[113]忠犬ハチ公物語(5)
第113回
■忠犬ハチ公物語(5)
(前号より続き)
「ハチ公」は大正時代の生まれですから、秋田犬としての純血論争をすること自体おかしいのです。今此処に何枚かの「ハチ公」の生前の写真がありますが、真の秋田犬(見たことはありませんが)ではありません。正しく犬種は特定出来ませんが雑犬です。
日本犬は「立ち耳」「巻尾か差し尾」毛色は「胡麻班か虎毛」となっていますが、此の数枚の写真には全部当てはまりません。渋谷駅前の銅像も「ハチ公」の左耳は垂れていますね。これは何時か喧嘩したときに咬まれたから・・なんて云って居ますが、秋田犬は噛まれたからと云って耳が立たなくなる何てことはありません。又渋谷駅に居る「ハチ公」の写真は全部垂れ耳で、しかも尻尾がだらりと下がっています。日本犬らしい「巻尾」ではありません。これはどう見ても土佐系の血の混ざった雑種です。
一旦雑種になってしまいますと「先祖帰り」と云ってどうしても先祖の血が現れます。此の現れた子を処分してしまわないと永久に種族を固定出来ないのです。ですから今日秋田犬として活躍しているものは、昭和の初めに純粋であろう・・と思われた「雌犬」を母胎として淘汰生産されたものです。
その基礎になったであろう「牝犬」は秋田乳井氏の「一関ゴマ号」通称「ババゴマ」と云われた犬です。此の犬の写真は座ったままの写真ですが、立派な立ち耳の風格のある顔立ちです。生まれは一の関國朗氏で昭和4年頃の生まれで、秋保、日保共に未登録でした。従って「ハチ公」には関係はありませんでしたが、昭和7年10月4日の東京朝日新聞に「いとしや老犬物語」と云う記事が載ったことから一躍有名になり、小学二年生の修身の教科書にも「恩を忘れるな」と云う題で載ったりしました。
戦前の時代背景でずいぶん「忠犬ハチ公」は利用もされましたが、渋谷の駅頭に今でもジッと座って時代の流れを見守っているのではないでしょうか。こういう色々な人達が此の「ハチ公」を利用したことですが、だからと云って「ハチ公」が雑種であろうと純血であろうと関係はなく、シンボルとしての名に恥じない名犬であったことには変わりありませんね。
此のハチ公の剥製は上野の科学博物館に展示されていますが、やはり姿は違うように思えます。「忠犬ハチ公」は死後、上野英三郎博士が眠る青山霊園の傍らに今でも眠って居るそうです。
《忠犬ハチ公の唱歌》
「ハチ公」死んでから62年目の平成11年10月9日に東京新聞の朝刊に「忠犬ハチ公」の唄発見の記事が出ました。唄っているのは声楽家の藤盛紀佐子さんとなっていますが、前出の沼田陽一氏の書いている本の中に、此の唄は昭和10年に並木路子が唄っていた・・と書かれています。どちらの唄が本当であるか、又同じ物であるかは分かりませんが、平成11年の唄の歌詞を記しておきます。
♪
? 逝きしあるじと 知らずて待ちし尊き心
銅像かねにぞのこる
学べや人々 その魂しいを
? あるじの恩 忘れぬ忠犬 天地と共に
永遠とわにぞ朽ちぬ 仰げや人々
そのおもかげを
? 富士の桜と ハチ公こそは
日の丸かざす 吾等の誇り
讃えよ人々 御国の宝だから♪