[269]香港女性とくつろぐ銀座の老舗

 2007年11月 1日号「はったりをめぐって」に登場する香港のクライアント企業に勤務する女性はとうとう 3ケ月腰をすえて日本で日本語を勉強することになりました。友人が近くにいるというものの、気にはかかるので時々メールで様子をたずねていました。お昼かお茶をしましょうとの約束も最初の 1ケ月は彼女は風邪と宿題の山とカルチャーショックでパニック状態、気温差や乾燥した空気のせいだからよくうがいをするように、お風呂で体を温めるように、食事は栄養のバランスを考えて、辛かったことも後からは良い思いでになるのだから授業を最後まで頑張るように、などと、私も生来のおせっかいぶり炸裂です。不思議なものでこんなやり取りを続けるうちに、最初随分神経質な女性だと思えた文面が明るく優しい女性に思えるようになりました。
 ある日銀座に仕事があったので、学校帰りの彼女を呼び出し昼食を食べることにしました。初めて会った彼女は大柄でいつもにこにこ笑っている20代半ば過ぎの女性でした。ブラウンに染めたボブカットに上手にメイクをし、ショートジャケットにミニスカート、ブーツというどこから見ても日本のお嬢さんにしか見えません。私が連れて行ったのは 130年続く長崎料理のお店です。外国人は日本に来るとすきやき、しゃぶしゃぶ、寿司、天ぷらで接待してもらうのが定番ですが、今は世界中どこでも食べられるものであまり新鮮味はありません。そこで老舗の伝統的な和食、それも一般人が普通に食べるものを紹介してあげようと思ったのです。何種類かお料理を頼み、「取り分け皿をお願いします。」と頼もうとしたところ、「言われなくても」とばかりに中年の女性がお皿や中鉢を出してくれました。案の定、名物ドンブリ大の茶碗蒸しの出汁に彼女はうなるように「オーイシイ」と言いました。残念ながら彼女の発する日本語はこの「いただきます」「おいしい」「寒い」の 3語のみでこれまた案の定終始英語で話すことになりました。
 聞けば彼女の友人は26歳の香港女性で30歳の日本人男性と結婚しているのだそうです。「日本の人は携帯電話で話さず、メールでいちいち話すのですか?」「そんな事はないですよ。少なくとも私の年代ではね。」「友達たちの年代はそうらしいんです。それでも結婚したから不思議だわ。」「今はいろいろな職業があってそれぞれ生活の時間帯が違うからメールのほうが便利になったんじゃないの?」「ヨーコさんは携帯からメールを打ちますか?」「私は老眼だから携帯でメールを打つのは大変ですよ。でも最近は中年男性も電車の中で老眼鏡を上げ下げしながらメールを打ってるわね。何をそんなに急ぐことがあるのかしら?携帯電話はただの電話機でいいと思う。」「そうですよ。香港では携帯電話は話すためのものです。」
 百聞は一見にしかず、で会ったこともない人とビジネスを始めることはほとんど不可能ですし、プライベートならなおさらです。人間なら互いに会って、お互いをさらけ出し、また気遣いあいながら生きていくのが自然の姿で、声を聞くこともせずメールの文字にだけ頼るのは非常に恐ろしいことだと思います。携帯の小さな画面で十分に意思や状況を伝えられるとは思わないし、嘘だってつけます。場合によっては無視する事もできるのですから。
 「日本人はどうして毎晩ビールを飲むんですか?友達のだんなさんは必ず夜ビールを飲んでます。」「私は東南アジアへよく行くけど皆あまりアルコールは飲まないわね。私のインドネシア華僑の友人によれば、日本人は夏暑いから飲む、冬寒いから飲む、春や秋は景色がきれいだから飲む、インドネシアは夏しかないからお酒はいらない、と言ったわ。この答え素敵でしょう?」
 会計の際に「彼女にいろいろ食べさせてあげたかったのですが、結局は食べきれず残してしまいました。ごめんなさい。」と詫びると店主は「ありがとうございます。」と丁寧に頭を下げてくださり、戸口まで送り出してくれました。その後、地下鉄に揺られ、広告を一緒懸命読もうとする彼女を助けながら新宿にたどりつきました。「せっかく習った日本語を香港に帰っても忘れないようにしてくださいね。」「頑張ります。ヨーコさんが香港に来られたら今度は私が香港料理のおいしいところにご案内しますから早く来てくださいね。」
河口容子
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[167]「ノー」から生まれたプレゼント

2003年 8月 7日号で「ノーは親切、論争は親近感」というのを書かせていただきました。日本人は「ノー」と言うのも「論争」も不得意です。ましてやそれが、親切であったり、相手に親近感を覚えてもらうわけがない、と思われた方もあるでしょう。ところが、その通りの出来事がクリスマスを目前にした日におこったのです。
 私のオフィスに英語で電話がかかって来ました。相手は2005年11月10日号「ローレンスと呼んで」のローレンス、シンガポールのコンサルタント会社の CEOです。実は 2ケ月ほど前に彼からある業界の役員クラスの方を聞き取り調査をしてまわる仕事の依頼を受けました。期間は英文レポートも含め「明日から 1週間」で10社ほどありました。報酬はびっくりするほど安く(パートタイマーのリサーチャーなら喜んで引き受けたかも知れませんが、プロに依頼する仕事としてはあきれた金額でした。)私はその期間は予定がすでにぎっしりでしたので即お断りしました。断らないと先方も次のアクションを起せないからです。
 ついでに私のおせっかい心が活躍し始め「日本の企業で役員クラスの方が見ず知らずのインタビュアーに即応じてくれることはまずありません。10社のうち何社かは断られるでしょうが、まずアポを取るだけで大変です。それにその企業はどこにあるのですか?」と東京から大阪や名古屋までの交通費の金額を明示し、「出張する場合は交通費を出さないとその報酬では無理です。」などと、その他気付いたことをいくつか指摘しました。たぶんこの条件を提示されたプロのコンサルタントは「馬鹿にして」と腹がたったことでしょうが、単に知らないだけかも知れない、それなら教えてあげよう、というのが私のねらいでした。
 日本なら「こうるさいおばさん、余計なお世話」と思われて終わりですが、外国人は違うのです。そして上記の電話につながるのですが、彼いわく「内容についてはあなたのご指摘のとおりでした。それにしてもひどいもので依頼した日本人で返事をくれたのはあなただけでした。」仕事の依頼をするくらいなら、まったく知らない人には頼まないはずですが、皆うんともすんとも連絡をしないなんて日本ビジネスマンの恥です。即「ノー」と言ったことと、気付いたことを述べたことにより彼は私の事を信頼できる人間と思ったらしく、もっと条件の良い仕事を 2件くれました。
 メールで送られてきた契約書を読むと仕事相手の条件は「政府機関の仕事に携わり評価されている人、もしくはビジネスのエキスパート、もしくは企業経営者、もしくは大学などで教えている人」とあります。もしくは、ではなくてかろうじて全部私にあてはまるではないですか、すごい、と気分を良くしてサインをしたページをとりあえず FAXしたところ、山のような書類が送られて来ました。
「書類をたくさんありがとうございます。ゴージャスなクリスマス・プレゼントにめまいがします。」とメールをしたところ「プレゼントを気にいってくれるといいのですが。ジェントルマンらしいプレゼントを贈れなくてごめんなさい。」と矢のように返事がかえってきました。香港のパートナーたちともそうですが、海を隔てて一緒に仕事をする場合、ちょっとした一言で親近感や連帯感が生まれるものです。
河口容子