなく、お金もない会社ですから、私自身を信用してくださって皆さんお仕事をくださったわけです。それが中国から東南アジアまで広がっていると思うと、ありがたいを通り越して、それぞれの方との出会いという運命の不思議さを感じます。
もうすぐ、ベトナムの商社に勤務する女性の部長が日本にやって来ます。元国営の企業で彼女は日本語も英語も堪能なエリートですが、人柄の良さは天下一品、真面目な努力家でもあります。そもそも 1昨年ハノイに講演に行った際にベトナムの政府機関から急遽訪問を依頼されたのがこの商社で、社長の隣に彼女が座って通訳をしてくれたのが最初の出会いでした。彼女は日本市場の担当をしていますので、以来、彼女が来日したとき、私がハノイへ行ったとき必ず会うようになりました。
彼女と急速に親しくなったのは、昨年彼女が展示会に出展のため来日したときのことです。ちょうど展示会の最終日で彼女は展示物をしまうダンボール箱を探していました。私は彼女を日本の取引先に連れて行ってあげることになっており、そこでついでにダンボール箱をおねだりしました。サンプルや書類で荷物いっぱいの彼女は「ありがたいけれどどうやって展示会場へ持っていこうかしら?」「たたんで持って行けばいいじゃないの。私が持ちますから。タクシーに乗れば平気ですよ。」と私。日本の取引先はあわててタクシーをひろいに走って行ってくれました。タクシーの中で彼女は「正直、日本の方々がこんなに親切にしてくださるとは思いもしませんでした。」とぽつり。どうやら運命はダンボール箱という小道具を用意してくれたようです。
河口容子
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