[324]インターナショナル・アジアン

香港のクライアント D氏が奥さんと一緒に東京にやって来ました。奥さんはバリバリのキャリアウーマンというご夫婦で年に 1-2回必ず日本にやって来ます。 D氏は滞在中の半日くらいを私とのミーティングに充てますが、その間奥さんは買い物ざんまいです。香港人としては珍しくおっとりと礼儀正しく、ビジネスの手際もあかぬけている D氏を支えているのはきっと奥さんの知性や行動力、理解と励ましに違いありません。
六本木ヒルズにあるホテルに泊まっている彼らを訪問した際のことです。駐車場からロビーへどう行くかわからずドアマンにたずねようとしたのですが日本語が出て来ません。どうやら頭はすっかり英語モードになっていたようです。しかたがないので英語でたずねました。ドアマンは私をアジア系の外国人と思ったのでしょう。丁重に10数メートル一緒に歩いて案内してくれました。
ロビーで待っていた D氏に「ああ恥ずかしい」とこの事を話すと「大丈夫ですよ。絶対日本人に見えませんから。」「じゃあ、どこの国の人に見えます?香港人?」「香港人じゃないなあ。インターナショナル・アジアン。」おかげでアジアのどこの国に行っても適当に同化して安全です。実家が貿易商であったため外国人と取引するのは当たり前、私の家には日本人と外国人を区別する習慣はありませんでした。そんな環境に加え、親族を見渡すと典型的なお雛様顔もあれば、アセアンっぽい顔、西洋人的な顔と種々雑多で、その遺伝子がまざっているとすればインターナショナル・アジアンに見えても不思議ではありません。
お土産マニアの D氏は香港で春節(中国の旧正月)に食べるというココナツ・ジュースの入ったババロア状のケーキを持って来てくれました。話の途中で咳が止まらなくなった D氏にマスクとトローチを買いに行き「はい、プレゼントです。」と渡すと「ケーキとの交換みたいだね。何かクリスマスみたい。いつもしゃべり過ぎてのどが痛くなるんだ。」と大笑い。
D氏は中国のこれから株式上場をしようとする中小企業のための総合コンサルタント会社を金融コンサルタントの友人と新たに作りました。なぜ上場予定の会社をターゲットにするかと言うとまず財務状況を把握でき支払能力をチェックできます。株式上場には不安要素を掘り起こし問題解決が必要です。コンサルタント費用を惜しむわけにはいきません。もちろん、日本からの技術支援、デザイン支援などはすべて私がコーディネートすることになっているらしく、頼んだ覚えもないのでまさに目パチクリです。どうやら昨年 9月の晋江でのデザイン支援がトライアルだったらしく、私自身も D氏のコンサルタント仲間にもすっかり気に入られてしまったようです。春には啓蒙のためのセミナーの講師にというお話までいただきました。
いただくお話に共感できれば損得はあまり関係なく徹底的に努力をするのが私のやり方です。その結果、いろいろな形で新しいお仕事が展開していきます。「自分探し」という言葉をよく耳にしますが、自分が自分についてわかるのは「好き嫌い」や「やる気があるかないか」だけで、潜在能力や使命については社会とのかかわりあいの中で他人が見つけ、育ててくれている、そんな気がする今日この頃です。
河口容子

[322]2009年のはじまり

私の会社に年末年始の休みはありません。まず、大晦日はファイルを全部新しく作りなおします。現在書類の法定保存期間は7年が基準ですので7年前の書類を廃棄するのですが、ホッチキスをはずし全部裏紙として使います。ファイルのフォルダーも使えなくなるまで使います。この作業で数時間かかります。過去はケチくさいと言われる事もありましたが、今は「エコ」とほめられますので時代も変わったものです。私自身はこういう節約と忍耐が会社経営者の基本だと思っています。
そして元旦。日本のクライアントの F社長は夢見る牛の絵をご自分で描いてすべてハンドメイドの年賀状をくださいました。思えばワープロが会社に登場したのは25年くらい前で個人が買えるような価格のものではありませんでした。印刷もデスクトップ印刷などありませんでしたから高額で、皆自分で工夫して年賀状を作ったものです。今は紋切型の文章に宛名にも本文にも自筆などない年賀状がふえ、個人なのに企業やお店からの年賀状と何ら変わりがありません。そんな中でユニークな年賀状は上手下手の問題ではなく、まさに心のギフトと思えます。
香港のビジネスパートナーとさっそくチャットで賀詞交換をしました。「今年は変化の年になるに違いありません。この変化が地球上のより多くの人々にもっと多くの幸せをもたらすことを祈っています。」と私。「そうだね。世界経済が早く立ち直ること、貿易量が正常に戻ることを望んでいるよ。しばらくは困難な時期が続くのだろうけど。」その後は友人たちの消息について30分ほどあれこれ話しました。最初の出会いから丸10年、共通の友人の多いこと。
シンガポールでコンサルタント会社を経営している日本女性ともメールでやり取りをしました。彼女は日本の公的機関に勤務時代にシンガポールに駐在し製造業を経営しているシンガポール男性と知り合い、結婚しました。現在ご主人は仕事の関係から単身で上海に住んでいるそうです。女性の社会的地位が上がれば簡単に職を辞すわけにはいかず、こういう別居キャリア・カップルも今後ふえていくのでしょう。
彼女が言うにはシンガポールは元々金融が大きな産業の1つだったので、投資銀行などの縮小、閉鎖で、知り合いのバンカーの中にも解雇された人がいるそうです。欧米系企業での「朝通告、そしてそのまますぐに退社」というのをまざまざと見せつけられてさぞ仰天したことでしょう。念願のドバイにも旅行したそうですが、建物などハードはすごいもののサービスのレベルがまだ低く、同じ金融国家として「これならシンガポールは安泰」と思ったそうです。
私自身にとって2009年はまず 5月に起業10周年目を迎えます。そして10月にはメルマガ創刊から10年目を迎えます。 1年目で廃業するかも知れないと覚悟しての船出でしたが「仕事の質」のみを追いかけ欲張らなかったのがここまで続いた秘訣かも知れません。会社員のままなら「定年まであと何年」という境地でしょうが、毎日毎日自分を試せ、進化し続ける楽しみと多くの方々のおかげで「生かされている」ことを感謝できるのも一人企業の良さだと思っています。
河口容子